穏やかなる現実を
誰にでも優しく、穏やかで、常に堂々としつつも微笑んでいる人。
多くの意見を否定せず、それを受容し、そしてそれらに一切の不安を抱かない人。
どこの聖人だと、そう言われるくらいに。
神を疑わず、自分を疑わない人。
常に、無限の可能性があることを、覚えている人。
不安など、一切において選択しない人。
泰然自若。自由奔放。純真無垢で、温厚篤実。
しがらみからの、解放を。
不安からの、脱却を。
踏み出すことに、なぜ勇気が必要なんだろう?
答えは簡単。
そこに、不安を見出すからだ。
絶対に出来るという、自分の可能性を疑うからだ。
創造のプロセスを忘れるからだ。
結果は始めから決まっているのに、そこで足掻いてなんになる。
必要となるとは、大切なのは、経験であると。
そう言っていたではないか。
僕は一体、何度“夢”で終わらすつもり?
何度“幻想”で終わらすつもり?
物語で書けることが、想像できることが、“自分”では“出来ない”と?
ウソつき。
わたしは何だってできるんです!
方針が揺れてたって、結局たどり着くのはどっちかでしょう?
すなわち、子供か、聖人か。
だから、どっちでも良いんだって。
両方で、いいんだって。
いい加減、煩わされるのはもう辞めにしよう。
ポジティブに!
そう! 正しく、アニメのキャラの如く!!
しょせんこの世こそが夢ならば。
死が怖くないことと同じである。
頭のネジを飛ばすなって?
はっ! 笑わせんな。
凝り固まった常識なんざ、しょせんは他人の“考え方”。
「他人の考えで動くより、自分の考えで動くほうが、よくないか?」
まさにその通りだよそうだろう!?
愛してる。
大好きだ!
もっと楽しみたい。
もっと心穏やかに。
笑顔で。
聖人で。
もっともっと、自分らしく!
生きようぜ?
なぁ、自分よ。