表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
恋の種  作者: きさらぎ
萌え出ずる若葉を待ちわびて
3/6

思わぬ波紋

「やっぱり、血ではないかしら?」


 赤い染みを確かめるように見ていた橘部長の声。

 そうかもしれない。しかし怪我をしてるわけでもないのに、どこで付いたんだろう?


 まさか。ふと握り込んでいた手を広げて、ピアスに目を落した。

 よく見てみると、金色の細い針の部分に赤い跡がある。これはもしかして血? 

 ぶつかった拍子にピアスが取れて、血まで流してしまったということか。傷は大丈夫だろうか。痛みは? たいしたことなければいい。

 急いでいたようだったから、焦っていた気持ちもわからないこともないが、そそっかしい人間だ。


「よかったら、染み抜きしますよ」


 橘部長の声が聞こえた。


「染み抜きですか?」


「はい。時間が経つと血は落しにくくなりますから。それに、染み抜き剤も持っていますから」


 さすが。気配りが行き届いている。


「ありがとうございます。クリーニングに出しますから、お気遣いなく」


 いくらなんでもそこまで世話をかけるわけにはいかない。


「そうですか」


 橘部長はそれ以上無理強いすることはなく、あっさりと引いてくれた。助かった。ごり押しされても困るだけだ。私は彼女の去ったところをもう一度見つめた。人騒がせな女。

 

「どうかしましたか?」


「いえ。ただ、不躾な女性だったなと思って」


 私の言葉に橘部長も同じ方に目を向けた。


「そう思われるのでしたら、白河課長、あなたのそばで躾け直されたらどうです?」


 今、何を言われたんだろう?


「えっ、それはどういう……」


 言葉が続かなかった。躾け直す? はあ? 私は目をこれでもかってくらい、目を見開いて彼女を見た。それはどういう意味なんだろう? 


「ですから、不躾だと思われたのでしょう? だったらあなたが教育してあげたらいいと思いますよ。役職は違いますが同じ新人同士ですし、教えられるばかりより教える立場にも立てば、また気持ちも違うでしょう」


 どういう発想をすればそんな言葉が出てくるのか。訳が分からない。言葉の意味をどうとればいいのか。どんな真意で言ったのか、彼女の表情を探るように見てみたが、何も見いだせない。

 顏にも目にも不思議なくらい、感情が見えない穏やかな表情しかなかった。見習いたいぐらいの完璧さだった。


 断る理由を探した。


「部署が違いますから」


 たぶん、これが一番適切な理由だろう。

 教育と言っても私は営業課、彼女は経理課、業務内容が全然違う。それに、一度配属が決まったものを変えるというのも難しいだろう。人事異動は終わっている。


「それでしたら、彼女を営業に回せば済むことですから。すぐにでもできますよ。あなたが望みさえすれば、わたしの権限でどうとでもなります」


 平然と、まるで私利私欲で権力を使うことなど、当たり前のような言葉に

目を剥いた。そこまでして彼女が欲しいわけではない。

 何がこの人を焚き付けたんだろうか。言っていることがめちゃくちゃだ。


「それはどうかと思いますが、人事異動は慎重にしなくては、周りが混乱するだけでしょう」


 人事部を統括しているからこそ、一番言ってはいけない言葉だろう。


「そうですね。それもありますね。けれど相手は新入社員ですから、どこの部署が合ってるかなんて、すぐすぐにわかるわけではありませんので、あの子も経理課にいますが、案外、営業が合うかもしれませんよ」

 

「……」


 一理ある。そう認めてしまった時点で負けている。反論できない。

 時期外れの人事異動も彼女なら、皆を納得させ何の違和感もなく成立させるのだろう。

 それにしても、私の些細な一言が、人事異動にまで発展するとは思いもしなかった。私は一体何をしたんだろう? どこがいけなかったのだろうか? 恐ろしい。彼女の前ではもっと慎重に言葉を選ばなくては。


 彼女の真意はわからないが、今の立場では色々抱え込むだけの余裕はない。仕事を覚えるだけで精いっぱいだ。教えられることばかりだが、今はそれでいいと思っている。

 だから、教わりながら人にも教えるという芸当は出来そうにない。ましてや、相手が女性なら、なおさらだ。

 厄介なものだと、わかっているものを引き受けることは出来ない。


「お言葉はわかりますが、お断りさせていただきます。私にはまだそのような器はありませんので。申し訳ありません」


 頭を下げると、


「そう、残念ですね。いいアイディアだと思ったのですけど」


 大袈裟なくらい肩を落とされてしまった。

 そこまでがっかりすることだろうか。こういう時はちゃんと表情が出る。状況を見ながら変えているのだろうか、それとも私が試されているのか、或いは両方か。


 これも無理強いされることはなかったのでホッとしたのだが、結局ピアスは持ったまま部署へと戻った。



 しかし、捨てるにも捨てられず、迷った末に机の引き出しの中にしまった。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ