第二章 デスゲーム・オブ・ザ・デッド・1
今回から第二章です。よろしくお願いします。
・島田誠一郎の名前が原田誠一郎になっていた箇所を修正しました
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郊外にあるサバーバンワールド。
日本有数の不動産デベロッパーが中心となって開発が進められ、昨年オープンしたばかりの地域最大級の巨大ショッピングモール。
総敷地面積二十万平米、総売り場面積だけでも十三万平米を誇り、四百近い店舗が集うまさに大量消費文明の象徴とも言える場所。
しかしその巨大な城もかっての賑わいと繁栄は過去のものとなり、今となってはただ静かに霧の中で蜃気楼のように佇むだけであった。内部に孕んだ歪んだ狂気を滲ませて――
寝袋の中で静かに寝息を立てて寝ていたあざみは、突如として大音量で鳴り響き始めたエルガーの行進曲「威風堂々」第一番に驚いて飛び起きた。
「――ええ、なぜこんなに早く!? まだ早朝なのに!」
あざみはぶつぶつと泣き言を呟きながらも素早く寝袋から這いずり出ると、制服の下に履いていたジャージを脱ぎ捨てる。霧のせいで太陽の光が遮られている為か、もう六月だと言うのに夜はかなり冷え込む。その寒さ対策のためのジャージだ。
手際よく寝袋を丸めて付属の袋に詰め込み、更にジャージや身の回りの品をその袋の中へと無理やり押し込んでいく。それらは全てこのショッピングモールで調達し、この逃れることのできない閉鎖的なサバイバル生活には欠かせないものだった。
すると、「威風堂々」をBGMにしてスピーカーから少年の声が聞こえてきた。
――グッモーニン! レディースアンドガールズの皆さん! 昨日の夜はぐっすりと眠れたかなぁ!? おや? そう、ゆっくり眠れてよかったねぇ。美容に一番大事なものは睡眠だものねえ。皆さまの美容と健康に少しでも貢献できて、この島田誠一郎、心より嬉しく思います。しかし! そんな皆様とは正反対に眠れぬ夜を過ごす連中もこの世の中にはいるのです。そう、それは我々の同志であり、成績最下位に甘んじているラビットチームの面々である! 本当は彼らの実力はこんなものではない。その事は我々が一番よく知っているし、彼らが自分たちの実力を今ひとつ発揮できていないこの現状に苦しんでいることも私は知っています。そして昨日ラビットチームの隊長から直談判を受けました。『我々に汚名返上のチャンスをくれないか』と! なんということでしょう! これはゲーム開始以来続けられてきた昼間と夜に一回ずつ二時間のデスゲームを行うという最大のルールを破る愚かな提案となります。このルールは皆様が万全の体調と精神状態で逃げ回るためには絶対に守られなければならない不文律であり、このデスゲームをデスゲームたらしめる為の鉄の掟なのでございます! このルールを破った時に私たちと皆様の信頼関係は崩壊し、このデスゲームは単なる人殺しの場へと成り下がってしまう! 私たちは決して血に飢えた快楽殺人鬼などではない! 我々は決められたルールのなかで己の限界に挑戦し切磋琢磨するゲーマーなのである! そのゲーマーが自ら設けたルールを捻じ曲げるなど言語道断! しかし! 私とラビットチームの隊長は苦楽を共にした級友であるとともに、同じ志を持ちこの終末世界を生き抜こうと手を取り合って誓った同志でもあるのです! 私は皆様との信頼関係を壊したくない一方で、同志である彼を苦しみから解放してあげたい! と・い・う・わ・け・でえー、今から臨時デスゲームの開催だよーん! 制限時間はいつも通り二時間。但し、ゲームスケジュールを変更したお詫びとペナルティとして、ラビットチームからの参加者は隊長を始め三名まで。そしてお昼から開催予定だったゲームを今ゲームとして繰り上げることにしましたぁ。だから今は早朝六時だから八時まで頑張って逃げ延びれば、夜までゆっくりと休むことができるってわけだね! じゃあ皆様、がんばって! ぎゃはははははははははは!
と、島田誠一郎と名乗る少年のどこか人を小馬鹿にしたようなアナウンスは、神経を逆撫でする耳障りな笑い声とともに終わりを告げた。
そしてまた館内に「威風堂々」が鳴り響くが、いつの間にかそれまでの勇ましく華やかなメロディから中間部の壮麗でどこかもの悲しくも聞こえるメロディへと移り変わっていて、あざみはまさに自分のいまの精神状態を表しているようで吐き気を覚えた。
そのメロディはエドワード七世が大変気に入り、後に歌詞が付けられて独立した歌曲として英国第二の国家として広く親しまれたものらしい。そして付けられたタイトルが「希望と栄光の国」
この絶望と死しかない狂気の国では皮肉以外のなにものでもない。
あざみは自分の運命を呪いながらも彼らに対する怒りの方が上回って奮い立つと、寝袋を小脇に抱えて階段を駆け上がった。
今あざみが居る場所は商用部ではなく、バックヤードの従業員専用通路になる。施設内は独立した発電設備を備えているらしく、館内ではいまだに電気が生きている。そして少年たちはゲーム中も、またゲーム以外の時間でも館内に無数ある監視カメラで人質の少女たちを監視していることをあざみは知っている。
だから監視カメラが比較的に少ないバックヤードを生活の拠点としていた。
しかしゲームが始まると、そのバックヤードの利点はなくなってしまう。事務所や倉庫を繋ぐ廊下の直線と階段だけの空間は余りにも隠れる場所が少なすぎて、そして狭い。それは一度見つかってしまうと安易に追い詰められてしまう袋小路を意味していて、ゲーム開催中は隠れる場所も多く、広くて逃げ回りやすい売り場のほうが何かと都合がよい。
あざみは売り場へと続く鉄の扉をそっと開けて人の気配がないのを確認すると、忍び足で目の前の婦人服売り場へと突き進み、商品棚の間に身を潜めた。
すると遠くから足音が聞こえてきた。リノリウムの床を蹴る硬質な足音がフロア中に響き渡り、そしてそれはぐんぐんと近付いてくる。
あざみは腰を屈めたまま、足音が聞こえてくるのとは反対側の商品棚の陰に身を寄せた。そして顔を少しだけ出して足音の聞こえてくる通路を注視していると、カリフォルニアハイウェイパトロールの白バイ警官が走り抜けていった。
もちろんそれは本物の警官ではない。少年たちのコスプレだ。
少年たちの幾つか存在するチームはチームごとに各国の軍服などの制服で統一されていて、このラビットチームのテーマはどうもアメリカンポリスらしい。
白バイ警官は全力で婦人服売り場の横を通り過ぎていくと、通路の突き当たりにあるスポーツ用品店のテナントへ飛び込んでいった。そしてなかで奇声を発しながら走り回っている。
どうも当てずっぽうに走り回って、少女たちをいぶり出そうという作戦のようだ。
それならばと、あざみは家具売り場へと足を向けた。
いまあざみがいる建屋はイースト館と呼ばれていて、そのイースト館でも最大の売り場面積を誇るのが家具売り場であり、陳列された家具で死角が多く生まれて、さらに迷路のように入り組んでいる通路も身を隠しやすい。
少年たちの当てずっぽうに動き回るという戦略は彼らの居る場所は把握しやすいが、次の行動の予測が立ちにくいので家具売り場のような場所の方が好都合のように思える。
あざみは婦人服売り場をそっと抜け出すと、テナント店舗が並ぶ通路を忍び足で急いだ。家具売り場は二階フロアの突き当たりだ。
そして雑貨店の前を通り過ぎようとした時に、ふと黒い影が視界の隅に現れた。
続いて右側頭部に鈍い衝撃――
「あうっ……!」
あざみは側頭部に走る激痛に堪らずにその場へしゃがみ込んだ。右側頭部を手で押さえると生温かくてぬるりとした感触が指先に触れ、右手が真っ赤に染まっていた。
「ご、ごめん。私、あいつらだと思ってつい……! 悪気はなかったのよ、本当に……!」
顔を上げると、目の前に立っていたのは三十代くらいのOLだった。どこかの銀行の制服を着ていて、手には虫取り網を小ぶりにしたようなラクロスで使用するクロスと呼ばれるスティックを持っていた。
そしてOLはあざみに手を貸すこともなく青ざめた顔でその場に立ち尽くしていたが、その顔にすうっと暗い影が落ちたかと思うと、おもむろにクロスで店舗のウインドウガラスを叩き割った。
「ごめん。死んで、私のために!」
「え――!?」
困惑しているあざみを他所に、OLは脱兎の如く駆け出してその場から消えてしまうと、背後からは先ほどの足音が聞こえてきた。
しかもそれだけではない。少し離れたところにあるエスカレーターを駆け上がる足音や、ウエスト館の方からも足音が向かってくるのが聞こえてくる。
「ま、まずいよ、早く逃げなくちゃ……!」
あざみはハンカチで右側頭部の出血を押さえながら立ち上がるが、視界がふらついて足元が覚束無い。しかしそれでも壁に身をあずける様にして家具売り場へ向かっていると、突然右のふくらはぎに注射器を打たれたようなチクリとした痛みを感じた。
そして突然視界が小刻みに揺れだしたかと思うと、全身が硬直したように固まって力が抜けていく。
自分の身体が痙攣しているのだと知った時には、あざみは廊下の上でうつ伏せになって倒れていて、歪んだ視界の中に三人のカリフォルニアハイウェイパトロールの白バイ警官を捉えたあとだった。
その警官の一人が持っている拳銃からは何やらたこ糸のようなものが伸びていて、あざみの右ふとももへと繋がっている。
「テーザー銃さま万々歳だせっ!」
拳銃を持った少年があざみに近付いて右太ももから電極を抜き取ると、ようやくあざみの全身のけいれんは止まった。そして少年は倒れたままでいるあざみの髪を掴むと、
「どうよ? 五万ボルトの電流を食らった気分は? アメリカじゃ大男の犯罪者だってこれを食らえば立っていられなくて、警察で正式採用されているんだぜ。ほかのチームの奴らはボウガンがメインだけど、俺たちラビットチームは博愛主義だからテーザー銃がメインなんだ。弓矢で脳天ぶち抜かれなかっただけ感謝してくれよな?」
とレイバンのサングラスを外して満面のどや顔を浮かべた。
あざみはその少年の笑顔を見て心底気持ち悪いと思ったが、全身にうまく力が入らなかった。ただ髪の毛を掴まれて廊下の上を引きずられていくだけだった。
「なあ、この獲物どこで『調理』する!?」
「もうどこでもいいよ。どうせみんな監視カメラで覗いてるんだろ!? もうヤレればどこでもいいや」
「いや、でもこれがトイレだと監視カメラがないから大丈夫なんだあ」
「うわ、隊長それマニアックすぎ」
「俺DTなんだから初めてはもっとロマンチックな場所にしてくださいよー」
「バカ、ラビットチームはみんなDTだろ。お前だけじゃねえからっ」
と、少年たちがあざみを引きずったまま下品な会話を繰り広げていると、突然喉に貼りついた驚きの声とともに足を止めた。あざみの髪の毛も解放されてようやく自由になる。
あざみはうつ伏せのまま顔を上げて前を見ると、少年たちの両足越しに二人の少女の姿を見た。
二人ともギャル風の派手なメイクと衣装を着ていて、あざみもサバーバンワールドへ連れてこられてから何度か見かけたことのある少女たちだった。しかしどうも様子がおかしい。顔色は土気色に変色していて、動きも糸の切れた操り人形のようにぎこちない。
「お、おい、こいつらゾンビ化してるじゃねーか!?」
と、少年の一人が震える声を上げた。
「な、なんで!?」
「バカ、たぶん自殺か病死したんだよ。ああ、貴重なマンチョが二つも……!」
「で、でもどうするんですか、こいつら始末しないと……!」
「わかってるって。でも俺たちテーザー銃と警棒しか装備してないんだぜ……!」
ゾンビを前にして対応に追われている少年たちの隙を見て、あざみはリノリウムの床を這い蹲るようにして少年たちから静かに離れると、全力を振り絞って近くのテナント店舗の中へと駆け込んだ。
少年たちが司令室と呼んでいる中央事務室では、その瞬間どっと笑い声が起きた。
壁際には液晶モニターが一面にずらりと並んで館内を映し出しており、中でも一番大きな六十五インチモニターは三人の白バイ警官と二人のゾンビの姿を斜め上からの視点で捉えていた。
モニターの前にはゲームの行く末を見守っていた五十人近い少年たちが居て、ラビットチームがゾンビに気を取られているうちにせっかく仕留めた獲物に逃げられてしまった瞬間に、その最下位チームらしいラビットチームの期待通りの行動にここに居合わせた全員が腹を抱えて笑っていた。
まるで文化祭の催し物でも見ているような明るく屈託のない雰囲気だったが、少年たちは各国の軍の迷彩服を着ていて、胸や腰に装着しているサバイバルナイフや、壁一面にずらりと立てかけられているボウガンの数からも少年たちが普通ではないことがうかがい知れた。
「まったく、この詰めの甘さは困ったもんだな。ラビットチームにも……」
少年たちの一番前で苦虫を噛み潰したような顔でモニターを見ていた楠田トオルはそう呟いた。彼が腕を組んでいると、元々筋肉質の身体が一回り大きくなったように見え、厚い胸板や腕周りにより迫力が増す。
そしてその鍛え上げた肉体や短く刈上げている髪型と合わせて、彼がいま着用しているアメリカ海兵隊の砂漠使用のBDUのせいで本物の兵士と言われても信じてしまいそうな迫力に溢れているが、元々は市内の高校に通っていた普通の十八歳だった。
「――どうします司令官。ラビットチームに獲物が逃げた先を教えてあげますか!?」
と、トオルが事務所の一番奥を振り返った。そこには周囲のスチール製の事務机とは見るからに毛色の違うニレ材を使った高級書斎机が運びこまれていて、これまた高級そうな革張りのイスにふんぞり返って携帯ゲームに夢中になっている少年がいた。
歳は十七歳で細面の神経質そうな顔にメガネをかけた横分けの髪型をした少年。彼こそが司令官と呼ばれ、このサバーバンワールドに君臨する島田誠一郎だった。
誠一郎だけはほかの少年たちと違い、迷彩服ではなく紺色のビジネススーツを着ているので、その存在が一際奇異に見える。
「いやぁ先輩――じゃなかった大佐、そこまで甘やかす必要はないっしょ!? ラビットチームは今回のゲームスケジュール変更ですでにチャンスは与えられていた訳ですしおすし。もっともゾンビ出現というイレギュラーはあったわけですが、原因は彼らの戦略性の無さと詰めの甘さが招いたわけですし……」
そこで誠一郎はふと何かを思いついたのか、携帯ゲーム機を放り出して少年たちの集団を掻き分けてモニターの前へと躍り出た。そして六十五インチモニターをニヤニヤと見ながら、
「とりあえず獲物は一旦は捕まえたのでポイントは半分だけあげましょう。そしてこの二体のゾンビの駆除で更にポイント20点追加。そうすればラビットチームもまだまだモチベが維持できるでしょ!?」
「実銃を持っていかせますか?」
と、大佐。
「いやいやそんなの勿体ないっしょ。ボウガンで十分ボウガンで」
誠一郎は傍らの少年兵に顎で合図をする。そしてボウガンを一丁持って出て行こうとした少年兵に、
「ちゃんと後始末と消毒は忘れないように言っといてねーん。閉鎖空間では清潔が第一だから」
と、楽しそうに声をかけた。
「ま、どちらにせよ、あともう少しで霧の嵐作戦実行中のタイガーファングとバーサーカーチームが帰還しますから。彼らが持ち帰ってくれる予定の土産でこのゲームとサバーバンワールドは益々盛り上がりますよ。ね、大佐」
誠一郎は湧き上がる興奮を隠そうともせずに大きな身振り手振りを交えて、まるでオペラでも歌うようにトオルに話しかける。
トオルもそのテンションにつられて「ええ」と楽しそうに頷いてみせたが、ふと何か思い出したように呟いた。
「そう言えばさっきの獲物、桜道女子の制服を着てたな? あれが例のドッペルゲンガーの女か……」
「うん? いま兵士たちの間で話題になってて、結構みんなビビってるとかいう子?」
「ただあくまで噂の段階で私もこの目で確認はしていないのでなんとも言えませんが、こうも目撃者が多数だと少し気になりまして……」
「ふーん。じゃあラビットチームはレアな獲物を一旦は仕留めてたってことっしょ!? それじゃあポイントをもう二十点追加してあげなきゃ可愛そうかなー。そしてそのドッペルゲンガー女はこれからプレミアムダーゲットとしてボーナスポイント百点にするってのはどう? これだとラビットチームを始め、最下層チームも一気にトップに躍り出る可能性も出てきます。どうですかぁ、みなさん!?」
勿論その提案に反対する者など一人もいなかった。少年たちは拳を突き上げ、拍手をし、野太い歓声を上げて盛り上がり、事務所は異様な熱気と興奮に包まれた。
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