第一章 五人目の少女と野良犬の少年・2
※レオのセリフを一部変更しました。
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ヤマコ先生の身内と聞いて思わず正門を開けたまどかたちだったが、少年の姿を見た瞬間に失敗したと激しく後悔していた。
それも少年の出で立ちがあまりにも普通ではなく奇異だったからだ。
まず少年の歳はまどかと同じ十六、七歳に見えたが、着ている学生服といえば今時珍しい長ランに幅広いズボンという、まるでどこかの応援団か一昔前のヤンキー漫画の登場人物のような身なりをしていて、さらにその上からフィッシングベストを羽織っており、おまけに幾つもあるポケットには一体なにが入っているのかどれもパンパンに膨らんでいるという有様だ。
更に両手には鋲がついた皮手袋を嵌めて、靴はなにやらごついブーツを履いてしかも幅広ズボンの裾を全てそのブーツの中に押し込んでいるので、全体のシルエットがピエロっぽくもあり妙にちんちくりんに見える。
そして少年を一番奇異に見せていたものは五分刈りの坊主頭に左側だけに鋭く剃りこみが入っている奇妙な髪型と、肩に担いでいる先端が赤黒く変色した木刀だった。それは恐らく血の色だ。
その少年は相川レオと名乗り、ヤマコ先生の弟だと言った。
とりあえず正門を開けてしまったために、まどかは少年を食堂へと通し何か身分を証明できるものの提示を求めると、レオと名乗る少年はすっと隣町の私立高校の生徒手帳を差し出した。
「確かにヤマコ先生の弟で間違いないみたい……」
まどかと姫は食い入るように生徒手帳を覗き込み、そこに書かれている住所と管理人室にあった教職員名簿の住所を照らし合わせた。さらに生徒手帳には一枚の写真が挟まれており、それはヤマコ先生と中学時代の少年が自宅の居間らしきところで仲良く並んで写っている写真だった。
「ごめんなさい。気を悪くしないでください。どうしてもこんな時だから用心をしないと……」
まどかが深くお詫びをしながら手帳を返すと、少年は屈託のない笑みを浮かべて受け取った。
「いや、むしろそれくらいして当然だと思うし。それで今ここにはあんたたち女生徒だけなのか? 姉貴やほかの教師たち大人は……?」
「それは……」
まどかは言いにくそうに言葉を濁らせたあとで、少しずつこれまでのことを語り始めた。
まずまどかが街が霧に包まれてからの数日間の事とその時のヤマコ先生の行動について説明し、その後で姫が第一さくら寮へ移動する時に起きた悲劇について説明をした。
二人が喋っている間、レオは両目を閉じて黙って話しに耳を傾けていて、まどかたちの話が終わってもしばらくうな垂れたまま微動だにしなかった。
そしてようやく顔を上げたかと思うと、一言一言かみ締めるように話し始めた。
「そうか、ありがとう。あの日、実は俺も一緒に桜道女子学園の寮へ避難しろと姉貴に言われていたんだ。でも場所が女子寮でさらに女生徒も何名かいると聞かされてそんなの恥ずかしいからと断って、姉貴の目を盗んで家を飛び出したんだ。その後は知り合いのところを転々としているうちに街のあちこちでパニックが起きてて、ゾンビも徘徊しているし思うように動けなくなってしまって…。それで何日かは人の居なくなった民家に忍び込んで立て篭もってたんだけど、ある日食料を探しに外へ出掛けた時に桜道女子のスクールバスが乗り捨てられているのを見つけて……。窓ガラスは粉々に割れているし車内に血痕が残っているしすごいイヤな予感がして、でもここの場所がわかんなくて姉貴の無事を確認しようがなくて。だからそれからは駅前の寮や学校の方へ手がかりを求めて行ってみたんだけど、とにかくゾンビと鉢合わせしないように行動しなきゃいけないから時間ばかりがかかっちゃって大変だった……。そしてようやく今日ここまで来れた。でも姉貴はここには居なかった。それがわかっただけでもここまで来た甲斐があったよ……ほんとにどうもありがとう……!」
と、レオは涙がこぼれないように一生懸命に歯を食いしばり深々と頭を下げた。
「き、きっと――」
ヤマコ先生ならどこかで元気にしているよ。と励まそうと思ったが、まどかはそれ以上は言葉が出てこなかった。あの高レベルに成長したゾンビたちを目の当たりにした今となっては、余りにも無責任すぎる発言のように思えたからだ。
「そう言えば――」
そこでレオはなにかを思い出したように口を開いた。涙を拭って無理やり気持ちを切り替えたかのように、今は悲しみよりも心配のほうが色濃い顔つきになっている。
「ここへ氷川大悟たちは来なかったか!?」
その名前を聞いて即座に「ひいっ!」と小さく悲鳴を上げたのは乙葉だった。彼らの暴力を一番直接的に味わっているのは最年少の乙葉であり、その時の恐怖が甦ってきたのかみるみるうちに顔から血の気が失われていく。その乙葉の青ざめて引きつった顔を見てレオは怒りを露にして身を乗り出した。
「やっぱり来たんだなここへ!?」
「ていうか、あんたなに!? もしかしてあいつらの仲間のわけ!?」
姫も怒りを露に立ち上がるとレオの勢いに負けじと仁王立ちになって睨み返し、その横で椿がサバイバルナイフを持った左手を背中に隠したまま静かに立ち上がった。
突然変な雲行きになりはじめた場の空気にまどかがおろおろしていると、
「知り合い? んなわけあるか! あいつらここらでも有名なワル連中でよ、そのやり方に仁義も筋も通ってないって不良界隈でも嫌われてたカス連中だぞ! 俺はただいつだったか街で食料を探している時に氷川のグループの下っ端の奴と鉢合わせしたことがあって、その時に桜道の女生徒を探しているから知らないかって聞かれたことがあっただけだよ」
「あんたそれほんとでしょうねえ! なんか妙でちんちくりんな格好していると思えば、あいつらの仲間だと思えばなんだか合点がいくんですけどぉ……!」
レオの説明に姫はまったく納得していないようで鼻息は荒くなる一方だ。
「ちょ、ちんちくりんて……それにあんなザコ連中と一緒にしないでくれ! だいたい俺は一匹狼がポリシーなの。つるんで行動するのは好きじゃねえんだ。この格好は俺の男としての生き様の証明だよ。この片方だけの鬼剃りが男の証しなんだよ! あんな大勢でツルまなきゃケンカもできないようなヘボ連中とは男としての格が違うんだよ格が!」
と、レオは熱く語ってみせたが、姫はふんと鼻で笑って完璧にスルーをすると怒りを孕んだ瞳で吐き捨てるように呟いた。
「そんな御託はどうでもいいんだけれど、一つ教えておいてあげる。私と乙葉ちゃんがヤマコ先生たちと一緒に第二さくら寮からここへ避難をする時に襲ってきたのが、その氷川って奴の友達の双子が仕切っているグループよ。あいつらのせいでみんな……」
「双子? シュウとアキラのクソツインズか!?」
「そう確かそんな名前だったわね」
「あいつらか……あいつらのせいで姉貴が行方不明に……くそったれが!」
と、レオの顔が怒りで真っ赤になったかと思うと食卓を拳で思い切り殴った。その激しい剣幕にまどかたちが驚くと、レオは我に返ったように頭を下げた。
「すまない。つい……」
「いいえ。あなたの気持ちもよくわかるし、その……」
と、まどか。
「それで結局氷川たちは?」
「ふん、あんな奴ら私たちが撃退してやったわ!」
と、姫がそっけなく答えると、
「す、凄いんだなお前ら……」
と、レオは恐縮しているのか感心しているのかわからない複雑な顔を浮かべてまどかたちを見渡した。
そして思い立ったように立ち上がると深々と一礼をした。
「今日はいろいろと話してくれてありがとう。姉貴が最後の最後まで教師として立派に行動していたことが知れて誇りに思う」
「こ、これからどうするの?」
思わずまどかはそう問いかけて見る。するとレオは神妙な顔つきになって一言一言かみ締めるように呟いた。
「姉貴のことだからどこかで無事だとは思うけれど、もしゾンビになっていたら俺がこの手で殺してあげなくちゃならないと思う。誰かを傷付けるなんて姉貴だって本望じゃないだろうから……」
「そ、そう……」
まどかはレオの覚悟を前にしてそれ以上言葉が続かない。しかし胸の内で広がる漠然とした暗澹たる思い。それはこんな風になってしまった世界でも彼を黙って行かせてあげるべきなのか、もしくは狂った外の世界へ出て行こうとするのを引き止めるべきなのかという葛藤だった。
するとまどかの迷いの表情に気付いた姫と椿が立ち上がって思い切り作り笑いを浮かべると、
「じ、じゃあ正門まで送りますぅ。戸締りはしっかりしなくちゃいけないから! ほほほ!」
「わ、私もついていく……」
と、そそくさとレオを玄関へと誘導しようとする。すると二人に導かれて玄関へ向かおうとしたレオがふと思い出したように口を開いた。
「そう言えば――」
「そう言えばなに!?」
姫はもどかしさを噛み殺してはいたものの、全身から苛立っているオーラを静かに発している。
「おれ一昨日の夜にここまで一度来たんだよ」
そのレオの言葉にまどかと椿と姫が訝しげに顔を見合わせる。一昨日の夜と言えば最初にかがり火が反応した夜だ。
「一昨日の夜にここへ来たの……?」
まどかは思わず身を乗り出していた。
「ああ。でもゾンビが何体かうろついていたからその日はそのまま山を降りて下の民家で身を潜めることにしたんだ。そして昨日の夜にまた来たんだけど……」
レオはそこまで言うと、突然神妙な顔つきになって一段低い声でまどかたちを見渡しながら囁くように話し始めた。
「……俺が正門の前に立ってノックをしようとした時だよ。坂道の下の方の霧から制服姿の女の子が音もなく姿を表したかと思ったら、その子はそのまま正門をすり抜けて中へ入っていっちまいやがった。だから俺はつい怖くなって逃げちまった。そしたら今度は逃げる途中に寮から悲鳴が聞こえてきたんだ。だからあんたたちもあの女を見たんだろ? まさかここって元々出る場所なのか、もしくは呪われた曰くつきの場所なんじゃねえのか? あんたたちこんな所にいてほんとに大丈夫なのか……?」
と、レオが白目を剥いて舌を出すと、乙葉が「あわわわわ、やっぱりおば、おば、おばけ……!」とまどかにしがみついて震え出したので、レオはしてやったりという風にいたずらっぽく笑った。
「ちょっと変なこと言わないで。乙葉ちゃんが怯えちゃったでしょ、もう!」
姫がレオをきつく睨みながら乙葉の頭を撫でて宥める。それを横目で見ながら椿はそっとまどかに耳打ちをした。
「先輩の直感は当たっていたわけですね。でも――」
「でも同時に不動あざみの接近は感知できないと確定した……」
「昨夜の様子からは彼女が何かしらの悪意を持っているようには見えませんでしたけれど、これではちょっと落ち着かない日々が続きそうですね」
「そうね。もう一度彼女と会ってしっかりとコミュニケーションが取れればいいんだけれど……」
そうこうしているうちにレオは「最後にちょっといじわるして済まなかったな。じゃあ俺は行くよ」と手を上げて食堂を出て行こうとするので、まどかはこの期に及んで懸ける声が見当たらずにただ戸惑いながら彼のあとを追いかけた。
そしてまどかたちが玄関に並んでごついブーツを履くのに手間取っているレオを黙って見届けていると、ようやくブーツを履き終えたレオが立ち上がって振り向いた。
そして、
「じゃあ今日はありがとう。見送りはここでいい――よおおおおおおおおおおおおおおおおおおおお!?」
と、まどかたちを指差して驚いたように大きく目を見開いたまま素っ頓狂な声を上げた。震える指先はまどかを――いや、その後ろを指差している。
「ん!?」
一同が怪訝な顔つきで振り返り、息を呑んだ。
いつの間にか管理人室の黒板前に薄らと全身が透き通って見える少女が立っていたからだ。少女は俯いたままもじもじとセミロングの髪を両手でいじっている。
不動あざみだった――
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