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生まれ変わりを信じますか

作者: のりこ

1982年3月、初めての女の子 私が生まれました。私にゎ兄貴2人います。だから私が初めての女のコだから両親ゎ喜んだそぅです。聞けば長男ゎいつも私の手を握り、次男ゎ荷物持ち!これゎ出かける時の、ぉ決まりだったみたぃです。両親も兄弟も皆、かわいがってくれたそぅです。私が幼稚園に行ってる時の記憶では、長男は、もう相手にしてくれなぃ感ぢになってました。次男は、すごく恐い印象が残ってます。ご飯の時、箸の使い方を怒られ、テレビを見て食べてると怒られ、水飲みたいと言うと、それも怒られて父親より厳しい次男でした。小学校に行くと長男は中学1年生。次男は小学6年生になりました。学校で次男を見かけて声を、かけると『話掛けてくんな!』と、また怒られました。いつでも怒ってる次男です。私が小学校5年生の時、お金が欲しくて次男の貯金箱から、お金を盗もうとした時の事です。いないはずの次男が斜め前にいて『何やってんだょ!』と言われバレてしまいました。高校に入ると、原付の免許が欲しくなり免許を取り原付を買った!長男は鳶職人!次男は警備員!警備員は、その日によって現場が違く車では行けないので私の原付を貸すことに!高校2年の冬、後輩に、裕介くんを紹介してもらい、付き合う事に。裕介は私より2つ下の中学3年生。学校に行かない家にいるコ。理由は起きれないから…。いつからか裕介の家が溜り場に。毎日8人ぐらい裕介の家に来て遊んでました。何度も喧嘩して何度も別れ話がありました。けど、いつも別れ話は、なくなって長く続きました。高校3年の冬、妊娠。裕介は働いてないし若い2人が子供を産むのは無理だと思い、しかも両親に怒られたくない私は子供を産むことをやめようと裕介に話したら『人殺し』と言われた。私も産みたい。けど両親が恐い。でも母親に妊娠した事を言いました。母親は、びっくりしたと言って、勿論反対!けど、どうしても産みたいと言うと『お母さんは知らないからね。勝手にしなさい。』と言われました。お父さんには殴られる覚悟でいた。けど予想外の言葉『ちゃんと母親出来るのか?産みたいんだろ?自分が決めた事だ!頑張れ』と言われ涙しました。もともとデブな私は卒業式の時に4ヵ月。お腹も全然目立たない感ぢだった。まぁ4ヵ月ぢゃ、お腹は大きくならないけど。無事、高校も卒業。5月に裕介の家に引っ越した。裕介16歳。私18歳。裕介の母と裕介と私の生活が始まった。料理も作った事ない私が急に裕介の家で家事も出来る訳ない。けど、しなきゃならない。でも、その家その家の味が違うと思う。やっぱり味は、あわず喧嘩!なんども逃げたかった。でも、お腹のコの為に強くならなきゃ。9月、実家に帰った。

子供を産むのに準備をしたり親のとこが安心だから。

それも気にくわないのか、また喧嘩!13日。

なんか具合悪くて仕方なかった。

夜9時に、まぢだるい。

10時になると、お腹が痛くて何度もトイレに。

母に、お腹痛いと言うと『陣痛は痛いなんて言ってられない』と聞いてくれない。

11時になると10分おきにトイレに。

12時トイレに行くと血が!母に言うと『なんで早く言わなかったの』って…。

だって陣痛は痛いなんて言ってられないって…みたいな。すぐに病院に電話して病院に行き変なベッドに寝かされた。看護婦さんに『まだまだ夕方まで生まれなぃので、お母さん帰らせますよ』と言われました。その時間1時半。かなり痛くなり、まだ帰ったばかりの母親を呼び戻してもらった。10分前に帰らした、まだ帰ったばかりと思ったのは私だけ!もぅすでに朝の5時半。腰が痛くて、しょうがない。もう我慢の限界になったのが朝7時。いよいよ分娩台に。7時14分。元気な男の子誕生。裕介は長男の鳶で一緒に働いてました。現場から慣れない電車で病院まで。昨夜の喧嘩なんて忘れてたみたいに、かなりの笑顔。病室に戻ると寝てないせーか、目が、トローんとしてた。裕介が余計な一言。『お前、すんげーひどい顔』うるさいよ。次の日、次男が赤チャンの顔を見に来てくれました。相変わらず長男は、全然興味なし。赤チャンゎ1ヵ月の時、風邪で入院。病院に付きっきりの私は裕介の、ご飯を作れない。それに腹を立てたのか喧嘩。別れることに。その時、初めて長男が私を助けてくれた。

裕介に暴力はダメと言ってくれた。

両親、兄2人と引っ越す事に。

新築を買ったから。

母方の祖父母も一緒に住む事になった。

子供は家が変わったせいか頭を、お膳にぶつけキチガイになってました。

母親と私は毎日喧嘩。それを見ていた次男は、ある日、私を胸グラ掴んで『ィィ加減にしろ!』と言ってきたので反発した。そしたら『文句あるなら俺を殴れ』と言ったので殴ってやった。その後やりすぎたと思って『ごめんね』って次男の部屋に謝りに行った。そしたら次男も『俺も、ごめんな』と言った。次男は親に頼る事が嫌いな人だったのでアパート暮らしを始めた。相変わらず母親との喧嘩はたえず祖母とも喧嘩してた。そーすると祖父は『相手にするな!はいはい聞いてればイイんだ』と言って『婆ちゃんの事怒っておいたからな』と、いつも助けてくれた。祖父とは昼ごはん食べに出かけたりしてた。でも祖父は肝臓ガン。入退院を繰り返してた。祖父は再婚相手で祖母の約10こ下。また入院。病院に行く時に『喧嘩するなよ。仲良くやれよ』と言って病院に行った。病院に、お見舞いに行くたびに、なんだかボケた感ぢ。仕事をしたいが子供がいて出来なかったため夜の水商売をしてた私。

昼間寝る生活。

その日も昼間寝てると母の弟から電話『落ち着いて聞けよ。

爺ちゃんが』と言った瞬間すぐに、わかった。

受話器を持ったまま子供みたく大声で泣いた。

『爺ちゃんが亡くなった』の電話。私は、すぐに祖父の部屋に行き、大声で『私は誰に、お母さんと婆ちゃんと喧嘩したら相談したら、いいの?誰に助けてもらえばイイのよ』と言って泣いた。祖父は、その日、変わりはてた姿で家に帰ってきた。祖父は驚く事に、まっすぐ上に向いてた顔が次の日に皆がいるほうに向いてた。平成14年祖父享年60歳。

平成15年5月、私は警察に子供と母親の前で捕まった。悪い事をしたから仕方ない。母は面会に来て、差し入れで子供の写真や、お金をいれてくれた。面会で次男が携帯代を払ってくれたと聞いて泣いた。なぜなら次男は金にケチな人だから。ケチな人だから借金もない、そんな人。そのケチな次男が携帯代を払ってくれたなんて信じられなかった。なんとか1ヵ月で保釈金で外に出れた。子供と両親が迎えに来てくれた。子供をおもいっきり泣いて抱き締めた。子供は『ママ、チックン〈注射〉痛かったから泣いてるの?かわいしょうに』と言ってた。家につくと、祖母と次男がいた。次男は私の顔を見てすぐに帰った。聞くと用事があったんだけど心配だから顔を見に来たらしい。相変わらず長男は、興味ないらしい。何日後かに次男のアパートに呑みに行った。次男の彼女に意外な事を聞いた。いつも怒ってると思ってた次男は毎日のように、私の事を話してるみたい。『かわいくて心配で仕方ないらしい』子供が3歳。裕介と再開。裕介には彼女がいた。1年ぐらい遊ぶ事が続き子供の為にも戻る事に。私の実家で裕介と私と子供と1つの部屋に寝た。子供を保育園に預けて平成16年9月パチンコ屋で働く事になった。そして平成16年10月20日。なんだか、時計が気になって仕方なかった。11時、係長に事務所に呼び出された。『なんか悪い事したっけなぁ?』と思いつつドキドキしながら事務所に。係長に『あ〜、なんか、お母さんが電話してだってよ』と言われた。母に電話した。

母は冷静な感ぢで『なんか、よっちゃんが落ちたらしい』と言った。次男の事。次男も鳶を5年前ぐらいから、やっていた。『ふ〜ん怪我は?』『まだ、わからない』と言っていた。その後すぐに電話が来て次は焦った様子『ねー、よっちゃんが危ないの!意識不明の状態!どーしよ。とりあえず早退しなさい』との電話。私は何が何だか、わからず係長に『お兄ちゃんが仕事中、足場から落ちて意識不明なので早退します』と言って早退した。家にいても、おちつかず母からの電話を待った。

母からの電話『今から緊急手術だから』と言われた。

そして1時間後、祖父の時と同様。

母の弟から電話。

『手術終わったぞ!あのな、あいつも頑張ったんだけどなダメだった』また大泣き。けど良かったのかもしれない。人に頼る事が大嫌いな次男が生きてたとしても植物人間。植物人間になるぐらいなら楽になってくれたほうがいい。次男は夜中に家に帰ってきた。涙が止まらない。人が次男に線香をあげに来るたび人の顔を見て泣いた。通夜、芸能人ぢゃなぃかって思うほどの人が来てくれた。花も、ギュウギュウ。ずっとずっと涙。人が帰って行き、次男の顔を見るのも明日で最後だから見た。びっくりした事に次男の目頭に無かったはずの涙。みーんな来てくれたから嬉しかったのかな?私は夜、次男に1つの約束をした。『もぅ泣かないよ』次男は、よく私に『泣くな泣くな。

なんで、すぐ泣くんだょ』と言われてたから。告別式。悪寒に花と手紙を入れる時だけ『これで、おしまい。もぅ泣かない』と言った。最後の、お別れ。泣かないで次男は焼かれた。骨になった。今、祖父と私を見てますか?守ってくれてますか?12月、私は2人目の子供が、お腹にいる事を知った。計算すると10月に出来た子。生まれ変わりだと思った。

あなたは生まれ変わりを信じますか?私は信じてます。二人目の予定日は7月7日。次男が死んだのは10月20日。享年27歳。どーしても月命日に産みたかったので促進剤をうって6月20日に産んだ。次男誕生。二人目も次男。母が23の時に次男が出来た。私も23で二人目を産んだ。偶然かな?偶然ぢゃないよね?私は今、離婚して6歳になる息子10ヵ月になる息子と暮らしてます。

子供は、よく風邪を引くので仕事も休みがち。

今、母に援助してもらい暮らしてます。母にぢゃなく次男にですね。次男の大事な、お金だから。私、よっちゃんが死んぢゃってまで心配かけてるね。風邪ひかせないように心がけて、ちゃんと仕事して自分で、なんとか出来るようにするから!バカ妹で、ごめんね!上から見ててね!二人目が生まれ変わりだとしたらママ頑張るから!また何百年後か、わからないけど兄妹になれる事を信じてます。大好きだょ。ありがとう。

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― 新着の感想 ―
[一言] 『何コレ?』というのが正直な感想です。 コレは小説の体裁を成してすらいません。 しかも、ジャンルを歴史に分類するとは……。 歴史小説は好きですが、歴史小説というジャンルそのものを侮辱されたよ…
[一言] 小文字を使うのは論外。人に読んで欲しければ常識を少し勉強しましょう。
[一言] 何なの・・・?これ
2006/06/24 22:19 目からうろこ
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