このお部屋、少々質素ですわね
「では、こちらが鍵になります」
佐藤さんが差し出したのは、見たこともないほど実用一点張りの鍵でしたわ。
装飾も、重みも、気品もない。
エレナはそれをそっと受け取り、首をかしげました。
「これは……予備、ですの?」
「いえ、普通の鍵です」
「まあ。一本だけでよろしいの?」
佐藤さんは答えませんでした。
正確には、答える気力を一瞬失っていたようでした。
ガチャリ、と音を立てて扉が開きます。
中に広がっていたのは、
白い壁、木目の床、簡素なキッチン。
右手に小さな浴室、左にトイレ。
「……」
エレナは、ゆっくりと室内を見回しましたわ。
「なるほど」
佐藤さんは、息を詰めて様子をうかがっています。
「質素ですわね」
言葉自体は穏やかでしたが、空気が少しだけ張り詰めました。
「え、ええ。まあ……その……」
「ですが」
エレナは一歩、部屋の中央へ進みました。
「掃除は行き届いておりますし、天井も落ちてきませんわ」
「それは……よかったです」
天井が落ちる前提で評価される部屋は、そう多くありません。
エレナは備え付けのキッチンに目を向けました。
「こちらが台所ですの?」
「はい。コンロは一口です」
「一口……?」
エレナは指を一本立てて、しばし考え込みました。
「お鍋は、順番待ちをするのですわね」
「え?」
「同時に調理できませんもの」
佐藤さんは、ついに何も言わなくなりました。
続いて、浴室。
「こちらがお風呂でして」
「まあ、小ぶりですわ」
「ユニットバスです」
「……?」
「トイレと一緒です」
エレナは、ぴたりと動きを止めました。
「……それは、社交的過ぎませんこと?」
「慣れます」
「慣れる、ですのね……」
エレナは深く頷きましたわ。
未知の文化を前にしたとき、人はこうして受け入れるのですわね。
部屋の案内が一通り終わり、佐藤さんは書類を取り出しました。
「では、こちらが家賃です」
差し出された紙を、エレナは覗き込みました。
「毎月……五万八千円?」
「はい」
「毎月?」
「はい」
「毎月、ですの?」
三度目で、ようやく佐藤さんは察しました。
「あの……お支払いは、毎月、です」
エレナはしばらく沈黙しました。
「……一度では、ありませんのね」
「ありません」
「……なるほど」
この瞬間、エレナの中で、何かが静かに音を立てました。
十万円。
そこから五万八千円。
残り、四万二千円。
「……光熱費は?」
「別です」
「……食費は?」
「別です」
「……生活用品は?」
「もちろん、別です」
エレナは、そっと胸に手を当てました。
「少々……想定外ですわね」
佐藤さんは、深く頷きました。
「そうでしょうね」
それでも、エレナは顔を上げ、微笑みましたわ。
「ですが、心配いりませんわ」
「え?」
「節約すれば、よろしいのですもの」
その言葉が、
どれほど壮大な勘違いの上に成り立っているかを、
この時の二人は、まだ知らなかったのですわ。




