助けを借りる勇気ですわ
朝の空気が、少しだけ重うございました。
エレナは目覚ましが鳴る前に目を覚まし、天井を見つめたまま、小さく息を吐きます。
「……本日は、ちゃんと起きられましたのね」
そう呟いた声には、張りも余裕もありません。
制服に袖を通し、昨日畳めなかった洗濯物を横目に見て、何も言わず玄関を出ました。
廊下で、大家さんと鉢合わせたのは偶然でした。
「おはよう。……顔色、あんまり良くないね」
「おはようございますわ。問題ありませんの」
即答でしたが、声が裏切っていました。
大家さんは一拍おいて、鍵を閉めるエレナの手元を見つめます。
「無理してない?」
その一言に、エレナの指が止まりました。
「無理、とは……?」
「全部一人でやろうとしてること」
大家さんは責めるでもなく、淡々とそう言いました。
「頼るの、下手だよね」
エレナは口を開きかけて、閉じました。
代わりに、視線を床へ落とします。
「……ご迷惑をかけるのは、恥ずべきことですわ」
「そうかな」
大家さんは肩をすくめます。
「続けられなくなる方が、よっぽど困ると思うけど」
その言葉は、思ったより静かに胸に落ちました。
放課後。
まんぷく亭の裏口で、エレナは立ち尽くしていました。
暖簾の向こうから聞こえる笑い声。
今日も忙しい時間帯です。
「……」
逃げるように帰ることもできました。
けれど、エレナは深く息を吸い、扉を開けます。
「山田さん。少々、お時間よろしいかしら」
「あれ、どうしたの? 今日はシフト入ってたっけ」
「いえ……その、ご相談が」
山田さんは一瞬だけ驚いた顔をしてから、頷きました。
「いいよ。裏、行こっか」
裏口のベンチに座ると、エレナは膝の上で手を組みます。
指先が、少し震えていました。
「わたくし……最近、少々……」
言葉が詰まります。
山田さんは急かさず、待ちました。
「学校と、こちらと……一人暮らしと……」
「うん」
「全部、きちんとやりたいのですわ」
「うん」
「ですが……」
エレナは、ぎゅっと目を閉じました。
「眠れない日が増えましたの」
沈黙。
風鈴の音が、間を埋めます。
「……そっか」
山田さんは、思ったより軽い声で言いました。
「それ、もう十分頑張ってるやつだよ」
「ですが……」
「シフト、減らそ」
即答でした。
「え?」
「週何日も入らなくていい。まかないは食べに来なよ」
「そんな……ご迷惑では」
「全然。辞められる方が困る」
山田さんは笑います。
「続けてもらえる形、作ろ?」
エレナの胸の奥が、きゅっと鳴りました。
翌日。
エレナは職員室に呼ばれていました。
「最近、成績は落ちていませんが……少し疲れているようですね」
担任の先生の声は、穏やかでした。
「生活状況、聞かせてもらえますか」
エレナは、逃げませんでした。
「……一人暮らしをしておりますわ」
「十五歳で?」
「はい」
「バイトも?」
「はい」
一瞬、沈黙。
しかし叱責は来ません。
「学校としても、配慮できることはあります」
「……配慮、ですの?」
「提出期限の調整や、補習の時間変更など」
エレナは、思わず目を瞬きました。
「規則の範囲内ですが、続けられる形を一緒に考えましょう」
その言葉を聞いた瞬間、
エレナは初めて、自分が少し泣きそうだと気づきました。
夕方。
アパートに戻ると、大家さんが廊下を掃除していました。
「おかえり」
「……ただいまですわ」
エレナは一歩踏み出し、立ち止まります。
「……本日、皆さまに……助けていただきましたの」
「そう」
「恥ずかしいと思っておりました」
大家さんは箒を止めました。
「今は?」
エレナは、少しだけ微笑みます。
「……続けられそうですわ」
大家さんは、それ以上何も言わず、にやりと笑いました。
「それで十分」
夜。
エレナは机に向かい、静かにノートを開きます。
完璧ではありません。
けれど、崩れてもいません。
「助けを借りるのも……立派な選択ですわね」
小さくそう呟いて、
エレナはペンを走らせました。




