胸の痛みを消す方法・モニカ 【後編】
「私と寝ませんか?」
「……はい、よろこんで……」
そう答えてしまった俺を責めないで欲しい。
最初はちょっとした好奇心。
行きつけの店でたまに見かける美人さんの会話がふと耳に入って来た。
別れた男を題材に本を書くって……エゲツな。
そう思いつつも何となく興味をひかれ、その本を手に取った。
読んでみて違う意味で驚いた。
恋人の方ではなく、その最愛の恋人を奪った女がとても魅力的に描かれていたからだ。
そこには妬みも卑屈さも存在せず、ただ愛すべき人として存在していた。
彼女の世界は美しい──
それからはすっかり心を奪われてしまった。
高嶺の花だと分かっている。それでも、彼女の世界をもっと知りたいと思った。
そんなある日、奇跡が起きた。
店に入ると彼女がいた。今日も一人だ。
何となくホッとしつつも少し空けた席に座る。
いつもはマスターとお喋りしているのに、今日は無言だ。いつものゆったりとした柔らかい笑みも無い。淡々と杯を重ねていく姿に不安がよぎる。
かなり飲んでいたが、顔色も足取りも変わらずに会計を済ませ店を出て行った。
だめだ、気になる……
ストーカーではなく、護衛もしくは人事不省になっていないか心配なだけ。そう言い訳をしながら後をつけた。
「どうして……どうして、どうしてっ!」
突然立ち止まり、切なげに苛立つ姿を見て失礼だと思いつつも哀れんでしまった。あんなに悲しんでいるのに、大声で泣き叫ぶ事も出来ないことが。
「大丈夫ですか?」
「……何が」
「あなたが、です。一人で帰れそうですか」
つい、声を掛けてしまった。
今まで見たことのない表情。柔らかい笑みは無く、泣き方が分からないみたいな、そんな顔。
「分からないの……私はどうして胸が痛いのかしら」
「……寂しいからでは?」
「寂しいのかしら。一人で生きていくって自分で決めたのに。慣れなきゃだめなの」
「それは……困りましたね。俺は貴方をひとりにしたくないです」
まるで口説き文句だ。でも、こんな状態の彼女を一人で帰すのも、誰かに任せるのも嫌だ。
「口説いてる?」
「チャンスは逃さないようにしてます」
すると突然胸ぐらを掴まれて、引き寄せようとしたみたいだけど、逆に彼女が近づいた。
「じゃあ、寂しい私と寝ませんか?」
「……はい、よろこんで……」
それから、撤回出来ないように貪るようにキスをした。彼女はまったく抵抗しなかった。
「俺の家でいい?」
「……うん、いいわよ」
どこかぼうっとする彼女にたくさん話しかけた。
「あなたが好きだ」
「俺と付き合って」
「料理も掃除も洗濯も得意だ」
「あなたの小説も好き」
「ねぇ、俺はあなただけがいればいい」
彼女を抱きながら懇願する。
「……私だけ?」
「本当に?」
「子供できないよ」
「平民になっちゃったわ」
「もうすぐ30歳なのに」
だんだんと彼女の悲しみが溢れだす。
「もっとだ、もっと声に出して、俺が全部聞くから、もっと大声で泣いていいっ」
もっともっと、全部見せて
「っ、本当は、ひとりは、寂しいのっ」
やっと言ってくれた本音。
「じゃあ、俺と結婚しよう」
「でも」
「俺のこと嫌い?」
「分からないわ」
「抱かれるの嫌?」
「……嫌じゃない……と思う」
「最初はそれだけでもいい。側にいさせて」
それから。まあ色々頑張った。
最後にはあなたと結婚するから!と叫んだので、結婚誓約書を作ってちゃんと読み上げて。これでいいか聞いたら、もう何でもいいからと泣き出したのでサインをしてもらって。この夜は彼女をたっぷり堪能して仲良く寝た。
◇◇◇
「……ちょっと待って。最初に聞いてたのとちょっと違わない?」
「そうか?」
「だって!」
それは、ベッドのアレコレで無理矢理承諾させたのでしょう!
恥ずかしくて声に出せない……
「でも可愛かったな。モニカって呼んで、裏切ったら許さないから、敬語は寂しい、あと」
「きゃーっ!」
な、何?私が言ったの?そんなことを!?
「……嘘よ、私はそんな……忘れてると思って適当なことを言ってるでしょう!」
「もう一度試すか?俺はいつでも大歓迎だ。
寝落ちする直前に、「胸が痛いの無くなった」ってふにゃっとした笑顔で言われたのが忘れられないし」
怖い。変なスイッチが入った気がするわ。
でも確かに。胸の痛みは消えていた気がする。
「分かったからストップよ。……ようするに本気なのね?」
「ああ、モニカが好きだし、モニカの作品も好き。だから一緒にいたい」
真剣な瞳が肉食獣にロックオンされた気分にさせるわね。
「じゃあ、お付き合いから」
「だめ、結婚から」
「どうしてかしら。焦ってもいいことはないわよ。少しずつ進めてもいいじゃない」
「チャンスの神様がいつまで味方してくれるか分からないから。モニカは人気があるから絶対に駄目」
「すっごい束縛男ね」
「そうしてってモニカが言ったからな」
私は何を言ったのかしら……でも。そうなのかもしれない。確実に私のものだと言える人が欲しかった。
「アベル、結婚だなんて本当に後悔しない?」
「嬉しくて興奮しかしない」
明け透けな男だこと。でも、これだけ求められると嬉しいものだわ。
エミディオは愛してくれたけど、大切なものが多かった。伯爵家、領地、領民、王宮の仕事、貴族としての義務。
貴族の地位を無くした私では、どうやっても同じ場所には立てず、別れるしかなかった。
「仕方がないわね。貴方くらいの愛が私には必要みたい。自立したいのに、それとは別で愛も欲しいわがままな女よ?」
「俺は家事は自分で出来る。家政婦が欲しいわけじゃない。モニカだから欲しい。それだけだ。貴方の見る美しい世界に惹かれた。だからずっと側にいたい。
モニカ、結婚してください」
私の見る世界が美しいだなんて、作家冥利に尽きるわね。
「……凄い口説き文句ね。違う意味で胸が痛くなっちゃうじゃない。
私の世界を大切にしてくれてありがとう。
勇気を出すまでに時間がかかる私だけど、アベルといると決断が早くなってしまうわね。
……いいわよ。結婚、しましょうか」
だってこの獣からは逃げられない。
そして、彼の側は心地良い。
会って2回目で結婚だなんて。
小説みたいだわ。




