夢幻
あの日から視界の隅には、蘭鋳の様に頭部が肉瘤で隆起した死んだ筈の女子高生が居る。何をする訳でも無く、何も言葉にする訳でも無く、ただ口をパクパクとさせて視界の隅を漂っているのだ。
眼鏡を外しても霧がかった世界の中で、ソレだけは明瞭に見えた。その青白い蘭鋳は何かを伝えようとしているのか、口をパクパクとさせている。右手に何かを握りしめ、此方を恨めしげに見つめている。
その日常に紛れ込んだ非日常は僕の心を少しずつ蝕んだ。憂鬱な気分に満たされて僕は部屋から出られなくなった。
瞳を閉じても目蓋の裏のスクリーンに記憶が映し出される錯覚に陥るから眠る事が怖くなった。だけど、あの女は相も変わらず視界に潜んでいるのだから、起きていようが、寝ていようが変わりはない。
夢なのか…。
現なのか…。
ソレも曖昧になっていく。
寝ているのか…。
起きているのか…。
ソレすらも曖昧だ。
だからなのだろうか…。また僕は…。
錆びた鉄の匂い。地面に浮かんだ赤黒い滲み。砂利と砂利の隙間から覗く肉片。
また僕は、何年も使用されずに廃墟と化したビルの前に立っている。
『夢?それとも現実?』
夢と現実の境は曖昧で、その輪郭は陽炎の様にユラユラと揺らめく。
『何で、お前が其処にいるんだ?』
死んだ女が居た。魚の様な虚ろな眼。金魚の様にパクパクと動く唇。生々しく蠢く肉瘤。血液を吹き出しながら疵痕を露出している下半身。滴り落ちる血液は腐臭を撒き散らす。その蘭鋳は、此方を視る。その瞳は白濁としていた。
【何で助けてくれなかったの?】
クチャクチャとした擬音に埋もれた聲。
【視ていただけじゃない…。】
【何で助けてくれなかったの?】
嗚咽に紛れた微かな聲。
ソレは此方に右手を差し出す。その手には、薄汚れた人形らしきモノが握られている。
『あれは?』
何処かで見た記憶がある。確か、アジアン雑貨で見かけたブードゥー人形だ。身代わり人形の意味合いがあった気がする。その人形の左眼のボタンは外れかかっている。
【何で助けてくれなかったの?】
唐突に、脳内に鳴り響く断末魔の悲鳴。
そして…。
女は…。
煙の様に消えていった。