渦巻く想い。
静寂が辺りを包み込んでいる。此処は此の世ではない場所。聞こえるのは僕の呼吸の音。僕の鼓動の音。総て僕自身から奏でられている音。視界に入る景色は薄暗く、視界は陽炎の様に曖昧だ。
肉体も精神も、恐怖で麻痺している。
コツコツ…。コツコツコツ…。背後から足音が聴こえる。振り返ってはいけない。振り向いてはいけない。そう意識をすればする程に、神経は研ぎ澄まされていった。
現在まで耳に伝わらなかった【女の啜り泣く聲】が聞こえた気がした。駄目だ。気にするな。考えとは裏腹に、肉体は聲のする方向へ反応する。右斜め後ろ。
視るな。視るな。視るな。幾度と無く自分に、そう言い聞かせる。しかし、精神と肉体は切り離されたかの様に別々に稼働してしまう。
視界に映り込んだのは、少し離れた位置に居る【死んだ女】だった。魚の様な虚ろな眼。金魚の様にパクパクと動く唇。隆起した肉瘤。血液を噴き出しながら、生々しい疵痕を露出している下半身。滴り落ちる血液が腐臭を撒き散らしていた。
【何で、助けてくれなかったの?】
女は啜り泣きしながら近付いてくる。恐れが肉体を支配していく。痙攣にも似た震えが止まらない。
【見ていただけじゃない。】
【何で助けてくれなかったの?】
嗚咽にも似た心の叫びが木霊する。怖れが精神を支配していく。正常な判断は出来そうも無い。
其奴は…。
ゆっくりと…。
近付いてくる…。
其奴は…。
右手に人形を持っている。
左眼が壊れた人形。
『やめろ。』
血生臭い匂い。
『来るな。』
錆びた鉄の匂い。
『やめろ。来るな。来るな。来るな。』
【幽霊とは何だ?】
断片的な言葉が渦を巻く。
死んだ人の想い。死んだ人への想い。存在するモノ。存在しないモノ。自分の世界。他人の世界。自分の想像。他人の想像。生きている人。死んでいる人。確認出来ない。判断出来ない。生態。体温。感情。彼の世の存在。此の世の存在。
【殺せる。】
『殺せる?』
あぁ…。
あの蘭鋳を…。
殺したのなら…。
もう見なくてすむのだろうか…。
だから…。
だから僕は…。
傍らに落ちていた…。
コンクリートブロックを手に取った…。