回帰
意識が戻ると、此処に居た。錆びた鉄の匂い。地面に浮かんだ紅黒い滲み。砂利と砂利の隙間から覗く肉片。
僕は何年も使用されずに廃墟と化したビルの前に、立っている。此処は、あの娘が死んだ場所。あの娘が生を終えた場所。
『何で、僕は此処に居る?』
『星月さんと逢っていたのではないか?』
『今までの出来事は…。』
『脳が見せていた幻だったのか?』
『幻だったのなら…。』
『夢だったとしたのなら…。』
グヂャッ。静寂な空間に異質な音が産まれる。その音は世界を歪めた。すると、瞳に映る世界は姿形を変える。
赤黒い滲みは鮮やかな血液へと変化していく。錆びた鉄の匂いは更に強くなり、鼻腔を刺激した。血液は地面に拡がり、その面積をユルリと拡張していく…。
嫌だ。厭だ。イヤだ。
ゴボッ。血液が音を奏で、表面張力を形成する。有り得ない光景が、僕の目の前で繰り広げられる。
嫌だ。厭だ。イヤだ。
ビチャッ。ビチャッ。ビチャッ。
ユックリと少しずつ…。
ソレはの形を成していく。
魚の様な虚ろな眼。金魚の様にパクパクと動く唇。隆起した肉瘤。血液を噴き出しながら、生々しい疵痕を露出している下半身。滴り落ちる血液が腐臭を撒き散らしていた。
僕の眼前、手の届く場所に…。
其れは産み堕ちた。
『幻だったのなら…。』
『夢だったとしたのなら…。』
『何で、お前は其処にいるんだ?』
夢と現実の境は曖昧で、その輪郭は陽炎の様にユラユラと揺らめく。
【何で助けてくれなかったの?】
クチャクチャとした擬音に埋もれた聲。
【視ていただけじゃない…。】
【何で助けてくれなかったの?】
嗚咽に紛れた微かな聲。ソレは此方に右の手を差し出した。その手には薄汚れた人形らしきモノが握られている。
『あれはブードゥー人形。』
『身代わり人形…。』
【何で助けてくれなかったのよ?】
僕は其奴に触れる。
唐突に、脳内に鳴り響く断末魔の悲鳴。
そして女は煙の様に消えた。
パキッ…。心か、頭の片隅か…。何処かで何かが壊れた音がした。