証文の行方
「さくらちゃん!ちょいと!大変だよ!」
何年かぶりに心地よい夢を見ていたあたしは同じ働く飯盛り女のお菊ちゃんに叩き起こされた
飯盛り女なんて幸せもなにもない生き方をしてる女には夢見るときだけが幸せになれるというのにいったいなんの騒ぎだろう
「なぁにお菊ちゃん・・・私まだ・・・」
「そんなことよりあんたが昨日ついた頭巾の旅人さんね、今朝方出ていくとき酌代だってあんたの身請け料の100両置いていったってさ」
寝耳に水とはこのことである、なんで私みたいな飯盛り女にそんな施しをしてくれたのだろうか
そんな疑問よりまず弥二郎さんを探さないといけないと思い居ても立っても居られずに私は寝間着のまま表に飛び出していったが弥二郎さんは既に旅立っていた、旅慣れた渡世人に女の足では到底追いつけない
一言お礼を言いたかったのに・・・何故こんなに親切にしてくれたのかも聞きたかったのに・・・
弥二郎さんは遠い昔に生き別れた兄さんのように温かい人だ、そんな弥二郎さんにどうしてももうひと目会い、さくらのそんな思いも虚しく弥二郎の三度笠は鹿沼の宿を駆け回っても見つけられなかった。
トボトボあるいて旅籠に帰ると鹿沼宿を取り仕切る「鹿沼の権六」というヤクザの親分がうちの旅籠の女将さんと話し込んでいた。
「するってぇとなにかい、その旅ガラスが理由も言わずに100両ぽんとおいていったと?」
「そうなんですよ親分、身請け料を聞くなりぽんと置いていったんで思わず証文渡しちまって・・・」
「馬鹿野郎!利子ってもんがあらぁな、おぅ、その旅ガラスとっつかまえてきな」
ニヤリと悪そうな顔をすると権六は顎をしゃくって子分のヤクザに命令した、嫌な予感がする・・・
「あ、あの・・・」
嫌な予感がしたさくらは親分と女将さんの間に割って入った
「あたしの身請け料を旅人さんが払ってくれたんならあたしは自由になるんでしょ?」
さくらがそういうと親分は鼻で笑ってさくらの顎をくいっと掴むと
「生憎だがなぁ・・・おめぇっちの身請け料には利子がついてあと100両貰わねぇと自由の身にはなれねぇのよ」
「そ、そんな・・・そんなの・・・そんなのあんまりじゃないのさ!!!」
「なにを!?うるせぇ馬鹿野郎!!!文句あるなら100両もってこい!!!」
”バシッ!!!”
さくらの顔を権六の手が思い切り張った
弥二郎さんのような渡世人もいるのにこんなに理不尽を働く渡世人の風上にもおけないような極悪非道のヤクザもいる、あたしはあまりにも理不尽な仕打ちを呪った
女将さんは親分の言いなりであてにならないし、わたし一人じゃどうにもならない・・・
あたしは泣いた、泣いて泣いてお菊ちゃんに随分迷惑をかけた・・・やっと自由の身になれると思ったのに糠喜びになってしまった絶望と悲しみで気が狂いそうになった。
やっと落ち着いた私を気遣ってお菊ちゃんが甘酒を買ってきてくれたので慰めの言葉をかけられながら私は弥二郎さんとの事をお菊ちゃんに話していた。
「ふぅん・・・そういう渡世人も世の中にはいるんだねぇ・・・ところでさくらちゃんの兄さんってどういう人だったんだい?」
遠い昔の記憶であるがあたしが唯一心を許した忘れようとも忘れられない兄さんの記憶・・・
思い出すと辛くなるのでなるべく思い出さないようにしていたが思い出すようにあたしはお菊ちゃんに語りだした
兄さんとあたしは野州宇都宮の生まれ、由緒ある旗本家に生まれたもののあたしはメクラで兄さんも奇病を患っていて随分家ではいじめられた、飯を食うのが遅いと兄さん以外の兄弟に殴られ、家の恥だと親に疎まれてまともに飯も食えなかった。
兄さんの名前は「小吉」ってんだけど、病気で顔の形がめちゃめちゃになってしまってね喉もやられて兄さんいつも苦しそうだった・・・人から化け物とか怪物とか随分ひどいことを言われてた
もっとも私もメクラで杖ついてあるいてたから兄さん同様に石を投げられたり罵詈雑言を浴びで随分なめにあってた
毎日泣いて死にたいと思ってたけど兄さんは何にも言わず私が泣き止むまで手を握って草笛を吹いてくれた・・・・兄さんの手は病気に侵されてないみんなと同じ手で兄さんの手も温かったのをよく覚えてる、兄さんは目が見えないわたしのために桜の枝で杖をこしらえてくれたり近くの山に連れて行って鳥の声や山の匂いを教えてくれてかけがえのない存在だった。
あたしが14になった頃に家に女衒が来てね、あたしを無理矢理連れ去ろうとして理由もわからずいきなり男たちに引っ張り出されて嫌だ嫌だといっても聞き入れられず、親兄弟も何も言わない助けてもくれない・・・私は泣き叫んで小吉兄さんの名前を叫んだ
兄さんは家宝の「来国俊」を掴んで女衒を叩き切った、心優しい兄さんが私のために人を殺めた。
あたしは親に売られたんだ・・・その事実と兄さんを人殺しにしてしまった事が申し訳なくて泣くことしかできなかったけど兄さんは泣いてるだけのあたしの手を取って
「旅にでよう」
そう言って兄妹水入らずの旅が始まった、兄さんとの旅はあたしの人生で一番心穏やかな一時だった・・・目がみえなくとも旅の情景は心に残ったし何よりアテのない旅でも楽しかった
でもそんな旅も1年足らずで終わってしまった、というのも旅先であたしの目を治してくれるお医者様にであってね、兄さんは治療代を稼いでくるといって私一人を置いてそれっきり・・・
兄さんはお金を毎月送ってくれるだけで姿を見せずじまい、手術のほうはうまく行って私の目も開いた・・・目が開いたときはそりゃあ嬉しかった、でも開いた目で兄さんをみることはできなかった。
たった一人の肉親だと思ってる兄さんがどうしていなくなったのか、私にはそれがどうしてもわからなかった・・・
目が良くなって今後の身の振り方を考えてたとき私の目の治療をしてくれた医者が働き口の世話をしてくれたんだけどその医者は腕は良いけど畜生野郎でね・・・目が開いたばかりで右も左も分からないあたしを金欲しさに女衒に売ったのさ、治療費は兄さんにたんまりもらってるのに・・・私はまた他人が信じられなくなった。
さくらの生い立ちをとっくりと聞かされたお菊は同情しつつも慰めの言葉をかけることができなかった、あまりにも不憫なさくらにかける言葉が見つからなかったからだ
「お兄さん・・・一体何処で何をしてるんだろうね?」
「さぁ・・・私の治療費稼ぐために随分苦労したと思う、兄さんには生きていて欲しいけど手がかりもないし・・・」
「弥二郎さんがお兄さんだったらよかったのにね」
「そう・・・ね、でも弥二郎さんは兄さんみたいだけど兄さんじゃない、生まれも違うし兄さんの手とも違ってた」
儚い望みも今となっては水泡に帰してしまった、また元の泥沼のような生活に戻るしかない。
弥二郎さんも兄さんもいったい何処にいってしまったのか・・・いつもあたしだけが置いていかれる
鳥のように自由に羽ばたいていけたらどんなにいいだろうかと考えても結局は籠の中の鳥になってしまう自分の境遇を呪うしかない人生に一段と嫌気がさした。