異能の“使い方”について
先に紹介したサバイバーもそうだが、
異能というのは、本人の『使い方次第』で強くも弱くもなると思う。
『エンヤ婆』から色々教わって自身でも色々試していたディオも、『スタンドに強い弱いの概念はない』と表現している。
それは言い換えるならば、『誰のどんなスタンドであろうと脅威となりうる』というディオの哲学なのではないか。ディオのこの性格は、おそらく自身と『ジョナサン』との関係性に端を発していると思われる。
本稿では、異能の“使い方”について考えてみたい。
例えば、
『使い手が変われば強い』代表として
虹村億泰の『ザ・ハンド』がよく挙げられる。
筆者の意見としては、
億泰のザ・ハンドの使い方は、
『この上なく正解』だと思う。
ザ・ハンドは
『発動、即、消滅』という恐るべき能力だが、
億泰は自分の能力を
『瞬間移動』に使ったり、
『フェイント』に使ったり、
『仲間を助ける補助』として使ったりなど、
“一個の異能を状況に合わせて使い分け”
をしている。
これに対して、例えば
形兆の兄貴の能力は、
“能力を複数の手段(ミサイルやら地雷やら)に振り分けている”為、『能力の細かい操作』が追い付かずに仗助に敗北してしまった。
(おそらく、形兆の兄貴の能力は
『型に嵌めれば強い』タイプなのだと思う。
『屋外』でゲリラ戦とか)
この
『色々出来るが故に
処理が追い付かないで敗北した』
というのは、注目すべき事のように思われる。
筆者が思うに
『異能の振り分け方』が
大事なように思われる。多分。
億泰が持つ、“一個の能力を状況に合わせて使い分け”るという『柔軟性や発想力』は、手数の多さ以上に異能を扱う者にとって重要な感性であるように筆者は思う。
手数の多さではなく、
『出来ることを何に振り分けるか』。