第18話 百式観音とは何なのか?
ネテロのオーラ系統は『強化系』らしい。
それも、飛行船から飛び降りて片足で着地できるくらいの桁外れのやつ。
そんなネテロが使う念能力にして奥義、“百式観音”も『なんらかの強化系能力』だと考えるのが自然な気がする。
しかし、“百式観音”は具体的に何を強化しているのだろうか?
そもそも、“百式観音”とは何なのか?
なんで、強化系なのに観音様を具現化するの?
ていうか、そもそも何やってんのアレ?
本稿では、マンガの中の描写をもとにして、『強化系のままで百式観音が成立する方法』と『なんで観音様を具現化するのか?』という謎について紐解いていきたい。
●マンガの中の百式観音の描写
・ピトーをはるか彼方までふっ飛ばす描写。
『ネテロの体から離れた場所から突然なんらかの攻撃が現れて、ピトーを吹っ飛ばす』。
・メルエムを攻撃する描写。
『メルエムの行動速度の方がネテロ本人よりも速い(合掌は例外)にも関わらず、百式観音の攻撃の方がメルエムの攻撃よりも先に届く』。
これらの百式観音の描写を見たとき、筆者は
時間とか空間を超える特質系の攻撃なのかな?と、最初は思った。
しかし、よくよく考えてみると、
『強化系のままでも、“発”を限界まで極めればできそうだな…』
とも思った。
たとえば、以下の方法はどうだろうか?
●筆者が思う百式観音の攻撃原理
【1】百式観音の攻撃の形を仕込んだ“オーラの核”を『高度な隠』で隠した状態で、予め周囲の空間に『別々の形で複数(百個?)』配置しておく(ピトーの能力のように、制約と誓約を使ってオーラの核を自分の体から『つかず離れず』で配置する)。
【2】ネテロ自身が超スピードの『合掌の動作』を《《あえて相手に見せる》》ことによって、攻撃の起点を相手に誤認させる(『修羅の門』のイグナシオ・ダ・シルバが使った“超ハイテクニックな猫騙し”みたいな感じ)。
つまり、ネテロの合掌の動作=百式観音の攻撃のトリガー《《ではない》》。
【3】予め周囲の空間に仕込んでいる攻撃の形のどれかを『相手の《《意識の死角》》から適宜発動』させることで、相手からしたら“空間を超えて瞬間的に攻撃”したかのように錯覚させる(攻撃の照準はネテロが適宜修正する)。
【4】敵の死角から観音の掌による攻撃を“先に当てた直後”、“掌から先に”百式観音本体を瞬時に出現させる(つまり、掌による攻撃ヒットが先で、《《百式観音本体の出現が後》》)。
百式観音を出しっぱで攻撃する場合には、死角からの掌による攻撃ヒットが先で、《《百式観音本体の行動は後》》。
【5】ネテロ本人の肉体に染み着いた『武の動き』と『植物の域の静かな心』でよどみなく1〜4を行うことで、相手に“百式観音の攻撃は時間と空間を超えて突如出現する”と錯覚させる(というよりも《《疑問を持たせない》》)。
具現化された観音像という“百式観音の形”はただのブラフであり、実際は『強化系(敵の死角を看破する洞察力と、ネテロ自身の武的動作の長年に渡る強化)』と『放出系(攻撃の形を込めた複数のオーラの核を作り自分の周囲に長時間配置する)』と『変化系(複数のオーラの核を敵の目から同時に隠す)』を軸にした『《《敵の意識外からの攻撃》》』。
言葉にすると手順が少し複雑になるが、それが筆者が考える百式観音の攻撃原理である。
つまり、『百式観音本体(…に見えるもの)そのものが、巨大な虚』であり、『観音の掌による攻撃の方が実』。
相手からすれば、観音の動き(虚)を目で追うほど、観音の掌の攻撃(実)をカウンター(先の先や後の先)としてくらってしまうことになる。
そう考えれば、
『すごく武術的な考え方(カウンターと虚実)』を出発点にした能力だと言える。
●『合掌』の必要性
ネテロは奥義“百式の零(零の掌)”を繰り出す際に、合掌の動作なしで発動させている。
このことから“合掌そのもの”は制約条件でも攻撃発動のトリガーでもなく、『《《高度なフェイント》》』の一種だと考えられる。
上記1〜5の手順によって、“ネテロの合掌をトリガーとして”、“ネテロの背後の百式観音が掌で攻撃してくる”と誤認している敵は、自然と『ネテロの合掌の動作』と『百式観音本体の動き』を優先的に目で追うはず。
しかし、実際の掌の攻撃は『空間に予め仕込んでいるオーラの核』から出現しているので、ネテロの合掌の動作や百式観音の本体(像)に注目すればするほど掌の攻撃に当たってしまうことになる。
むしろ、ネテロの合掌の動きを《《目で追えてしまう》》レベルの武の達人ほど、この罠には必ず引っかかってしまうだろう。
●百式観音の形
百式観音は全体的には複雑な形状に見えるが、その関節というかパーツパーツをよく見てみると意外とシンプルな形状をしている。
この『シンプルな形』というところに注目してみたい。
“精度60%の具現化系”のリソースを活かす為に、あえてシンプルなパーツ同士を組み合わせて、メルエム曰く“傀儡の拳”として『予め攻撃の形を決めておく』ことで“精度60%の操作系”でも『観音像の形=巨大な虚』を瞬時に発現できるように形成しているのではないだろうか。
観音様を具現化する理由は、
『巨大な観音の像(虚)』と『ネテロの合掌のフェイント(虚)』とを組み合わせて使うことで、攻撃そのものの起点(観音の掌=実)から敵の目を逸らすのが目的。
その他の可能性として考えられるのは、
『ネテロにとっての“武のイメージ”』だろうか。
武への感謝の心を持つネテロからしたら、“千手観音(衆生を救うために手がたくさんある)”と“武道(人々を守り育てるもの)”のイメージが結びついて、自然と『百式観音の形』として顕れたというのもあり得る気がする。
いずれの場合にしても、
百式観音と向かい合う相手からしたら、
・『ネテロの合掌』と『観音本体の動き』を目で追えば追うほど、攻撃の出が分からない。
・百式観音本体は『ネテロの背後』にいるのに、いつの間にか『ネテロの前方にいる自分』に攻撃が当たっている。
・ネテロ自身の心理が全く読めない。
・百式観音のどの掌が攻撃してくるのかが分からない。
という混乱した心理状態のまま、一方的に攻撃をくらうことになるのだろう。
●ネテロ自身の意識と無意識について
もしかすると、ネテロ自身からしたら“百式観音”という能力自体が“無意識的な発露”なのかもしれない。
近い例を挙げると、北斗神拳の奥義“無想転生”だろうか。無想転生も北斗神拳伝承者による無意識下での“武の体現”だったと記憶している。
無意識的な技の発露。
敵からしたら、《《だからこそ読めない》》ということもあるのかもしれない。
●要するに百式観音とは
攻撃の原理的には、いくつもの念能力系統を組み合わせた『高度な複合能力』。
しかし、その本質とするところは幾重にも張り巡らされた『《《武術的要素》》』の塊であり、ネテロ自身の『心と身体に染み着いた武の顕現』。
ネテロが長年培ってきた武術体系を、
念能力で限界まで引き上げた“集大成”。
それが“百式観音”なのではないか。
【総括】
“百式観音”とは。
武道・武術における
・『長年に渡る自己の鍛錬』
・『意識と無意識』
・『虚実』
・『攻撃の形』
・『カウンター』
これらを限界まで極めた『究極の強化系』念能力。
それが筆者の一つの考えである。
これが正しいと主張するつもりではなく、
『強化系のままで百式観音を成立させる方法』
が筆者には他に思いつかない。
ネテロ自身のたゆまぬ修練の結果、“本気で戦う時のみオーラが特質系に変化し、百式観音が発現する”というのもアツい解釈だとは思う。
しかし、
もし、筆者が考えたやり方が可能ならば、
他系統の能力にも、それぞれに『極まった形』が存在しそうに思える。
『念って奥が深いな…』
そう思う次第である。
同じ結果を実現するにも、
『やり方はたくさんある』。