三話 母の苦悩
あれからまた八年経ち、俺は無事にふたりの子ども達の母になっていた。
幸せなことに、卒業してすぐに一人目の子どもを育てられることになったのだ。
体に埋め込むマイクロチップ型の国家資格合格証書と共に一軒家をもらい、長男のサツキと共に移り住んだ。
どんなに訓練されていても虐待や育児放棄は起こってしまうため、合格証書であるマイクロチップは施設が常に監視するために母に埋め込む物だ。
これは引退しても外されない。
子どもの名前は、母が付けることになっている。
俺の名前はすでに母が決めていたが、俺は子ども達と決めた。
しかし、実際の子育ては訓練と全く違った。
俺は正直衝撃と困惑の毎日を送っている。
「ちょっと! 早く支度してくれよぉ。ランチ遅れちゃうじゃんか」
「やだぁ! おにいちゃんがぼくのカバンかくしちゃうんだもん!」
「ムツキがもたもたしてるからだろ?」
上は八歳、下は五歳と俺は可愛い子ども達と一緒にランチに行くための準備をしていた。
しかし、なかなか進まないのが常なのだ。
「あぁ、サツキ、どこに隠しちゃったんだよ?」
「ママが探せたらオレのハナクソあげる!」
「いらんわ!」
こしょこしょで尋問をしていたら、あっという間に出なければならない時間となり、俺はママ友に連絡する羽目になる。
これも常で、ママ友は心得ていた。
「そんなことだろうと思って、シュウジ君の家に来ちゃいましたぁ」
「きちゃいましたぁ!」
ママ友ので同期のアキナが愛娘で六歳のナツナを連れ、俺達の家に遊びに来てくれた。
アキナは試験に落ち、もう一年施設で訓練した後、一年間は施設の中で働いてから母になった。
「ほんとサンキュ。これだとあと三時間は出発できなかった」
「いいえ。シュウジさんのお家のキッチン、お料理しやすいから好きなんです。ランチの材料も買ってきたんで、よかったらみんなで作りましょう!」
「いぇい!」
「ぼくもつくるぅ!」
「あたしもぉ」
それからみんなでパン作り。
子どもが三人も揃えば、料理を作るというより工作で、焼き上がる時にはおやつに近い時刻になっていた。
子ども達は食べ終えるとはしゃぎ疲れたのか、三人で寄り添いお昼寝をしていた。
俺とアキナは、我が子の寝顔を見ながら、苦笑する。
「眠っちゃうとマジ天使なんだけどなぁ」
「本当に。起きてたら、気が休まらなくて」
「女の子でもそうなんだぁ。可愛い分、思い通りにいかないからもう気が狂いそうになる」
「分かります……」
アキナは、ふっと辛そうな顔をした。
「お母さんになりたかったはずなのに、時々辞めたいって思うんです。シュウジさんみたいに、二人目を育てているわけでもないのに……」
「俺はただ体力があっただけさ」
と、俺はおどけてみせた。
しかし、二人目を育てて、後悔をしなかったわけではない。
競争と比較が勝手に俺の中でできてしまっていた。
ひとりができて、もうひとりができないはずがない――なんて母の勝手な妄想だ。
全く違う命なのだから、それぞれが違う特性があることが当たり前。
俺はそんな時、思い出の中の母に問うのだった。
母は、何かを伝える時には決して兄弟を持ち出さなかった。
子どもが伝える術をなかなか見出せないなら、子どもができる最善の策を母として考えていた。
でも、それがどんなに難しいことなのか、俺は母になって気付いた。
どうしても比べて、怒ってしまう。
「一番何が辛い?」
俺が問えば、アキナはふっと表情を曇らせて、首を小さく横に振る。
「辛いなんて……いえ、何が辛いのか分からなくなってるのが、ちょっと怖いって」
「それは怖いな……」
「成長はとっても楽しみで、ナツナのこと、よく知りたいのに、分かってあげたいって思うのに、ナツナが私のことを分かってくれないってもどかしかがあって……こんなの私のエゴなのに……」
「エゴなんかじゃないさ。そうだよなぁ。子どもって自分がまず先だもんなぁ」
産みの親なら分かるのだろうか。
もっと小さい頃から一緒にいられたら、お互いに意思疎通ができるのだろうか。
いや、きっとそんなことないんだろう。
アキナの気持ちは確かに分かるが、彼女の怖さの根本を知ることはできない。
大人同士ですらそうなのだから、人間同士の意思疎通など幻想に過ぎないのだ。
「ママ……」
「ナツナ、起きちゃった? そろそろお暇しようか」
「おいと?」
「帰ろうって意味よ」
ナツナのぼぉっとした寝起きの顔を見たアキナは、辛さを隠して、母の微笑みを見せた。
ナツナがにっこりとそれに応える。
「うん、かえる!」
「もう、お家大好きねぇ、あなたは」
それは、懐かしい響きに聞こえた。
『もう、最後まで憎まれ口叩くのは、あなただけだわ』
サツキとムツキもそろそろ起きるだろう。
俺も夕飯の支度をしよう。
「何かあれば、また来いよ」
「ありがとう、シュウジさん。ええ、また」
「ばいばい、シュウジママ」
「バイバイ、また遊ぼうね、アキナ」
手を繋ぎ帰っていく母娘を、サツキが起きてくるまで俺はずっと見詰めていた。
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