二話 母の試験
あれから五年が経った。
俺は母になるための国家資格を取るために施設に戻っていた。
五年間施設で訓練をし、最難関と呼ばれる試験を通った者だけに与えられる母の国家資格。
俺は母が引退した次の日に施設の門を叩いた。
なぜかは自分でもよく分からなかった。
試験を明後日に控えた俺は、部屋で教科書を読むでもなく、かといって実技の練習をするでもなく、簡易ベッドに横になり天井を眺めていた。
母さんなら、今の俺のように緊張と不安に押し潰されそうな子どもを前にしたらどうするんだろう?
いや、どうしてくれていただろう?
一番共有したい人物のいない思い出を、俺は思い返していた。
「シュウジ君」
不意にノックと呼び声が聞こえ、俺は上体を起こす。
「どうぞ」
そう返すと、おずおずと一人の女性が入ってきた。
女性というにはまだ幼いような雰囲気がある。
「どうした? アキナ」
「あっ、いや……シュウジ君、何してるかなぁって……ごめん、明後日試験なのに」
「いいよ。見ての通り勉強してなかったし」
俺はベッドから起き上がり、手で椅子を示した。
アキナはまた「ごめん」と言いながら、そこへ座った。
「最終試験まで残ったの、結局十人ちょっとだね」
「ああ」
同期は百名近くいたはずなのに、厳しい訓練に脱落者が多いのもこの母になるための国家資格だった。
新生児と呼ばれる生まれたばかりの赤ん坊と一週間過ごすという訓練で、抱っこした瞬間の弱々しい体に恐怖し、責任の重さに耐えかねて大半が辞めていくのだ。
俺はというと……
腕に抱いたふにゃふにゃの赤ん坊に自然と涙が流れた。
可愛くて仕方がなく、終わる一秒前まで担当の赤ん坊にずっと話かけていて、最後は教官に『おまえは母になるより施設の管理者になった方がいいじゃないか?』と呆れられた。
それもいいかもしれない、と思った。
ものすごく臭い下痢気味うんこをした時も、まったくミルクを飲まずに泣き続ける時も、腹が立つこの方が多かったが、最終的には『この子はこうやって今を生きているんだ』と思うと、ただただ愛おしさが勝ることが不思議だった。
が、俺はやはり母になりたかった。
「シュウジ君のお母さんって、どんなひとだったの?」
「えっ?」
急に問われて、俺はすぐに答えれなかった。
俺のお母さんはもういないのだから。
でも、誰かと話したい欲求はあった。
「好きなことをするひとだったよ」
話したい割には、それだけで彼女は表せた。
「アキナのお母さんは?」
「お料理がとっても上手なひとだったわ。あと、歌も」
「兄弟はいたの?」
「ええ、私の下に三人。私ははじめての子どもだったみたい。でも、お母さんはいつも優しくて、笑顔が絶えない家だった。今でもそうだと思うわ」
そこまで言って、アキナはハッとした。
「あっ、ごめん。わたしから訊いたのに、結局自分の話しちゃって……」
「ううん」
俺は笑った。
純粋に羨ましかった。
アキナのお母さんは、まだお母さんなのだ。
「シュウジ君?」
アキナの手がそっと背中に触れた。
その時、俺はやっと自分が泣いていることに気が付いた。
「わりぃ……」
アキナは首を横に振って、ただ俺の傍にいた。
「シュウジ君のお母さんは、素敵なひとなのね」
俺は何度も頷いた。
俺が母になりたい理由は、簡単だった。
俺は、彼女に憧れていたからだ。
俺という存在を愛してくれた彼女のように、なりたかったんだ。
勝手に引退を決めた母だったけれど、それでも俺にとって――
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