Chapter121. With joy and sorrow
タイトル【喜びと悲しみと】
最初に異変に気が付いたのはコノヴァレンコだった。
彼は乗り物を乗り回したいという欲求から、手ごろな車両はないかと本部拠点に帰投していた。
最近はゲンツー周りの管理者を任されたお陰もあり、それなりに多忙である。
それに狭い街中を吹っ飛ばすような趣味はない。中尉はモナコレース否定派だからだ。
しかし移動するのにしか使わないため、本部拠点に置かれている自動車は日本の軽自動車ばかりである。
「シケた車ばっかだな…なぁオイ、もっと心が躍るような車は…お、プロボックスか、わるかねぇ…」
そんな彼が手を付けたのは殿下に与えられたプロボックスだった。
日本では社用車としての側面が強い車だが、その実態は恐るべきトルクを持ったお手軽暴れ馬である。
お目当ての車を見つけ、何気なくボンネットを開けた時に異変に気が付いた。
「…エンジンが…ない…!よしてくれよ、足回り全部なくなってやがる!」
そこにあったのは車の姿をした抜け殻だったのである。発動機を見るためにはそこまでやる必要はない。
コノヴァレンコは乗り物に誰よりも詳しく、こだわりを持つ男である。
こんな事が車として許されると思うのか。
一体、殿下専用に見繕ってもらったこのプロボックスに一体何があったのか。
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殿下専用の自動車に起きた問題、その発端は当然ソフィアだった。
「…うーん。やはりここがネックになってきますね…」
彼女は鉛筆を片手に製図していた。
新しく自動車を作るためだろうか、だがその図面に掛かれていた物体は羊羹のように細長い物体。
車は車でも鉄道車両だった。
本部拠点を行き来する大量輸送のパイオニア、ハリソン鉄道に彼女の魔眼が向けられるのは不自然なことではなかった。
しかし相手は毎日運用している車両。
見学しようにもじっくり見る機会なんてまずないし、整備に携われるのかどうかも怪しい。
駆動音からしてエンジンが付いていることは理解できたため、大まかに図面を引いてみた。
だが鉄道車両を構成する要素は車体だけではない。
動力となるエンジン、運転する機器類や灯火。
車体は木造で問題はないものの、帝国や自分の工作精度ではどうしても動力となる発動機や台車と言った「足回り」が作れなかった。
見込みがない訳でもなく、エンジンは馬力とスピードが出るプロボックスから流用すれば良いと考えたまでは良かった。
一難去ってまた一難、台車という大きな壁が立ちはだかった。
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鉄道と言うものが存在しない帝国にとって馬車や、今まで見てきた自動車の駆動方式と根底的に異なる機構は苦難のタネである。
これまでソフィアが類稀な才能を発揮してコピーできたのは図面があってこそ。
見ただけで複製できるほど便利なものではない。
「動力を伝えるまではいいのですが、問題はどうやって車体と接合するか…。」
一部のピースが揃わなければ工業製品として成立しない。臓器を摘出された人間のように。
カバーをかぶせ屋外に放置したエンジン類を尻目に、彼女は専用に設けられた製図台の上で悩み続けていた。
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そんなある時、何気なくイグエルがソフィアのいる部屋に足を踏み入れる。
「ちょっとくらい顔を出したって悪くはないだろう、入るぞ」
あの頃と同じく何気なしに扉を開け、積る話の一つでもしようかと思ったが、イグエルが目の当たりにしたのは今までに見たことのない光景が広がっていた。
机にかじりついて何かを記していることは良くあることだったが、身体から出ている空気や執念がまるで違う。
しいて言うなら悪霊や悪魔に憑りつかれたかのようである。
「…え、何をしていらっしゃるんですか」
思わず他人行儀になりながら机を覗き込むと、まるで見たことのないモノを記しているではないか。
馬車らしいものに違いないが、車輪がまるで見当たらない。書きかけという事でもなさそうである。
「ちょっと図面を」
ソフィアはそう答えた。
確かにその通りだが、ただならぬ様相で得体の知れないモノを書いている姿は正に異端と言っていい。
イグエルの眼差しが家族に向けられるものではなく、次第に異教徒の狂人を見るようなものに代わっていく。
「え、だから何を」
狂行を前にイグエルは語彙力を失う。
珍妙な馬車以上に揶揄できない物体を設計しているのだ、無理もない。
「自走客車を少々。」
聞いた自分が馬鹿だった、彼女は心底そう思った。
この世界において馬がなければ走れないのが常識。
外を走る車両は悪霊でも取りついて動いているのだろう。
異界の人間たちの物体ならそれくらい出来てもおかしくない。
「はい?」
「だから、引き抜いてきたエンジンをどうにか床に格納して…」
住む世界が違うと会話が通じないとは正にこのこと。
サングラスをかけた少女であるイグエルにとって理解を拒むことばかりだ。
あくまで車輪がついたものは牽引や押さなければいけない。
魔力を使っても帆を着けなければならないし、一人でに動くには幽霊なりが取りつかなければ不可能。それが世界の道理なのである。
これが姉妹の決定的な違いだろう。
動力をつけるという発想は18世紀にならないと出て来ないのだから。
ソフィアはそんな彼女に対し説明を繰り出そうとし始めた。
「いいですか。世の中にあるものは魔力で動いているのもそうですが、決して幽霊とかそういったまやかしで動いているのではなく——」
「やめてくれ、いいから。」
聞いた方もそうだが、これ以上理屈を重ねるとイグエルの頭は容易くパンクする。
そう感じたのか話を切り上げてしまった。
聞くに堪えないのだ。
この既定現実の真実も帝国側から聞けば陰謀論の一つにしかとらえられないこともあるように。
何もかもがすっかり変わってしまったのだとイグエルは思った。
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———ウイゴン暦 7月 12日 既定現実 7月 19日
——ジャルニエ県ハリソン市街地
それと時を同じくして、学術旅団は珍しく総員外に出ていた。
ついにプレハブを二つ連ねただけの臨時拠点からまともな建築物に引っ越ししていたからである。
前々から廃墟となった場所を取り壊して、そこに建て替る予定があったものの、ギンジバリス港湾の改築で遅延したことでようやく日の目を見る事が出来た。
「ようやくやってきた、ついにこの日がやってきた。プレハブ二階建て、クソ暑い中PCを使ってるも電力系の弱さでエアコンは持ち腐れ!それも終わる!こんな所で研究してよく成果を挙げられてたな!」
大方の搬入を終えた海原は新拠点を前に嘆く。
薄い鉄板で断熱性はお飾り程度。
電源は小さな発電機一つで、PCや「U.Uクラウドサービス ジロウ」に接続するインターネットを維持する程度は出来ても、いざ冷房を使うとブレーカーが落ちてしまう環境。
電力について、データが停電で吹き飛ぶことを考えなくて済む。
これほどまで嬉しいことはないだろう。
連日作業が遅延し続けており、冬を迎えるのではないかと思ったが何とか完成したのが幸いだ。
「さて、喜ぶのはここまでだ。」
海原はひとしきり情緒を爆発させると新拠点に向かっていった。
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プレハブ小屋からアパートに進化した学術旅団拠点は解放感に満ち溢れていた。
なんせここは三階建てとなっているだけでなく、休憩スペースも設けられているのだから。
作業は一階で、疲れれば梯子を上って絶妙に暗くない仮眠室で寝る生活と永遠の別れとなる。
これだけでも作業効率は飛躍的に向上するだろう。
旧ベースとしての役目を果たしたプレハブ小屋の元1Fは倉庫に、元2Fは扉をつけて臨時休憩室として屋上に据え付けられることになったが。
海原お気に入りの富士通製仕事用ノートパソコンを開くと、旅団の管理するクラウドから通知が一つ来ていた。
「何、阿部からか…やなんだけど」
更新者は阿部 琉比等
自治区周りやゲンツー方面を中心に活動しているあの男だ。古武器や戦史を専門する学者である。
タイトルを見るに真面目そうなものと判断し一件の調査レポートを開いた。
「うむ、ロックがかかってるな…」
他人には触られたくないのか、読み取り専用ファイルになっているものの、ただ読むだけなので特段問題はなくWordを起動させた。
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トリプトソーヤン城調査結果.docx
Operation:Tiger’s gate後に回収された物品および文書の中で特筆性の高いものを選抜し記録をした。
未詳物品1:ハルベルラ(1)
回収された場所・状態:トリプトソーヤン城 書斎で発見。現物1つのみ、量産試作品と帝国文字で刻印済。
概要:ナックルダスター状のグリップとトリガーを備え、機構不明の装置が付いている未詳物品。
付属部品に何かを保持する穴が設けられた未詳物品1-1、未詳物品1-1に装填されると考えられる空の小瓶、未詳物品1-αを回収。
かみ合わせの結果、未詳物品1-1は未詳物品に装着が可能。
現在資料を探索中。本レポート記述時点で文献に基づいた正式な用途は不明。
考察:これら一連の装置は1-αを1-1に装填、これを読み取り装置がついた未詳物品1に読み込ませると考えられる。
1-αの中は開口部が見られないが内部は空洞であった。
何らかの成分や因子を封入していたと示唆される。未知エネルギー的分析を行うべきと考えられる。
ナルベルン自治区の文献を調査した結果、酷似したハルベルラ(1)と呼称される魔具を発見、帝国側が複製目的で回収、量産試験を行っていたと強く示唆された。
展望:自治区代表ならびに自治区住民と会談し、盗品であることが発覚した場合返還予定。
現地民が「魔力」と呼称する分野で物品1-αの調査、文献と照らし合わせ詳細調査を行う予定。
脚注(1)
およそ1200年前に存在していたと思われる物品。
1-αと酷似したホルムと呼ばれる小瓶を1-1と酷似したナックルに装填、ハルベルラに読み込ませることで様々な姿に変化することが可能。
本物品を使用することで、人間から火竜に変身することが可能。
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未詳文書1
回収場所・状態:トリプトソーヤン城 書斎、書籍に挟まっていた所落下、回収。
概要: 257×364 mmの洋紙。末文には署名と思しき文字列を確認。
解析結果:言語解析システム【ダザイ】による解析結果、機密伝文であることが判明。
タイトルは以下の通り。
「仕様変更命令 有人式機動立像イデシューの無人化および人質兵器への改造」
署名を解読の結果「コンクールス」「ファゴット」と記述されていた。
標準筆跡鑑定ソフト【筆圧強め】で分析した結果、コンクールス側は不一致だった。
ファゴット側では現在消息不明のイスラエル籍の人物"アリエル・ハイゼンベルグ"氏(2)と一致。
最高責任者に結果を報告済み。
今後の調査が待たれる。
考察:イデシューに内蔵されていた痛覚を動力炉に伝える機能は命令書に記載されておらず
開発者の独断で実装されたと考えられる。
政権を握っているとされるマーディッシュ・ワ―レンサット氏の筆跡が検出できなかったことから、ファルケンシュタイン帝国で実行権を持つ人物はマーディッシュ氏ではない可能性が示唆された。
脚注(2):アリエル・ハイゼンベルグ氏
ドイツ国籍の理論物理学者。物理学博士。ミュンヘン工科大学物理部門を主席で卒業後、博士号を取得。
イスラエルにて極秘の研究を行っていた可能性が示唆されている。
5年前に学会に赴くためドイツ バイエルン州にある実家に帰省中、突如失踪。
イスラエルの諜報機関を中心に捜索されたものの発見できず。
その後失踪宣告を受け死亡届けが提出されている。
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海原は目を疑った。
ハイゼンベルグ博士の筆跡が検出された事象が本当なら、この世界にはSoyuzよりも前に既定現実世界からの来訪者が居ることになる。
だが不自然な点もあった。
ミュンヘン工科大学を主席で卒業できる頭脳があれば帝国の技術レベルは20世紀と同等になっているはず。
つまり、同じとはいかなくともそれなりに現代化されている筈である。
何故中世から近世にかけてのヨーロッパ的文明なのかが説明がつかない。
少なくともハイゼンベルグは帝国の奥深く、それも権力を持つ地位にいる。一体何のために。
考えても始まらない、今後はもっと調査が必要だ。
海原はモニター前でそう決意するのだった。
次回Chapter122は1月29日10時からの公開となります




