第九話 海の向こう
目的の村は、草原に出て半刻ほど歩いた先に在った。
遠目からでも元の集落との規模の違いを実感できるほど、建物が並んでいるのが確認できる。
周りを囲むように木の柵で覆われており、道は柵の切れ目にある門へと続いている様だ。
近くまで来て分かるが、門は意外に大きく屋根まで十尺(3mくらい)はあるだろう。
左右の門柱の前後に屋根を支える四本の柱があり、全てが木製で出来ている。
「今帰ったぞ!兵長の都留岐だ!門を開けてくれ!」
声に反応し、ガコンと音がしたと同時に木製の重厚さを感じさせる門が開かれる。
一行は緊張からか生唾を飲み込む音が聞こえる程、静かになっていた。
そして促される様に、恐る恐る中へと足を踏み入れた。
「凄いですね。こんなに沢山の家屋が並んでいるのを始めて見ました。」
天元が息を呑むのも仕方のない事であろう。
門を抜けた先には何十もの家屋が並び立ち、その光景は圧巻の一言。
その家屋の形も独特で、床面を柱で支えているのか地表に着かない設計となっているものもある。
歩きながら隊の者が説明するには、あれらは食料などを保管する倉庫らしい。
つまり、それ以外の沢山立ち並ぶ平地住居こそが平均的な者が住む家らしかった。
「なるほど、これならネズミなどに穀物を食われる心配も少なそうですね。」
天元が語る通り、彼らにとっての食料とは非常に貴重なものだ。
それを何度も害獣に食い荒らされた経験があるらしく、皆その設計思想に感銘を受けていた。
聞けばそれ以外にも利点はあるらしく、大雨が降った時などに穀物が水に晒されるのを防ぐ意味もあるとのこと。
「よ~し、では皆でこの村の長である阿斗里様に面通ししてもらう。」
そう言って案内されたのは、作り自体は他の平地住居と同じだが、大きさだけがまるで違う建物。
中はだだっ広い一室だけの作りになっており、一行が全員中に入っても、まだまだ余裕を残すほどの広さだ。
その中心に近い場所に一人座る何者かが目に入り、この者こそが長であるのだと認識する。
「ようこそ参られました。私が伊邪那村の長を務めている、阿斗里と申します。」
立ち上がったその者に、一行は言葉を失った。
その風貌があまりに予想とかけ離れていたからだ。
髪は麦畑を連想させるような輝きを放ち、瞳は水を思わせる青。
背は六尺(約180cm)程あり大柄、見た目はまだ少年と言っても差し支えない。
性別は恐らく男であろう。
この様な風貌の人間など見たこともない一行は、戦々恐々誰もが息を呑んだ。
しかし、横に控える都留岐はそんな反応に慣れているのか、その顔に怒りが滲むことは無い。
「私の外見で驚かせてしまったようですね。それについては追々話しましょう。どうぞこちらへ。」
阿斗里に促される様に一行は前に進むと、一人一人会釈をしながら腰を下ろした。
前に並べられた食事に目をやると、茶色の粒がぎっしりと敷き詰められている。
じ~っと見つめていると、何故だろうか、刀一郎は無性に懐かしい気持ちが沸き上がるのだ。
そして思わず器を手に取り、これは何かと問い掛けるのだった。
「ああそれですか。それは米というもので、これからこの村の主食にしようと思っているのですよ。」
何故このような気持ちが沸き上がるのか刀一郎は分からなかったが、今はそれよりもこの者の話に耳を傾けるのが先だと器を置いた。
一行が落ち着いたのを見計って、阿斗里は自身のことを語り始める。
その姿には年には合わない風格があり、皆一様にその一語一句に聞き入った。
「まず初めに伝えておくべきことがあります。それは・・私がこちらで生まれた者ではないということです。」
狭い世界しか知らなかった一行には、こちらというのがどこを指すのかが分からない。
それを察したのだろう、阿斗里は一枚の木板を取り出した。
「これはこの辺りを記した地図というものです。この陸の向こうには海と呼ばれる大きな水溜まりがあります。」
阿斗里は伊邪那村と書かれた場所から上に指を滑らせる。
そのこと自体は知っているらしく、皆一様に頷いていた。
その反応に微笑みながら阿斗里は説明を続ける。
「私はまだ幼いころに船が座礁し、ここから一番近い浜に打ち上げられたらしいのです。」
殆どの者は首を捻るが、天元だけはやはり頭の回転が違うのかハッとした顔をして口を開いた。
「つまり、この海の先には我々とは違う阿斗里様の様な人々が住んでいるということですか?」
「はい。そうなります。その地までどれだけ離れているかは残念ながら分かりませんが…。」
そう語った阿斗里の表情は少し影が差し、初めて年相応に見えた。
それからも博学である阿斗里の話が面白いのか、老人たちは年甲斐もなく聞き入り本日はここで休むことになった。
しかし、刀一郎は先ほどの地図がどうしても気になり眠りにつくことが出来ない。
そんな悶々とした夜を過ごしていると、それを察していたかのように、阿斗里があの木板をもって現れるのだった。
「この左の方に記されてある【竹地村】とはここから近いのですか?」
そう聞くと、阿斗里は大変驚いた表情を浮かべた後、直ぐに表情を正した。
「驚きました。貴方は文字が読めるのですね。この村でも読める者は限られるというのに。」
「そんなに驚くことでしょうか?まあ、自分も何故読めるのかは分からないのですが。」
「文字が使われているのは、ここから遥か南に行った大きな都だけですから。そこに住んでいたという人から私は習ったのです。」
「都、ですか。」
「あぁそうそう、竹地村でしたね。ここから西に三十里(120㎞)といった所でしょうか。徒歩では厳しい距離ですよ?」
「なるほど、阿斗里様は行かれたことがあるのですか?」
「はい、一度だけ所用で都留岐と共に。結果は残念なものでしたが…それと、記されていないだけで我々が知らない集落というのも近隣にはあると思いますよ。皆さんの集落がまさにそうであるように。」
「なるほど、して、所用とは?」
「その話は長くなりますので、また明日にしましょう。どちらにせよ貴方には話さなければならない事ですから。」
刀一郎にはもう一つ地図上で気になっている場所があった。
それはおそらく己が以前いた場所であり、そこには【神凪山】と表記されている。
「阿斗里様、最後に一つだけ。・・ここはどういった場所なのですか?」
「神凪山…ですか。どの村や集落の者に聞いても、行ってはいけない場所、とだけ言われましたね。その方々も詳しいことは分からない様で…。」
「長々とお付き合いくださり有難う御座いました。では、私も休むこととします。」
この世界のことを何も知らないと痛感した一日であった。
そして刀一郎は、未だ見たことのない光景に思い馳せ、心躍らせたまま眠りにつく。
いつか、その地に自らの足で立てるかもしれないと、そんな夢を見ながら。