第八十九話 異形との邂逅
「おいおい、こりゃ明らかに不味いじゃねえかよ。本当に大丈夫なんだろうな?」
森を進んで一刻余り、二人は大袈裟と感じても仕方のない大きな柵の前に立っている。
幸い月が顔を出し隙間から差し込む月光で、多少の視界は確保できるようになっていた。
だからこそ見えるそれは、何か外に出したくないものが柵の向こうにいることを示唆している。
その何かを中心に円の形で包み込み、何重にも木材を重ね合わせ、その高さは五メートルくらいにはなるだろう。
『間違いない、この向こうじゃ。何故こんな辺鄙な場所に・・・。』
次良は仕方がないといった表情で、柵を見やる。
「上から行くか。それとも壊すか。お前はどっちがいい?」
どうやら行かないという選択肢はないらしく、刀一郎も柵を眺めて思案する。
その結果、許可なく踏み込んだ上に壊すのは不味いという考えに至った。
見れば、つぎはぎだらけの柵は足場も容易に作れそうなので登るのも問題ないだろう。
「だな。確かに壊すのは不味い。よし、登るぞ。」
そう語った次良は、きょろきょろと少し視線を巡らせた後、柵を走る様に登っていく。
そして、あっという間に柵の向こうへ消えていった。
刀一郎も見よう見まねで段差を見つけては蹴り上がり、柵の上から内部を見渡す。
「広いな……ん?大きな木が中心に一本、それ以外は草ばかりか。」
どうやら柵に使われている木材は内側から伐採されたものらしく、内側は見渡しのいい草原の様になっていた。
「何やってる、早く来い。どうやらあの真ん中にあるでかい木が目的地らしい。」
急かされ、刀一郎も下に降りてその後に続く。
柵の内側の広さは、中心が縦横百メートルくらいだろうか。
「近くで見るとでけえな。で?どこにいんだよ、その神様ってのは?」
『もっと近くへ寄ってみよ。木の幹に凝縮された力を感じる。しかし、立派な神木じゃ。』
二人は訝し気に思いながらも歩を進め、大樹の幹に触れられるところまでやってきた。
すると、その幹には三十センチほどはあろうかという琥珀に見える何かが埋まっている。
とても綺麗な、透き通った赤だった。
『それじゃっ。触れるなよ、何があるか分からん。』
「だったら連れてくんなよ…って、なんか脈打ってねえか?」
言われ刀一郎も見やると、確かに先ほどまでは只の石のようだったそれが、ドクンドクンと音を立てている。
同時に感情も発露し始めているようで、刀一郎は反射的にそれを読み取っていた。
だが、それがどんな感情であるのかまでは分からない。
少なくとも、単純な怒りなどでないことは確かだった。
そうして唖然としている二人を尻目に、状況は目まぐるしい変化を見せていく。
メキッメキッ!!
大樹の幹を裂く様にして、今まさに何かが出てこようとしていた。
「一旦離れるぞ。何が出て来るにせよ、距離はあった方がいい。」
次良に促され、呆然としていた刀一郎も急ぎ距離を取る。
そして見た。
裂けた大樹の間から顔を覗かせる、この世のものとは思えぬ大蛇の瞳を。
『どうやら我の神気に当てられて目を覚ましたようじゃの。生意気に我らを餌と思うておるらしい。』
胴の太さだけで二メートルは超えるであろう大蛇は、ぐるぐると大樹に巻き付き、高い位置から刀一郎達をねめつける。
その腹部には先ほど見えていた琥珀らしき石も見え、大きさ百五十センチ近くはあるだろう。
『貴様は何者じゃ?この最上神を前に不遜は許さぬぞ。』
大蛇に見下ろされるのが癪に障ったのか、黒き神も威嚇を始めた。
『矮小なるものよ。有難く思え。我が取り込んでやろう。』
大蛇は黒き神を歯牙にもかけず、自らの意だけを伝える。
一方そんな風に流された黒き神は、生身があったら地団太を踏んでいるであろう程、悔しそうな声を上げていた。
『何という無礼者じゃっ!!』
「興奮すんなって…すぐに仕留めてやるからよ。」
見上げるような異形を前に、次良の目はギラギラと輝いている。
その気持ち、刀一郎には少しだけ分かる気がした。
対等に力を振るえる者なく、満たされないその気持ちを。
大蛇は刀一郎達に交戦の意志を汲み取ったか、視線を向けると大気が波打つように震え一点に粒子が収束した。
そして震動が収まると同時に冷気が漂い始める。
凍えるような冷気が集まる中心を探ると、それは刀一郎の足元だった。
「刀一郎っ!!下だっ!!」
聞いたこともない次良の慌てた声に驚く暇もなく、大地から鋭い氷柱が天に向かって突き立てられる。
刀一郎は一瞬早く身を翻し直撃を避けるが、わき腹を深く抉られた。
傷口からはぼたぼたと血が流れ、大地に染み込んでいく。
しかし、自ずから傷が塞がっていく以前の様な現象は何故か起きる気配がない。
「いけるか?」
「申し訳ありません師匠、油断しました。しかし、掠り傷ですっ!」
『その意気じゃっ。さあ、目にもの見せてやろうではないかっ!!』
刀一郎の傷はどう見ても掠り傷などと呼べるものではなかったが、今この状況で弱音を吐けるわけもなし。
そして、心が躍る感覚もあった。
見たこともない異形と命を削り合うことの出来る幸福が、そうさせるのだろう。
まさに、この師匠あってこの弟子ありといった所か。




