第八十五話 航海初日
「波風よ、では行ってくるな。山田殿、どうかよろしく頼む。」
「ええ、しっかり見ておきます。ですから、無事に帰ってきてください。」
世話役の山田と共に港へとやってきた刀一郎達。
寂しそうに鼻をこすりつける波風の姿は哀愁を誘う。
その日、皇国最大の船【皇海龍】の出港を一目見ようと大勢の民が港へ駆けつけていた。
殆どはこの港の者だが、中にはわざわざ都から足を運んだ者もいるようだ。
同時に港を出るのは、ロメル王国の船が三隻。
空は青が冴えわたる晴天。
歓声がこだまする中、アレクシア一行が皇海龍へと乗り込み、それに続いて刀一郎と次良も乗り込む。
同道する予定の天雷は、既に船内で大切に保管されているようだ。
話し相手がいない状況で大丈夫だろうかと、刀一郎に多少の不安が頭をよぎる。
「いってらっしゃ~いっ!!」
胡蝶も目に涙を浮かべながら手を振って別れを惜しんでいた。
アレクシアも同様に涙を浮かべながら手を振る光景は、何とも美しいものだ。
国は違えど、人は手を取り合うことが出来るという現実を、皇国の民は胸に刻み込んだだろう。
そんな悲喜こもごもが混じり合いながら、長い航海は始まった。
▽▽▽▽
刀一郎は出港してから暫く、大きな固定式の弓が立ち並ぶ甲板で景色を眺めていた。
軍の者達は積み荷の確認やら何やらで忙しくしているので、邪魔にならぬ為の配慮である。
最初は何か手伝おうかと思ったのだが、勝手を知らない者が手を出すと余計に混乱をきたすと言われ、船首で呆けていたのだ。
「刀一郎、そんなとこでな~にやってんだ。」
知った声を聞き振り向くと、沖村が紙の束を持って立っている。
海賊のような風貌をした男でも、仕事は真面目にこなしているらしい。
「やることもないのでな。それに、一面海ばかりの光景は見ていて中々に面白い。」
「そんなもんか?俺はもう見飽きちまったけどな。昼飯らしいが、やっぱ飯は食わねえのか?」
「ああ、遠征では食わないことにしている。何があるかなど誰にも分らぬからな。」
沖村はふ~んと言った後、なにやらぶつぶつと呟きながら紙束と睨めっこを始めた。
そして辺りを夕暮れが包む頃、漸く船内も落ち着きを取り戻し、刀一郎も散策へと乗り出す。
▽
今この船に乗っているのは全部で百十六名。
九割がた皇国の軍人で構成されている。
刀一郎がまず見て歩いたのは居住区画となっている一番上の層。
中央通路の左右に戸が立ち並び、それら一つ一つが大体四人部屋という作りで、ハンモックと呼ばれるらしい寝具で寝る。
刀一郎は沖村とその部下二名との相部屋であるが、当然アーロンとアレクシアだけは個室を与えられているようだ。
バタバタと走り回る船員と、狭い通路ですれ違いながら船尾へ足を向けると【船長室】と書かれた部屋。
刀一郎は挨拶をしておくべきかと思い戸を叩くが、どうやら留守であるらしい。
この層には大砲などもあるがあまり興味が無い為、続いて二層目へ足を向ける。
「おお、台所はここにあるのか。」
そこでは決して広いとは言えない空間でせっせと料理をする軍人の姿があった。
だが、とても興味本位で足を踏みいれていい雰囲気ではなく、刀一郎は早々に立ち去る。
そして見回していた一室に転がる丸い大きな玉、これは何だとペタペタ叩いていると、
「それは大砲の玉ですよ。一発撃ってみましょうか?…勿論冗談です。」
振り返ると、この船の代理船長でもある青井の姿があった。
「船底は見てもあまり面白いものはありませんが、案内しましょうか?」
刀一郎はお言葉に甘え、青井の案内に従い船底へ足を向ける。
「この下は重心を安定させるための石が敷き詰められています。向こうは火薬庫ですね。」
青井は面白いものは無いと言ったが、始めて見る刀一郎には面白いものばかり。
特に足元が揺れることと、今自分が海面より下にいることに興奮を隠せない。
「ふふ、でも今は良いですけど、ここにはあまり近寄らない方がいいですよ?」
「む?何故だ?」
「ああ~、端的に言うとですね、少し臭くなるんです。勿論皆さんの居住区画には漏れないようにしますけどね。」
刀一郎はよく分からなかったが、専門家の言うことには従うことにしてここには近づかないことに決めた。
そして二人で上に上がり、まだ見ていなかった場所を付いて歩く。
「この装置が何かわかりますか?」
一層目船首方向にある一室に案内されると、そこには上から筒が伸び、その下には大きな受け皿がある何かの装置があった。
ニコニコと眺める青井に対し、観念したとばかりに刀一郎は首を横に振る。
「これは雨水のろ過装置です。海上では真水が貴重ですからね。一応海水から作ることも出来ますが手間が掛かりますので。」
飲み食いが必要ない刀一郎には全く思い至らない発想だったが、考えて見れば当然である。
そうして航海初日は過ぎていき、辺りは暗闇に包まれた。
刀一郎は真っ暗闇のなか甲板に出ると、この先の光景に思いを馳せる。
「何やってんだ。さっさと寝ろ。」
振り返ると次良がおり、その背には何故か黒槍が背負われていた。
身に纏う衣装も黒一色の為、闇に紛れて見失いそうになる。
「こいつがな、案内しろってうるさくてよ。今は俺が巫女の代わりなんだと・・・。」
次良は心底うんざりといった表情で語る。
そして何故か師弟揃って甲板に腰を下ろし、真っ暗な海を眺めるのだ。
「この向こうに何があんだろうな。最初は嫌だったがよ、今は少し楽しみになってきた。ま、色々と頼み事もされちまったしな。」
「頼み事ですか?まあ、自分も海の向こうにある国というのが、どんな場所なのか楽しみではあります。」
「そういやよ、こんなもん持ってきたんだ。」
次良がそう言って取り出したのは徳利とおちょこ。
勧められれば拒む必要などないと、刀一郎も喜んでご相伴にあずかる。
そうして真っ暗闇の海を眺めながらの晩酌で、航海初日は幕を閉じていくのだった。




