第八十三話 忘れ去られた者達
『おっ、見るがよい白。こんな所に社があるではないか。』
『黒宵、勝手に入ってはならぬ。失礼であろう。』
『なあに、こんな草むらに隠れたボロボロの社に誰もおるわけなかろうが。』
誰も訪れなくなった社の前が俄かに騒がしくなった。
そんな声を聞くのは一体何時以来だろうか。
百年、二百年、いや、もっとかもしれないと、そこに住む神は思った。
『何か書かれておるな。』
『殆ど掠れていて読みにくいが…荒ブルカミ…静メル……骸命?』
『何やら物騒なことが書かれておるのう。まあいい、邪魔するとしよう。』
『黒っ、待ちなさい。』
白き神の忠告など聞くことなく、すうっとすり抜けるように社の中に入っていく黒き神。
すると、驚いた声が無機質な空間に響いた。
『おおうっ!?…な、何じゃお前はっ。こんな所で何をしておる?』
黒き神は人の住処に勝手に足を踏み入れておきながら、随分な態度である。
そこには正座したまま微動だにしない一柱がいた。
その一柱は問われたことに対し一言だけ告げる。
『人が願いを捧げに来るのを待っている。』
その答えを聞いた黒き神は笑った。
こんな忘れ去られた腐りかけの社に、参りに来る人間などいないと。
『黒宵、失礼なことを言うでない。こうして神としての在り方を貫いている時点で、我らよりはよっぽど上等な神格であるそ。』
諫められ、面白くないと言わんばかりに黒き神はそっぽを向く。
それを見た白き神は呆れた顔をした後、無礼を働いたことに対し詫びた。
そしてその一柱は視線を向けることなく語る。
『構わぬ。』
つまらぬ反応に、黒き神はその周囲を練り歩きねめつける。
殆どの神と呼ばれる存在は、このように会話を交わすことは出来ない。
自らの生まれた意味そのものを為すだけで、そこに意思などないのだ。
しかし稀に、この三柱の様に意志が宿る場合もある。
だがそうなると存在するだけで大きな力を消費するようになり、信仰が無ければたちまち消え去ってしまうのだ。
たちまちとは言っても、飽くまでも神の尺度でのことだが。
そしてここにいる三柱を信仰する者は、最早この世界にはいなくなっていた。
『そうじゃ。こんな所では話し相手もおらんじゃろう?我らも住み着いてやろうではないか。』
恩着せがましいとは正にこの事を言うのだろう。
黒き神は頼まれもしないのに、勝手にここに住み着くつもりのようだ。
その不遜な態度に白き神はまたも呆れ顔を見せ、詫びの言葉を告げる。
『構わぬ。』
変わらずその一柱は微動だにすることなく答える。
その返答を聞いた黒き神は、遠慮することなく横になり片肘をついた。
忘れ去られ消えゆくだけ、そんな自らの現状を受け入れているのかいないのか、その態度は太々しい。
そんな梃子でも動かぬと言わんばかりの黒き神に引き摺られ、白き神も腰を落ち着ける。
『そうじゃ、表に書いておったが、お主【骸】と言うのか?』
『黒宵、訪ねる前に自ら名乗るのが礼儀であろう。』
『わ、分かっておるわ、煩いのう。我こそは【黒宵大神】である。』
『嘘をつくな。すまない、こいつが【黒宵神】、私が【白輝姫】だ。』
自己紹介を受け、ここの主である一柱は、初めてその視線を向け告げた。
『骸だ。』
だが、やはり多くは語らず、自らの名を名乗った後はまた微動だにしなくなった。
黒き神は本当につまらぬ奴だと目を細める。
ちなみに、黒き神が相棒を白と呼ぶのは、単純に呼びやすいからである。
一方白き神は一番気になっていることを尋ねた。
『して骸、其方は何を為すために生まれた神格なのだ?』
問われた骸なる神は、少し考える素振りを見せる。
あまりに長くこうしていた為、それすらも曖昧になってしまったのだろう。
そしてどれだけ虚空を見つめていただろうか、ようやく口を開いた。
『荒ぶる神から、人々を守るために生まれた。』
その言葉を聞いた白き神は驚愕の顔を浮かべる。
神と呼ばれる殆どの存在は、命を引き換えにしてもいいという切実で純粋な、たった一つの祈りから生まれることが多い。
そしてただ願っただけではなく、その願いが状況に合致していなければならない。
分かりやすく例を挙げると、只の自然災害を神の仕業と勘違いし、鎮めてくれと祈った所で神は生まれないのだ。
その為、豊穣の神などが比較的生まれやすいと言えるだろう。
つまり、骸の言葉が意味する所、それは・・・
『まさか…神を殺すために生まれた神…その様な神格、一体どの様な経緯で生まれ…』
神とは物理的な存在ではない。
故に、消滅することはあっても殺すことは出来ない。
それは神であっても覆すことの出来ない摂理のはずだ。
だが、ここにいる、今まさに消えゆくだけの神格は、正に神にとっては在ることすら禁忌の存在。
その事実を知り、白き神は震えた。
▽▽▽▽
朝の陽ざしを浴び瞼を開けると、鼓膜には鳥の鳴き声と共に、姦しいいつもの声が届く。
「刀一郎さ~ん、おっはよ~う。」
「トイチロ~、アケルヨ~。」
いつもならこの声が聞こえる頃にはもう目が覚めている刀一郎だったが、何故か今日は寝過ごしてしまった。
そして目をこすりながらいつも通りの賑やかな朝を迎えるのだった。




