第八十二話 出発前の一時
大きな依頼を受けてから既に一月余りが経過しているが、刀一郎の姿は未だ都に有った。
それはなぜかと言えば、今回の長旅で使う船の準備が中々完了しないというのが理由らしい。
職人気質というのも時には困ったもので、完成したかと思えば手直しをする箇所が出てくるということを繰り返し、今も同じことを継続中だ。
出発も目途が立たないというわけで、刀一郎は今日も今日とて道場へと足を運んでいた。
ちなみに、今回の遠征には次良も同道するとのこと。
しかも、国宝天雷を携えての旅路である。
「師匠、何故今回の遠征に同道されることになったのですか?」
いつもの離れで修練を終えた後、刀一郎は何時ぞやから持っていた疑問を投げかける。
実は次良が同道する予定は最初から決められていたことではなく、本人自らの提案で決まったことだ。
それが刀一郎には不思議でならなかった。
次良という男は、そんな面倒くさい事に自ら首を突っ込む様な性格はしていないと思っていたからだ。
「ん?…ああ、最上神様からの神託だとよ。」
その表情は、心底うんざりといった感じのものだった。
しかし、語った言葉の意味が分からず、刀一郎は首を傾げている。
クライヴもその場にいて耳を傾けているのだが、まだ言葉を理解出来ていないらしく構わず槍の修練に勤しんでいた。
「最上神様…とは?」
「そのまんまだよ。静香から伝えられてな。『我も行く』って駄々捏ねてるとよ。」
静香とは、刀一郎も以前一度だけ会った事がある次良の娘であり、皇族の男子に嫁ぎ、巫女という役職を与えられているあの女性の事だ。
「神様というのは、そのような我が儘を言う存在なのですか?」
「知らねえよ…あいつはそうなんだろ、いや、多分あいつだけだ。」
次良は目を細め虚空を見やる。
その表情から、同じようなことが今まで何度もあったのではないかと察することが出来た。
補足すると、『然道』というのが皇国の国教になっているが、その最上神と呼ばれているのが【黒雷命】である。
言わずもがな、あの漆黒の槍に宿る神がそれであるらしい。
社も一番大きなものが皇宮の隣に建てられており、参拝客は毎日のように大勢やってくるようだ。
神話においては、この地に仇為す者全てが、その神の怒りに触れ滅ぼされると伝えられている。
しかしこうして話に聞く実情はどうだろうか、只の我が儘な子供にしか思えない。
「気になるんなら、もう一回会いに行くか?」
「許されるのなら是非。」
そうして、自分から誘ったのにも拘らず嫌そうな顔をする次良と共に、神の御前へと赴くことにした。
▽
皇宮敷地内へと続く門を潜り少し歩くと、『黒天宮』と呼ばれる場所へ辿り着く。
外から見ただけでも、相変わらず他の建物とは別格の装飾がなされている事が分かる。
「巫女は?」
「はっ!ただいま神託を授かっている最中でございます。」
「神託…ねぇ。入るぞ。」
どうにも浮かない顔をする次良の後に続き、刀一郎も一礼した後、中へと進んでいく。
そして無駄に豪奢な装飾が施された通路を通り、台座の間へと入った。
すると、以前と同じく敷かれた一畳の畳に座りながら、最上神と呼ばれる存在と仲良く談笑する静香がいた。
「あら、父上と刀一郎さん。今日はどうなされたのですか?」
「いや、こいつに…こほん、刀一郎が黒雷命様に拝謁賜りたいとのことでございます。」
仰々しい言葉を並べる次良だが、その顔からは緊張感のかけらも感じない。
聞けば、基本的には巫女を介してしか神と言葉を交わすことは許されていないとのこと。
「ふふ、『構わぬ、何でも聞くがよい。』だそうです。」
この空気をどう表現すればよいのだろうか。
まるで子供のお遊びに大人が付き合っていると例えればしっくりくるだろうか。
少なくとも刀一郎はそんな感覚を覚えた。
「おい、何かねえのか?聞きたいことあんなら聞いとけ。まあ、どうせこの後お守りしなきゃなんねえんだがな。」
次良に促され、ハッと我に返り、何かないかと刀一郎は思案した。
しかし、これといって聞きたいことなど思い浮かばず唸る。
「ねえなら俺から一つ。海の外まで行って何がしたいんだ?」
その口調には敬意が欠片も見て取れない。
これでは神の怒りを買うのではないかと、刀一郎は心中穏やかではなかった。
「…はいはい、こほん、『神にしか分からぬ深き考えがあるのだ。』だそうです。」
「はぁ、左様でございますか…で?お前は何かねえのか?」
促され、たった一つだけ頭に浮かんだ疑問を口にする。
「最上神様、つかぬことをお訪ね致しますが……私とどこかでお会いしましたか?」
刀一郎はここに来ると、どうしても不思議な感覚に襲われる。
それは郷愁にも似た感情。
普通に考えれば神と会った事などあるわけがないのだが、聞かずにはいられなかったのだ。
「……はい。『刀一郎などという人間は知らぬ。』だそうです。」
当然の答えが返ってきて、刀一郎は少し恥ずかしくなった。
だが、その言葉を伝える静香は、とても優しい笑みを浮かべていた。




