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白鬼  作者: 遠野大和
第一章 旧世界編
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第七十九話 向上心

「トイチロ~、キタヨ~」


三月も終わりに近づき、もう辺りが春の陽気に包まれ始めた季節。

まだ朝食も済んでいない早朝だが、今日も今日とて元気な声が響く。

しかしこの一月余りで変わったこともある。

軒先から響く声が一つではないのだ。


「刀一郎さ~ん、私も来たよ~。」


もう一人は言わずもがな胡蝶である。

この胡蝶、最初こそ刀一郎を取られまいと、とげとげしい反応を見せていたが、そこは子供。

一緒に遊んだりしている内にすっかり打ち解け、今では一緒に手習いにまで行くようになった。

何でもお互いの国の言葉を教え合っていたりもするらしい。


「うむ、では顔を洗って来たら朝飯にするとしよう。」


当たり前だが、護衛の者達を連れ立っての訪問だ。

最初は一緒に食べようと刀一郎も誘ったのだが、職務中だからと何度も断られ、ならばせめてと握り飯を作ってやることも今では恒例になりつつある。

ロメルの者達は米というものを見たことがなかった為、始めこそ戸惑っていたが、自国の姫が作ってくれたものを口にしないわけにもいかない。

そして何度か口にしている内に、すっかりその味にも慣れ、今では礼を口にした後躊躇いなく食べられるようになった。

ちなみにアーロンは兄としての自覚がそうさせるのか、二国間の交流の為、大人たちに交じって忙しなくしているようだ。

まだ十三にもならぬ子供だというのに大したものだと、刀一郎はいつも感心している。

ではアレクシアは何もしていないかと言えばそういうわけでもない。

持ち前の愛くるしい笑顔を振りまいて町を歩くだけでも、ロメルという国の印象向上に一役買っているのだ。

その証拠に、彼女が甘味処を練り歩けば、おまけしてもらった土産を抱えてニコニコしている光景を、刀一郎は何度も見たことがある。

余談だが、都に於いて砂糖はそれほど貴重なものではない。

昔から原料となる植物が近くに群生し、今では農家が栽培していることもあり、比較的安価で手に入れることが出来るようになった。


「二人は今日も手習いがあるのだろう?」


問われると、二人は顔を見合わせて頷く。

そして朝食を終えると、二人仲良く手を繋ぎお社のある方角へと歩いていくのだ。

勿論護衛や通訳の者達もそれに付いて行くので、刀一郎は一人でゆっくりと道場へ赴く。


「握りが固いっ!それでは動作の起こりに多少の遅れを生んでしまうぞ。」


「ハイッ!」


この一月で一番変わったのはこの男かもしれない。

藤森が指導しているのは、間違いなくこの国に一人しかいない髪色をした男。

そう、クライヴである。

護衛の任をほったらかして何をしているのかと思えば、道場で修業をしているのだ。

一月ほど前、刀一郎が簡単に敗れたのを見てから、王族二人の許可を得て皇軍の訓練に参加したが、指導官である元隊長たちにも敗れ、完全に自信を失ったらしい。

本人曰く、このままの自分では護衛の任を務め上げること叶わず、一度鍛え直す時間が欲しいとのこと。

しかし、剣術の道場というのはこの国において本当に数が少なく、見つけることさえ難しい。

そんな事情もあり、惣万流の道場で腕を磨いているという次第だ。


「おっ、来たか。よし、離れに移るぞ。クライヴ、お前も来い。」


「ハイッ!」


今の状況は次良にとっても有難いものであった。

なぜならば、本当の意味での実戦練習とは、ある程度力が拮抗していなければ出来ないからだ。

正直、まだまだ今の次良と刀一郎では力の差がありすぎて、只の指導にしかならない。

その点、武器を持たせた今のクライヴが相手ならば、それなりの実践感覚を養える。


「よし、始めろ。」


「ハイッ!オネガイシマスッ!」


刀一郎は無手、クライヴは刃を潰した槍を構える。

少し前のクライヴであれば、自分だけが武器を与えられている状況を屈辱に感じたであろうが、今の彼の表情からはかけらも奢りが見られない。

理解しているのだ。

自分だけが武器を与えられてなお、自らこそが弱者であるという現実を。


「では、ゆくぞ。」


声を合図に、刀一郎がゆらりと距離を詰める。

クライヴは慌てることなく、相手が前に出た分だけ下がり様子を見ていた。

惣万流の無手の技は、基本的には敵の後の先を取ることを旨とする。

何度も手を合わせることでそれを理解するようになったのだろう。

だが、刀一郎にしても当然自分から打って出ることが出来ないわけではない。


「…ふっ!!」


刀一郎はまだ完全とは言えない『振打(しんだ)』を放ち、体勢を崩そうと試みる。

僅かな空気の振動を感じ、クライヴは咄嗟に身を翻すと、すかさず攻撃に備えた。

その僅かな隙が命取りになる。

クライブも分かってはいるのだが、目に見えない攻撃を防ぐ手立てなどあるわけもなく、何となくの感覚で大きく躱すしかない。

そして槍の間合いの内側に踏み込まれたのを確認し、苦し紛れに払うが、時すでに遅し。


「甘いっ!!」


刀一郎が『波打(なみうち)』と呼ばれる勁を放ったのは槍の柄。

すると、凄まじい振動が柄を持つクライブの手に伝わり、手の感覚さえも奪い去る。

そして、カランッと槍が床に落ちる音が響き、


「マイリマシタ…」


クライヴは、痺れ感覚が無くなった己の手を見つめながら、呟くように語った。

しかしその顔に悲壮感はなく、ただ己の改善すべき点を見つめ直しているようだ。

正直、今のクライヴの実力というのは、北にいた頃の刀一郎であれば敗れていてもおかしくないほどの手練れに変貌している。

元々の才があることに加え、その向上心が成長をさらに後押ししているのだ。


「さて、じゃあ、次は感覚の訓練だ。クライヴ、そこに立て。」


そう語る次良の前にクライヴが立ち、所謂『殺気』をその身に受ける。

次良曰く、これは一定の修練を積めば誰でも察知することが出来るようになるらしい。

そしてこれが出来なければ、遠距離からの攻撃に対応することが出来ず、折角の技も戦場で活かすことは出来ないとのこと。

まあ、それでも運が悪ければ流れ弾に当たって終わりなのだが、そこは考えても仕方のない所だ。

こうして刀一郎の訓練相手を作るという名目で、クライヴの能力は引き上げられていくのだった。

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