第六十五話 初めての酒
「では、今日はこれまでにしましょう。」
惣万流師範代の締めの言葉で今日の稽古を終える。
本日は次良が留守であった為、刀一郎は槍術の基本を道場で学ぶこととなった。
指導したのは師範代【藤森壮太】
体高は刀一郎とほとんど変わらず、年は42とのこと。
髭を蓄え頭をそり上げたその姿は、修行僧と呼んで差し支えない印象を受ける。
そして実力の方はといえば、流石名門の師範代ともいうべき手腕で、恐らく白鬼抜きでは刀一郎よりも強いであろう。
「刀一郎殿は当代が目を付けられるだけあって、素晴らしい才をお持ちのようだ。」
藤森が今日指導したのは基本に忠実な構えに突き、そして払いなど。
それでもこれほどの実力者ともなれば、所作の節々から見るべき所があったようだ。
一方刀一郎は今の自分の立ち位置を理解しており、褒められたとて調子に乗ることは無い。
己よりも強き者などいくらでもいるという事実を、精一杯受け止めているのだ。
「して、この後予定は何かおありかな?」
「いや、特にはありませぬが。」
「そうですか。それは良かった。ならば一杯共に、いかがですかな?」
門下生も挨拶をしながら帰っていく中、藤森はおちょこを傾ける仕草をしながら語る。
そういえば酒と言うものを飲んだことが無かった刀一郎は、興味もありつつ二つ返事で了承した。
そして足を向けたのが、どうやら藤森行きつけであるらしい居酒屋。
「ささ、私の奢りです。遠慮せずにどうぞ。」
お勧めであるらしい熱燗を並べられ、刀一郎は初めての酒を口へと運ぶ。
おちょこを傾け喉を通り過ぎると、仄かに甘みが残る後味、体の芯からほぅっとあったかくなる感じ。
「これは…旨い、な。」
「飲みやすいでしょう?この酒は飲み慣れていない人にも評判良いんですよ。」
そう言われ、刀一郎は店の壁に掛かっている品書きの札に目をやる。
どうやら今飲んでいる酒は【黒天友】という銘柄の品種らしい。
値段を見ると、この店の酒の中で最も高い値が付けられている。
「藤森殿、この酒は随分高価なのだな。いやはや、散財をさせてしまった。」
「構いませんよ。刀一郎殿は酒を嗜まれないようでしたので、最初が肝心と思ったまでです。はっはっは。」
これで飲み友達を確保したと思っているのか、藤森は愉快そうに笑う。
そして店内を見回し意外そうな顔をした後、奥で一人呑む客のもとへ歩み寄った。
「小瀬川殿ではありませんか。こんな所で会うとは珍しい。」
「む?ああ、藤森殿か。ふふ、私とて偶の息抜きくらいはしますよ。」
如何にも生真面目と言った感じの男だが、語り口調は意外に軽快だ。
「小瀬川殿、こちらは刀一郎殿です。噂くらいは聞いているでしょう?」
「ああ、白鬼…コホン、北から来た傑物だという話だな。よろしく頼む。」
頭を下げられ、今一度自分の口から自己紹介をするとお互い向かい合う形で卓に着いた。
そこから話の流れで、小瀬川が一軍の長であること、名門流派の当代であることを告げられ、刀一郎は恐縮する。
そして話題は疲れた顔をしている事情になり、
「逃した敵軍の残党が中々発見に至らず、今も我が隊が中心となり捜索しているのですよ。」
何でもこれまでの交戦で散る様に逃げ去った敵の残党は、少なくとも千はくだらないだろうとのこと。
とは言え、大きな被害などの報告も挙がっておらず、その捜索は困難を極めているらしい。
「ん?そういえば、惣万殿から何か手伝わせてやってくれと言われておりましたな……ふむ。」
「確かに、当代が修行の一環として軍の手伝いをさせるとは仰っていましたね。」
刀一郎は何となく話の流れは掴めていたが、おちょこを傾けながら本人の言葉に耳を澄ます。
そして案の定と言うべき提案が投げかけられた。
「刀一郎殿、宜しければ我が軍にお力添えを願えませんか?勿論、給金の方はそれなりに弾みますので。」
「あい分かった。その申し出受けさせていただく。」
二つ返事で返された小瀬川は一瞬驚いた顔を見せたが、直ぐに元の表情に戻り頭を下げる。
話がまとまり、その後も雑談に話を咲かせると、夜も更けた頃解散と相成った。
「どうですかな刀一郎殿、この後色街にでも繰り出しては?」
「い、いや、自分はおなごには慣れていないもので…」
刀一郎は少し悩んだ後断り家路につこうとするが、慣れない酒を飲んだせいか足取りは覚束ない。
しかし、初めてであるふわふわとした感覚に癖になりそうだなと思いながら、夢見心地で自宅へ入ると、冬だというのにそのまま玄関で靴を履いたまま眠りに落ちた。
▽▽
次の日、誰かの戸を叩く音で目が覚めると、何でこんな所で寝ているのかと思いながら寝ぼけ眼で迎える。
「刀一郎殿ですね?軽騎兵部隊の者です。隊長から仕事の話があるとのことですので、一度宿舎まで同道願えますか?」
そういえばそうだったと思い出したらしく、冷たい水で顔を洗うと、しゃっきりとした頭で迎えの者の後に続いた。
その道中、最近暇を持て余し気味の相棒のことが頭を過る。
(そろそろ波風も動かしてやらねば機嫌を損ねそうだな。)




