第六十話 漆黒
「はっ!!…せいやっ!!…はぁっ!!」
道場に入ると、門下生らしき者達が威勢のいい掛け声を響かせていた。
ざっと見る限りでも四、五十人はいるだろうか。
目的の人物はその奥。
門下生から響く声を気にすることなく一人足を揃えて座っており、纏う衣装の形は違ったが、やはり黒で全身を覆っている。
刀一郎には、その男の周りの空気だけが異質であるようにさえ感じられた。
「次良、今いいか?」
「ああ、そろそろかと思って待っていた所だ。」
その男【惣万次良】は姿勢を崩すことなく口を開くと、貝塚へと向き直る。
歩み寄っている最中から門下生の視線を感じていた刀一郎だが、それ以上に惣万次良ただ一人の視線に重さを感じた。
「お前の我が儘を聞いて連れてきてやったぞ。」
「ふふ、礼を言う。後で上等な酒でも驕ってやる。」
口ぶりから両者はかなり親しい間柄であることが伺える。
そして貝塚は、後は好きにしろと言わんばかりに、自らの職務へと戻っていった。
貝塚との会話を終えた次良は、見定めるように刀一郎へと視線を移した。
何でもないその仕草にさえ、背筋を走る何かを感じさせる。
「そう固くなるな。別に何かするわけでもない。」
「し、しかし、では何故自分を呼んだのであるか?」
「崩して話してくれて構わん……呼んだ理由か。特にないが、強いてあげれば正常なお前を見てみたかったからだな。」
そう言われ思い返せば、確かに初対面でのあれは異常な出会いと言わざるを得ない。
何も知らぬ者があの姿の刀一郎を見れば、悪鬼羅刹と見まがうに違いないだろう。
そして次良の視線は腰の一振りに注がれた。
「ふむ、改めて見ると一層美しいな。どれ、少し握らせてみろ。」
そう語った後、刀一郎が気付かぬうちに白鬼を抜き放つ。
一瞬不味いと思い警告を口にしようとするが、惣万は何事も無く繁々と刀身を眺めていた。
刀一郎の頭の中は疑問符で一杯になり、その光景をただ呆然と眺めることしかできない。
「ん?どうした?…ああ、焼かれるんだったか、お前以外が持つと。まあ、気にすんな、そういう体質なんだろ。」
語りながら一振り二振り空を切ると、またも気付かぬうちに鞘へと白鬼が納められる。
このやり取りだけでも武人としての格の違いを見せつけられたようで、刀一郎は少し気が沈んだ。
「気にすんなって。いずれお前は俺を超える。」
励ましたつもりなのだろうか、脇をすり抜けながら語り掛ける。
そして、付いて来いと言う仕草をした後、その足は道場の外へと向いた。
どこへ行くのか疑問に思いながら付いて行くと、どうやら刀一郎達が来た道を戻っているようだ。
辿り着いた先は、今朝赴いた広い敷地の一角。
規模自体はさほど大きな建物ではないが、到る所に金細工がなされており、他とは別格の費用が掛かっていそうだ。
そしてこの建物だけは見張りの者が両脇に立っており、多少物々しさが漂っている。
「中、入っていいか?…ああ、後ろの男に見せてやりたい。」
「次良様、その方に『天雷』を見せるのですか?何のために?」
「何となく何か起こりそうじゃねえか?面白そうだろ。」
「しかし…今は巫女様が留守にしておりますので、くれぐれも丁重に。」
「分かっている。というより、俺以上にそれを分かってる奴なんていねえだろ。」
次良が許可を取ると扉が開かれ、刀一郎もその後に続いた。
長い廊下が続く。
その奥には更にもう一枚扉があり、片側に龍の、もう片側に槍を構えた男の見事な装飾が施されていた。
それはまさに、刀一郎が自慢の一品としていたあの木彫りと瓜二つ、いや、これが元になっていると考えるべきだろう。
「お前は大丈夫だろうが、一応、礼儀として俺より前に出るなよ。」
次良は警告とも取れる言葉を囁くと、扉を開け歩を進める。
室内は異様な空気で満ちていた。
心なしか、白鬼が蒸気を発している様な気さえする。
次良の肩越しに、横幅三則ほどの立派な台座が見えた。
そしてその上に鎮座している槍を見た瞬間、刀一郎の内から言葉に表すことの出来ない感情が涌きあがる。
「これが最上級国宝『黒槍天雷』だ。」
その槍は漆黒を纏っていた。
柄から穂先に至るまで、全てが混ざり気のない黒。
白鬼と相対する様な、穢れ無き黒とでも形容するべきだろうか。
そして次良は天雷と呼ばれた槍を掴み、向き直る。
全身黒の男が漆黒の槍を持つその姿を例えるなら、『死を運ぶ者』といった所か。
「どうだ?何か感じるか?」
そう問われると、刀一郎には相反する感情が同時に湧き上がっていた。
一つは内包する力に対しての『畏れ』と呼ぶべきだろう。
だが、もう一つは言葉にするには余りにもあやふやな感情だった。
喜び、悲しみ、懐かしさ、どれも合っているようで合っていない。
そのことが心の中をモヤモヤとさせ、歯痒さを感じさせる。
気付けば、何故かは分からないが、刀一郎の目には込み上げるものさえあった。
白鬼からも何かが湧き出し、空間を震わせたような気がした。
「怖い…な。それくらいだろうか。」
自分でも分からない感情を伝えることなど出来ず、刀一郎はそう語った。
「まあ、そりゃそうか。概ね、他の者と同じか…大して面白えことは起こらなかったな。こいつもだんまりだし。」
次良は天雷を台座へ戻すと、変わらぬ足取りで歩きだす。
そして建物の外へ出ると、一言二言見張りの者に声を掛けその場を後にした。
「さて、もういい時間だな。飯にするか。奢ってやるから付き合え。」
「いや、自分は食べなくとも生きられる。不必要な浪費をさせる訳には…」
そんな言葉を聞いた次良は、向き直り真面目な顔で告げた。
「…お前、そんなんだといずれ人としての心まで無くしちまうぞ。」
「それはどういう…」
「生きるってのは食うってことだ、出すってことだ。そのどっちもないんじゃ、それはもう『人』じゃねえ。そして、心は体に引き摺られるもんだ。」
刀一郎にはその言葉が伝えようとする本当の意味は分からなかったが、何か切実なものである気はした。
「分かったなら行くぞ。あそこの牛鍋は旨いんだ。」
この日、刀一郎は何年振りかの人間らしい食事をし、その美味に舌鼓を打った。




