第四十六話 時代が動く時1
皇歴二十六年十月、皇国はある決断を余儀なくされた。
ガラリアという、海の向こうの国から送られる度重なる侵略の意図を持った兵。
それらを打ち破る度に、送られる兵の規模が増強されていたのだ。
遠方に兵力の逐次投入とは愚行の極みとしか言えないが、それが許される国力は侮れない。
そして、徐々にそれらは北にも食指を伸ばそうとしていた。
「最早一刻の猶予もありません。北の併合を急ぐべきかと。」
皇宮天津乃宮自室にて南条兼継は鋭き瞳を持って進言する。
皇宮と呼ばれるその場所は、統べる者の住処としては非常に質素と言えるだろう。
土地こそそれなりに広いものの、囲う塀は低く不要な装飾も見られない。
寧ろ、側室達が暮らす住居の方が立派にさえ見える。
身に纏う衣服についても不必要な装飾は一切無く、腕と足をすっぽりと覆う袖の長い絹づくりのものだ。
とても人口六十万を超える大都の主とは思えぬ姿である。
そして僅かな時、目を閉じて思案に耽った天津乃宮は、その決定を下した。
「全てを許す。一刻も早くこの地の平穏を取り戻すのだ。」
北から攻めれば容易である事実に気付いていないのか、敵は現状、南にばかり兵力を傾けている。
それらが全て北に向けられれば、伊邪那では恐らく耐えることは出来ないだろう。
そもそも北には海上で戦う兵力自体がないのだから。
現在の皇国では大砲も実用化に成功しており、火筒も弓兵全員に行き渡った。
火薬の量産も急がせており、本格的な戦への準備が着々と進んでいる。
「はっ!お任せください。陛下のご期待、決して裏切ることありませぬっ!」
南条は深々と頭を下げた後、皇宮を後にした。
これより軍議の間にて北の併合について話し合うのだろう。
「やはりこうなってしまうのか・・。守るために傷つけねばならぬとは。」
その顔は悲痛に歪んでいた。
この地に住まう者全てを守り、飢えることなく平穏な暮らしをさせる。
それこそが自らの使命と疑わないこの者には、一体どれほどの苦痛であろうか。
血を流すようなことにはならないかもしれないが、軍をもって相手を動かそうとすることそのものが、兵力差を鑑みればまさに脅しでしかないのだから。
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その夜、天津乃宮こと【天實】は、皇宮から出て直ぐの場所で月を見上げていた。
代々この地を統べる者の名に姓はなく、天から始まる名が与えられるのが習わしである。
そしてその真名は、決して口外してはならないというのが掟であった。
「陛下、お体に障りマス。」
不意に背後から掛けられた声に対し、天實は振り向くことなく口を開く。
「雷安か。」
「はっ。お体が冷えマス。ドウカ自室にてお休みくだサイ。」
「分かっておる。分かっておるのだ。だが、どうしようもないのだ。」
美しき月を眺めずにはいられない。
その言葉はそんな風にも取れるだろう。
しかしそうではない。
こうなる前にどうにか出来なかったのかと悔やんでいるのだ。
「陛下ノ判断、何一つ過ちアリマセヌ。」
「それでも、こういう形になってしまった時点で、我はどこかを間違えているのだ。」
振り向くことも、月から目を離すこともなく天實は静かに語る。
その声は震えていた。
「覚えておるか?もう随分昔になってしもうたが、我が即位してすぐの頃だったのう。初めて会ったのは。」
「はっ。今でも昨日のことのヨウニ。」
「あの時の娘は結局お主の妻になったな。」
あの時の娘とは、ライアンが流れ着いて暫く、世話役を任された女性の事である。
何度も何度も顔を合わせるたびに、お互いが惹かれ合い少しづつ言葉も理解できるようになっていった。
「息子モ、十九になりマシタ。今は新兵として我が隊で頑張っておりマス。」
「そうか。時間が経つのは早いものだな。あの幼子がもうそんなに。」
その視線は相変わらず月に向けられているが、その心はここではないどこかへと向かっている様だ。
恐らく、初めて顔を突き合わせたその日を思い浮かべているのだろう。
それは、まだ国家を宣言する事さえしていなかった時代。
時々小競り合い程度のことはあったとしても、大きな争いなど夢物語であった時代。
個として突出した力を持つ者はいたが、大規模な軍が必要ではなかった時代。
それらの概念を崩したのは、この異人との出会いであった。
時代が動いたのが何時かと問われれば、間違いなくあの時であろう。
▽▽▽▽
異人が流れ着き、早半年が経っていた。
天實は海の向こうから来た者に興味を惹かれたが、万が一を考えた側近に会うことを禁じられた。
我が儘を言えば通ってしまう身分であるからこそ、天實は一切の我が儘を口にしなかった。
だからこそ、ただじっとその時を待つ。
海の向こうに思いを馳せながら、そこから来た人間に話を聞ける時を。
「宮様、以前お伝えした異国の者と会う準備が整いました。」
異人が流れ着いてから一年以上が経った頃、待女からそう伝えられた天實の鼓動は跳ね上がった。
ずっとこの時を心待ちにしていたのである。
だが、駆け出したい気持ちを堪え極めて冷静に返答をし、逸る胸を抑え異人が待つ皇宮の離れへと足を向けた。
「ミヤサマ、オアイデキ…ウレシウゴザ…イマス。」
そこには大きな男がいた。
見たことのない青色の瞳、見たことのない少し霞んだ金色の髪、その姿に天實の心は踊るのだった。




