第三十二話 春の始まり
「阿斗里様、おめでとうございます。」
「まだ気が早いよ。無事に生まれて、そして育つことが出来てからだよ。」
伽耶の葬儀から三月ほどが経過した頃だった。
まるで命の循環を示す様に、弥奈が子を宿したのだ。
言うまでもなく父は阿斗里である。
「そうですね。食糧事情は良くなってきましたが、それでも油断はできません。」
弥奈の具合を見に来た天元も阿斗里の意見に賛同する。
数年前までは幼児が病や飢えで死ぬなど珍しい事ではなかった。
だが、正しき治世のお陰もあり、今ではその死亡率は激減している。
同時に妊婦の死亡率も下降傾向にあり、村の人口を促進する一助となっていた。
出産を助ける職が一つの生業として成り立っているのも大きい。
それでも十人に一人くらいの割合では、悲しい結末が訪れるのだが。
「赤子は、いつ頃生まれるのだ?」
すこし膨らんだお腹を見ながら刀一郎が問い掛けた。
記憶のないこの男にしてみれば、自分もこのように生まれてきたのかと興味津々である。
「そうですね。恐らく秋の終わり頃になるのではないでしょうか。」
天元が幾許か思案した後、そう告げる。
「結構掛かるものなのだな。ふむ、今から楽しみであるな。」
刀一郎は命の誕生を見ることが出来る日を心待ちにしていた。
そして、それぞれが自分の仕事に戻っていき、一日が始まる。
▽▽
伊邪那村への移住者は増加の一途をたどっていた。
最近は特にその傾向が強く、刀一郎も道すがらの護衛として雇われ、金子を得る日々が続いている。
そのこと自体は問題ではないのだが、何故こうも急に移住者の数が増加したのか、そこに問題があった。
一体どこから湧いてくるのか分からないが、賊が頻発しているのである。
被害に遭うのは決まって小さな集落や村であり、己の身を守る為、移住の決断を余儀なくされているのだ。
中には相当な距離を移動してくる者もおり、その道中で被害に遭うという報告も上がっていた。
事実、刀一郎もこの二月の間に十人以上は斬っている。
そしてその者達の中には鉄製の剣を持っている者さえいた
「憲兵の数を増やした方が良いかもしれませんね。」
阿斗里は頭を悩ませていた。
住民の数は既に八千を超え、都留岐達だけでは手が回らない状況になりつつあったのだ。
しかし、良からぬものが紛れる可能性を考えると難しいのも事実。
取り締まる側に悪意のある者が就けば、その被害はそれまでの比ではなくなるだろう。
村には憲兵と門兵がいるが、それらは基本的に別々の仕事をしておりどちらも今は多忙。
移住者が増えている今、門の守りもおろそかには出来ず、そこから人を持ってくるわけにもいかない。
結果、自分だけで考えてもどうしようもないと、阿斗里は長会を開くことにした。
▽
後日、それぞれの区の長が集い話し合いが行われた。
「なるほど、しかし手が足りないのも事実と。」
「憲兵とは別の組織を作ってはいかがでしょうか?」
「互いに見張り合うということか?険悪にならなければいいが…。」
「では、それぞれの区の若者で自警団を作っては?日当という形で手当もだせば納得するしょう。」
「それが妥当な所か…どうでしょうか阿斗里さん。」
黙って聞いていた阿斗里も頷き、話し合いは終わった。
結局、慎重に憲兵を増員し、人が足りない時はそれぞれの区の自警団の手を借りるということで落着した。
だが、不安の根本原因が分からないことには安心することが出来ない。
▽
翌日、阿斗里は刀一郎宅に仕事の依頼へとやってきていた。
その内容とは、頻発する賊の原因、そして一体どこからやってくるのかという二点を調べてほしいというもの。
こういう仕事の申し出は刀一郎にとってありがたい事だった。
やはり自分は武人であるという意識が強い為、狩りなどではどうしても満たせない何かがあるのだ。
「承った。しかと、成し遂げてまいる。」
「お願いいたします。こういうことで刀一郎さん以上に頼れる人はいませんから。」
阿斗里はそう言った後、一枚の紙を取り出し手渡した。
その紙は地図であり、所々にバツ印が付けられている。
「印が付いている所が報告にある賊の頻発地域です。一応の目安にして下さい。」
「有難く。では、明朝波風を連れ出発する。」
「お願いします。刀一郎さんの強さは信じていますが、くれぐれも無茶はしないでください。相手は只の賊ではない可能性があります。」
「分かっている。必ず原因を突き止め戻ってくるとしよう。」
▽
明朝、西門前。
刀一郎は波風の手綱を引き、出発の準備に勤しんでいた。
自らが飲まず食わずで良いとしても大事な愛馬はそういうわけにはいかないのだ。
食うし飲むし排泄もする。
とは言え、季節柄食べる為の草は大丈夫だろうと、念の為の水だけを持っていくことにした。
すると、遠くから呼びかける声と共に鉄志がやってくる。
「お~い、刀一郎!これ持ってけっ!」
以前もこんなことがあったなと既視感を感じながら受け取ると、それはいつか見た方角が分かるという道具だった。
「俺は指針って呼んでる。迷子になって帰れねえんじゃ締まらねえだろ?へへっ。」
悪戯っ子の様な顔を見せる鉄志に見送られ波風に跨ると、その腹を踵で叩いた。
そして軽く手を上げ挨拶を交わした後、任務へと赴くのだった。




