第二十五話 皇国の雄
潮流図というものがある。
陸の周りの海がどのような流れで巡っているかを記したものだ。
皇歴元年から制作に取り掛かり、完成までに十五年余りを要した。
同時に、皇国地図の作成にも取り掛かり、こちらも同様の年月を要した。
皇国の勢力が今まで北まで向かなかったのは何故なのか。
それは単純に必要性と余裕がなかったからに他ならない。
そして北の地まで手を伸ばす理由が出来、体制が整ったのは、皇歴十九年の事だった。
「どうだ?あの村の様子は?」
「勢力が拡大し続けている。このままではあの時の様にまた争うことになるかもしれん。」
「それは…不味いな。とは言え、我らは影。ただ為すべきを為すだけか。」
この者達は、皇国の情報収集を専門とした者達である。
その存在は一般的には秘匿されているが、人の口に戸は立てられぬ。
まことしやかな噂程度ではあるのだが、民の間でもその存在は囁かれていた。
「一つ伝えておかなくてはならないことがある。」
「どうした三号?」
「一人危険な男がいる。」
彼らはお互いの名前を知らない。
その為、あてがわれた数で呼び合うのだ。
一号、二号、といったように。
この地方に派遣されている同じ隊の者は五人。
それぞれが入れ替わる様な形で村の中で活動する。
そうすれば行商を装うことも容易という判断からである。
「あの男は遠く離れていても我々を感知できる様だ。」
「目が良いということか?」
「違う。目で見える距離ではなかったし、何より草の陰に身を隠していた。見つかる道理がない。」
「偶然ではないのか?」
「違う。背後を取られた。」
「…っ!?」
三号と呼ばれた男が言っているのは、言わずもがな刀一郎のことである。
隠密とも呼ばれる彼らは、人一倍気配に敏感だ。
自らの油断があったとしても、背後を取られるなど決してあってはならないことなのである。
そしてこの三号と呼ばれる男の隠密技術は、その部隊の中にあっても特筆すべきものであった。
「その男、特徴は?」
「背は百五十の半ば、容姿に関してはあまり特徴的なものはない。」
「ならば、どう判断する?」
「腰に携えた得物が特殊だ。刃渡りは九十糎程。反った片刃。材質は不明。その全てが白。」
その特徴を聞き二号が口を開く。
二号はつい先ほどまで村の中に潜伏して露店をしていた男である。
年はまだ若く、手先が器用で木彫りなどが異常に上手いのが特徴だ。
「それは、刀一郎と呼ばれている者だな。最近は俺の露店に何度も顔を出すぞ。」
「危険だぞ、あの男は。過度な接触は控えろ。」
「大丈夫だって。逃げることは出来るんだろ?」
「そうだな。戦えば死ぬと、俺の全ての感覚が告げていたからな。あんなに全力で走ったのは記憶にないぞ。ふふっ。」
彼らにとって最も恐れるべきは死ではない。
無駄死にである。
得た情報を届けることも出来ず、自らの存在という情報をただ相手に与える。
それこそが彼らの最も恐れることなのだ。
「顔を見られたか?」
「何とも言えん…その後も接触はしていないが、森の小屋で何者かの接近を許した。恐らくあの男だ。」
「そうか…ならばお前を村に潜り込ませるのは無理だな……よし、海に向かえ。船が用意してある。」
彼らの移動方法は基本的には船を使う。
調べてわかったことなのだが、この地の周りの潮流は、まるで守る様にぐるぐると右回りで周囲を巡っているのだ。
その為、北に向かう際には西の海を、帰りは東の海を使う。
流れも何か所かに気を付ければそれほど激しくもなく、容易に渡ることが出来た。
勿論天候の問題もあり予期せぬ足止めを食うことはあるが、それでも陸を行くよりは数倍速い。
これが分かったお陰で、漸く北に手を伸ばす計画を実行段階に移すことが出来たのだ。
三号は多少の無念を抱えながら承諾し、したためた情報の書かれた紙を胸に抱き帰国の途へと就くのだった。
▽▽▽
そして十日余り後、その情報は皇国へと伝えられた。
「これが、今回影が持ってきた情報になりますが、それぞれ気になることはありますか?」
場所は天津乃都皇宮近く、軍議の間。
取り仕切っているのは皇軍総大将補佐【田中子明】
見た目は軍人というよりは文官といった印象の男だ。
その部屋には他では見られない細長い木造りの卓が置かれ、集まった面々が顔を突き合わせている。
軽装歩兵部隊、重槍歩兵部隊、軽騎兵隊、重騎兵隊、海上部隊、弓兵隊、特殊作戦部隊、それぞれの隊長と補佐が揃っていた。
それ以外には、天武官という役職の者も同席している。
その中で最初に口を開いたのは重槍歩兵部隊隊長【九条雷安】であった。
「この刀一郎というノハ、それほどの男カ?」
年は四十七、色が抜けた髪、青い目、百九十を優に超える体躯。
その顔には年齢にふさわしい皺も刻まれ、屈強な老兵の風格を備える。
前にすれば圧倒されるその姿。
重槍歩兵という名にこれほどふさわしい男は、この国にもそういまい。
重槍とは槍の先端が斧の様になっている、通称斧槍を主武器として扱う部隊であり、かなりの膂力を要求される一団だ。
「うむ、仮に一騎当千であったとしても、戦は一人の力では動かんよ。無論軽視するわけではないがな。」
そう口にしたのは重騎兵隊隊長【大道重盛】
雷安よりは小さいものの、それでも百八十を越える巨漢である。
年は五十と老齢ながらいまだに落ち着きなく、戦場に出れば周りを右往左往させるやんちゃな一面を持つ。
頭は完全に禿げ上がっており、雷安の頭部を見ては妬みの声を上げることもしばしば。
「ふふ、その通り。それに、単騎の歩兵ならば我らでどうとでもなろう。」
不敵な笑みを浮かべながらそう語ったのは弓兵隊隊長【遠村久三】
体高は百六十弱、年はここに揃った中で最も若い、まだ二十の才気あふれる青年だ。
その弓の腕は天津乃宮の御前で行われた競技大会において、百側(100m)先の的に十回矢を射り、全て的中させるという偉業を成し遂げた傑物である。
「それに、一騎当千というなら惣万殿もおられるしな。」
遠村が視線を向けたのは、深い皺が刻まれた老齢ながら尚その闘気衰えぬ男。
【惣万次良】役職は天武官、体高は百六十程、年は五十一になり晩年といってもいい頃だろう。
だが、この男に勝てる者がいるかと聞かれれば、誰もが首を横に振る。
天武官とは隊に属さずただ一人での判断、そして行動を許された者。
平たく言えば、皇国最強の男である。
そして皆の視線を受けた惣万は静かに頷いた。
それからも話し合いは続き、
「本日はここまででよかろう。諸々の問題が片付き次第、本格的に北の併合へかかる。陛下、宜しいですか?」
そう締めくくりの言葉を述べたのは、皇軍総大将【南条兼継】
体高は百七十程、年は三十五と若くして皇軍の総指揮を任せられている天津乃宮の信厚き男だ。
総大将の視線を追う様に、皆の目が主へと注がれる。
そして、それまで黙して語らずだった天津乃宮が口を開いた。
「そのような傑物が北の地にいることは我が国にとって大変喜ばしい事である。お互いに傷つけ合い血を流すこと、まかりならぬ。」
皆が席を立ち一礼した後、軍議の間は本来の静寂を取り戻した。




