第二十二話 血塗れの記憶
これは海の向こうにいたある男の記憶。
その男の記憶は血で塗れていた。
非道な主に仕え、ある一団を任され、弱者を蹂躙する。
弱きを守るために鍛えた己の剣は、弱きを殺すための剣に成り下がった。
それは刀一郎達の知らぬ海の向こう、遠い異国の物語。
「隊長、制圧完了いたしました。」
部下の職務遂行の知らせを聞き、どうしようもなく心が沈む。
だが、それでもこの部下たちに責任はない。
寧ろ、責任はそれを命じた自らにあるのだ。
「よくやった。本隊が到着次第、我々は撤退する。」
小さな村は鮮血に塗れている。
だが、婦女への暴行などは行われていない。
それだけは、どんなに落ちようとも、それだけは譲れなかったのだ。
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この男の率いる部隊は、所謂先遣隊である。
敵の戦力を計る為、若しくは、本隊が出るまでもない規模の集団に対し、一方的な虐殺を行うことを任務とする。
捨て駒部隊などと呼ばれることもあった。
顔ぶれを見れば、殆どが王への不満を持つ者達で構成されている。
勿論、誰一人真正面から異を唱えたことなどないが、自宅で、酒場で、何気ない場所での会話が漏れ、このような処遇になっているのだろう。
処刑されなかっただけでも恩の字なのだ。
「隊長、本隊が到着いたしました。」
その報を聞き男が振り返ると、いやらしい笑みを浮かべた顔が見えた。
飾りの付いた馬に跨り、鼻の下に少しはやした髭をいじりながら近寄ってくる。
この男こそが、今回の進軍の指揮を執る貴族だ。
王族ともつながりのある血筋であり、頭を下げなかっただけで首をはねたという事案さえあった。
纏う鎧は実用性など一切考えない、豪奢な飾りに塗れている。
「掃除ご苦労だった。・・・おい、このまま馬から降りたのでは靴が汚れるだろうが。」
貴族の男は、下に転がる幼子の死体に目をやると、汚らわしそうに目を細めた。
別の場所へ降りればいいのだが、分かっていてやっているのだ。
つまり、嫌がらせである。
男は心の中で謝罪を繰り返しながら、幼子を端に投げ捨てる。
「…それでよい。ご苦労だったな。・・・何をしている。さっさと下がれ。」
何も言わずただ頭を下げている男に対し、見下ろしながら不快そうに吐き捨てた。
そして男は下を向いたまま下唇を噛み、短く返事を返し背を向けるのだった。
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以前までのこの国は大陸制覇を掲げてはいたが、ここまでの残虐行為を是とはしていなかった。
その在り方が変わったのは、王が流行り病で亡くなってからである。
正室との間に生まれた子は一人しかいなかった。
そしてその子供は只々甘やかされ、実務など全く知らないまま王位に就いた。
当然、実務を執るのはその周りであり、本人は放蕩三昧。
苦言を呈する者もいたが、その悉くを処刑。
国から逃げようとした者も同様である。
反逆を試みた者は、側近が悪い意味で優秀であった為、敢え無く一族郎党処刑と相成った。
その光景は男の眼に焼き付いている。
ある家族の娘は思い出したくもないほどの蹂躙の果ての死だった。
あれを見ては、最早誰も逆らう気力など涌かないだろう。
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そんな心を殺す生活がどれだけ続いただろうか。
ある日、男の率いる隊にまたも命令が下る。
「リバル公国を落とす。貴公の隊も至急準備されたし。」
大臣の使いである男が、感情の見えない顔で語る。
リバル公国とは、男の所属する国から南方に位置する島国。
規模自体は小さいが、島の周りの潮流が中々に険しいことで、侵略を免れていたのだ。
数日後、男は隊の部下を集め、憂鬱な顔で語る。
「…仕事だ。今度は海を渡る。一応家族には別れを告げておけ。お気に入りの娼婦にもな。ふふっ。」
一同から同意の声が上がり、笑い声に包まれる。
この荒んだ国にあり、この仲間達だけが男の救いであった。
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男の隊に用意されたのは決して荒波を越えられるような代物ではなかった。
辿り着ければそれで良し、沈むならそれでも良しと思われているのだろう。
五十隻はあろうかという船団の中で、男の隊の船は埋もれるように小さかった。
数日を掛けリバル公国近辺までたどり着くと、潮流は聞いていた通り、いやそれ以上に激しかった。
波の向こうからは敵船団が見え、交戦と相成ったが、味方船団は浮足立っている。
そして、海戦の熟練度も向こうが上。
船団の規模だけは有利を保っていたが、そんなものは徐々に立ち消えていく。
不幸なことにその乱戦の中、大砲が男の船のマストをへし折った。
当然、船は制御不能と陥ったのである。
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一体どれほど彷徨っていただろうか。
船内に積んでいた食料は全て底をつき、飢えと渇きに苦しんだ。
三十名いた部下は十名が息を引き取り、このままでは人食いをしていまいかねないと海に捨てた。
さらに苦しみに耐えられなかった数人が自害した為、神に祈りながらまたも海に捨てた。
そうして幾度夜を越えたか分からない頃、生きているのは十人を切っていた。
最早、何故生きているかもわからず、喉が渇き、体のあちこちが痛み、声すら上げることが出来ず、只死を待つだけだった。
波に揺られ、船内では辛うじて息をしてる者が数人いるだけになったそんな時、
「くっせぇ~、何だこの匂い・・・・ん?・・大変だっ!人がいるぞっ!船の中に人がいるっ!」
夢か幻か、聞き覚えのない言語が鼓膜を震わし、男は意識を手放した。
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次に目を覚ますと、草を編んだような見たことのない床に寝かせられていた。
そして、あまり見ない顔立ちの男が覗き込んでくる。
男が目覚めたのを確認してか、何かを大きな声で呼んでいる様だ。
連れられてきたのは、がっしりとした体格の黒々とした髭を蓄えた男。
腕、足、胴を守る鎧を着ていることから兵士なのだろうと判断した。
どれも男のあまり見ない作りの鎧であった。
「大道重盛だ。分かるか?・・・やはり通じておらんか・・。」
大道と名乗った男は自分を指さし何かを語った後、男を指差すのだ。
それは名を聞いているのだと判断し、男は、しっかりとその鋭い瞳を見て伝えた。
「アレクセイ……ライアン。」




