第百三話 逃亡劇1
暦は一月も終わりに差し掛かる頃、ロメル本島の地もそれなりには冷え、吐く息も僅かに白く、それぞれが支給品の毛皮を纏っている。
港には軍属と思しき者達が列を為して出迎えてくれた。
領主の姿が見えない事から察するに、相当な危険人物と目されてしまった様だ。
それらは青井達が港へ足を下ろすと同時に皇海龍を管理下に置き、縛られたりはしていないもののまるで捕虜と同等の扱いをし始める。
周りを異国の軍に囲まれ、歩く一行の先頭に立つのは皇国最強の男、惣万次良であった。
そして当然の如く武器も接収されようとしたが、
「ぐあああぁぁぁあっ!?」
悪戯っぽい笑みを浮かべた次良が天雷を渡すと同時に、兵の手が焼けただれ人の肉が焼ける嫌な匂いが立ち込めた。
そして苦しむ兵を横目に何事も無かったかのように次良が天雷を拾い上げると、彼らは武器の接収を一先ず後回しにし、苦々しい表情を浮かべ先導を再会する。
周りをロメル軍に囲まれながら施設へと移動させられている時、次良は黒宵にあることを頼んだ。
(おい、黒雷様。)
『な、何じゃ急に、気持ち悪い。』
(これから言うことを皇軍の奴等だけに伝えろ。出来るな?)
『中々に難しい事を言うのう。まあ、出来ん事も無いが。』
そして中央に立派な馬の像が佇む開けた大広場に差し掛かった瞬間、ドサリドサリという音と共に、急にロメルの兵が倒れ始める。
それと同時、皇軍の者たちが一斉に散開した。
中には伊吹の様な文官もいるが、忘れてはならない、彼らも皇国の民、幼い頃から武を修めているのだ。
今回の遠征に付いてきた者達は、一様に危険を覚悟して同道した者ばかり。
腹を括ったその行動には一切の迷いが見られなかった。
ロメルの兵達も何とか捕らえようとするが、野次馬が射線を遮り撃つ事が出来ず、何とか追いかけるも遂にはその姿を見失ってしまう。
こうして皇軍の面々は予期せぬ逃亡劇を開始する事と相成った。
▽▽
散開した直後、場所は広場から北、狭い路地を人を縫う様に駆ける影が一つあった。
その影、刀一郎は追っ手を撒こうとしている。
獣の如き動きに追っ手は次第に離され、背後から聞こえる怒声は次第に小さくなっていき、みすぼらしい家が立ち並ぶ路地に入る頃には聞こえなくなった。
「むぅ、なんだここは…やけに臭いな。」
ここは所謂スラムと呼ばれる場所であり、刀一郎に分からぬのも無理はない。
地べたに座る者達は様々だ。
死んだ様な眼をしている者、品定めしているのか、にやつきながら舐めるように見てくる者もいる。
一様にお世辞にも綺麗とは言えない衣を纏っており、関わり合いにならないのが得策だと刀一郎は判断した。
「この場所は早めに抜けた方が良さそうだな。」
『だろうな。恐らくここは貧しい者達が集まる場所なのだろう。治安も良くはないはずだ。』
こういう時、話し相手がいるというのは有難い。
何せ周りは異人しかいないという現状、少し勉強した程度の刀一郎では会話もままならない。
まあ、傍から見れば独り言を言っている様にしか見えないのだが。
「やはり、簡単に抜けさせてはくれぬか。」
足を速める刀一郎だったが、それと並走するかの如く数人の男達が周りを囲む。
その手には大小様々な刃物をちらつかせ、顔も締まりがない。
「スタンダンデリヴァ~…」
長々と何かを語る男の言葉を理解することなど出来る訳もなく、刀一郎はやはり頼りは白姫だと問い掛ける。
『はぁ、少しは理解する努力をせよ。まあいい、全部おいて去れ、命だけは助けてやる。といった所だ。』
「まあ、予想通りといった所か。賊ならば容赦は要らぬな。」
刀一郎はこの賊達を技の練習台にする事を決めた。
ついこの間、加減が出来ていない事を次良に咎められ、実は気にしていたのだ。
そしてまずは、振打を放つ。
すると一番近くにいた男は、触れられてさえいないのに地にうずくまり呻き始めた。
その光景に動揺が波紋の様に広がり、男達は少し後退る。
「これくらいが丁度良いか。死ぬ訳ではなく、かと言って起き上がる事も出来ぬ。」
次は直接打ち込む勁を練習したいと、爪先を滑らせる独特な歩法で次の標的へ。
男はがむしゃらに刃物を振り回すが、円を描き受け流すと同時に腕の関節を外す。
そして脇腹に勁を放った。
「これは強すぎるな。また痙攣させてしまった。」
眼下に崩れ落ちた男は、以前と同じく白目を剥きびくびくと体が跳ねる。
それを眺めていた刀一郎は、あの時次良がやったことを真似、手を当てると中で暴れる力の相殺に掛かった。
これは意外に上手く行き、自分もやれば出来るではないかと小さく鼻を鳴らず。
そして次は体の芯を穿つ打撃の練習をしようかと、残る男達に目を向けた。
「…ヒィッ!!」
向けられた瞳はあまりにも無機質であり、まるで【物】を見るようであった。
ぐるりと視線を向けられた男達は冷や汗を掻きながら、一目散に逃げ去っていく。
「何だ、もう終わりか。全く気概のない。」
刀一郎は独り言ちると、目的地へと歩みを進めた。
目的地とは、ここから西に進んだ所にある森だ。
海上で待たされている間、皇軍の者達とて只ぼ~っとしていたわけではない。
小舟を使い、港町周辺を遠くから眺め周りの地形を出来る限り把握することに努めていたのだ。
一応ロメルからの監視の船もあったが、一隻ではどうせ何も出来ないと高を括り口煩くは言って来なかった。
そしてあの時、次良から黒宵へ、そこから皆に伝えられたことは次の事。
『次良が活路を開く。各々その機を逃さず散開せよ。集合場所は西の森じゃ。無駄死には我が許さぬ。誇りある皇国の民ならば我が期待に応えて見せよ。』
それを聞いた後、刀一郎は注意を引き付けるべく北に駆け今に至る。




