電車
ガタン、ゴトン。
真っ赤な電車が地獄へ向かう。その横をファーンという音を立てながら、真っ白な電車が行く。天国行きの最新列車だ。
薄気味悪い地下鉄のホームから大勢の人がそれらの電車に乗り込む。
「駆け込み乗車はおやめ下さい。」
人が多すぎて閉まりきらない真っ白な電車へ、駅員達が体当たりで客を押し込む。
「まったく、天国行きの奴らはやけに早く乗り込みたがるから、毎日困ったもんだ…。」
「それに比べて地獄行きの奴らはいつもおとなしいから、仕事が楽だ。」
――1番乗り場に電車が参ります。
列も乱さず、キチンと並んでいる彼等。観念したような顔で真っ赤な列車に乗り、より快適な走行で地獄へ着くまでの一時を楽しむ。それは多分、最期の楽しみになるのだろう。
――2番乗り場に電車が参ります。
もう一方のホーム。列はぐちゃぐちゃ、並ばないし、騒ぐし、割り込みなんか日常茶飯事。電車が着くやいなや、我先に乗り込む人々。一本でも早い列車に最期をかける。乗り心地もあったもんじゃない。こんなに満員だから冷房も効かない。しかし、そうしてまでも、その先の快適に目を向けているようだ。
この駅に最近配属された新人の駅員が、何やら先輩に尋ねている。
「先輩は、どうしてこの仕事を選んだんですか。」
上司に向かって少々生意気にも感じられるが、敬語が使えるだけ、まだ、まっしなのかも知れない。
新人が続けて言う。
「僕は、地獄門の警備とか、天国で植木職人とか、そういう楽な仕事したかったんですよね。」
「そうだな。俺にも仕事ってのがどういうものか、お前以上に無知な時代があったな。」
「えっ…。」
新人が意外そうな顔で答える。まだ、先輩の話は続くようだ。
「昔、俺は天国の方で料理人をしてたんだ。下界でも結構な腕を持っててな、こっちに来るまでは、ある下町で小さな定食屋を営んでた。もちろん、死んだら仕事なんてしたくも無かった、好きで就いた仕事を死ぬまでして、死んだらオサラバだと思っていた。仕事も勉強も、何にもしなくていい。このホームから、あの真っ白い電車に乗り込んで天国に向かう。着いた先は生きてる時の何万倍も穏やかで幸せに暮らせる場所だった。けどな…。」
「けど…?」
つられて聞き返す新人。
「けど…しばらくして、飽きたんだ。お金も時間も無い。本当の意味で何もかも必要の無い平和で、すべてが自由な世界。初めは懐かしい連中やお世話になった人なんかに逢って感動したり、好きなもの手に入れて、好きなことして、すごく幸せだったんだ。しばらくして…そうだなお前と同じくらいの(天国暦で数えての)年齢だったかな…俺もこっちに来て仕事を始めた。就いた先があの有名な天国レストランだった。下界での職歴が評価されて直ぐに料理長を任された。決められた営業時間に御もてなしをする日々が続いた。」
新人の駅員は黙ったまま、先輩の話に耳を傾ける。
「料理は楽しかった。もちろん、もっと腕が立つ人も天国には沢山居てる。俺みたいに一流の腕を持ってなくても、天国じゃ自分の料理にケチをつけるお客さんなんて居ない。みんな俺の料理に満足してくれる。お前は、そのこと、どう思う。」
不意をついた質問に、うろたえたような感じで、新人はこう返した。
「えっと…す、凄いですよ。あのレストランでみんなを満足させる料理を作るなんて。僕にはとても…。」
しばらくの沈黙の後先輩がまた話し始めた。
「…そうか。下界で定食屋をしていた時に気付いた。ある人は、時間が無くて急いで料理を出して欲しい。ある人はゆっくり誰にも邪魔されずに食事を楽しみたい。家族で来るお客さんもいれば、仕事帰りに一人で一杯呑んで帰るお客さんもいる。それが仕事なのかもなってな。」
「…難しいですね。」
新人は頭を傾けながら色んな思いを巡らしているようだ。
それを見て、かもな…。と先輩が微笑みながら呟く。
笑わないでくださいよと言いたげに、もう一度新人が尋ねた。
「それで、先輩はどうしてこの駅員に…。」
「…いろんな奴が来るからだよ。お前みたいな奴を含めてな。客だって毎日違うんだ。天国のレストランじゃ味わえないこの満足感は下界の『仕事』に似てる。俺のような『仕事』が生きがいの奴もいてる。それがこっちの世界じゃ、この『仕事』でしか味わえない。あと何年かすれば、お前にも急に分かる時が来るだろうよ…。」
ガタン、ゴトン。
今日も赤い電車と白い電車がこのホームを行き交う。
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