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Girls In The Showtime  作者: アベンゼン
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姉妹

ロンドン、年頭の静かな夜である。


底冷えのする街の中で、人目につきにくい一角に、二つの人影が入っていった。


この街にいくつもある地下クラブのうちのひとつ、「アイ・ガット・リズム」が営業を始めている。


典型的なクラブ制のショーパブだ。外からは勝手口にしか見えない重いドアを開けると、目の前にSPが立っている。簡単な会員照合を済ませると、店の名前が印字された小さなギターピックを渡され、地下へ続く階段を下っていくことになる。


決してきれいとは言えないし、どちらかといえばみすぼらしい店だった。実際のところ、この店の売上だけでは赤字である。皮と鋲でそれらしく装飾してあるドアを開けると、あまり広くない店内だ。


入口のすぐ隣にバーカウンターがあって、そこでは美味くも不味くもない酒が飲める。背中を丸めた男が二人ほど座っていて、ぶつぶつと何か文句を言っている。数枚の硬貨と引き換えにアルコールを手にすると、店主が覗き込んでくる。


「あんた、誰だ?」


不躾な質問だ。だがこの辺で、他人に深入りするのは愚かなことだ。店主も程なくしてどこかへ行ってしまう。


振り返ると、せり出した大きなステージだ。真ん中にポールが立っている。暗い照明の中で、何人かの女の子が煽情的に肌を露出して体を波打たせている。


あまりセンスが良いとは言えない、一昔前のヒットソングが流れている。当時流行っていたのはアウトドアのアクティビティに似合うような健康的なダンスチューンだったから、この場の空気にはひどくそぐわないものだった。


ステージの周りには男たちが集まっていた。あまり広くないスペースに立っていて、吟味するようにまじまじと女の子たちを眺めている。


見れば、どの女の子も必死な様子だ。奥で控えめに踊っている赤毛の少女は中々に美しい。すると、さっきまで背中を丸めていた男がゆっくりと立ち上がって、その少女に向かって何かを投げた。さっき入口で渡されたギターピックだ。


するとその少女の顔がぱっと明るくなった。男は顎でドアの方を示した。

女の子は舞台そでに消えていった。


他の客をかき分けて出口へ向かう男に、別の客が話しかける。


「もう行くのか」


「もう充分だろ」


「〝あの子〟まで待たないのか」


「どうせ別の奴が持っていくんだ。貧乏人の選択を笑うんじゃねえ」


「笑っちゃいないさ。ひどい時代だな」


「そう思うならお前が競り落として俺にくれたっていいんだぜ」


話しかけた方の男が肩をすくめた。会話が途切れて、話しかけられた方の男は出て行く。


他の女の子はまだ必死で踊り続けている。誰かがギターピックを投げてくれるのを待っているのだ。

四十二番はサクラに尋ねた。


「これって、女の子を買ってるんですか?」


しっ、とサクラは四十二番をたしなめた。


(大きな声を立ててはいけないわ。貴方が女性だと分かれば、貴方もああして売られることになるわよ)


サクラと四十二番は、大きなフードの付いたコートとマスクで顔を隠していた。背丈のあるサクラはそのままで、四十二番はさすがに小さくて弱々しいので、駅で買った新聞を数部、体に巻きつけている。


誰もここまで、彼女たちを追い出そうとはしなかった。誰も他人に深入りしないのは暗黙の了解のようだったが、それ以上に、そもそも誰もが他人に興味を持っていない。


男たちの興味は、今夜誰と寝られるかで、店と女の子の興味は、客からいくら巻き上げられるか、だった。


フードの隙間から、四十二番はサクラの顔を覗いた。真剣な目だった。


曲が終わりに向かう。女の子の中には泣いている子もいる。きっと今日中に金が必要なのだろう。もうあきらめて踊っていない子もいる。


パフォーマンスの終わりは唐突だった。退場まで踊り続けた女の子はいなかった。とぼとぼと、舞台裏へ肩を落として戻っていく。



曲が終わり、照明が落とされた。ピンスポットライトが淡くともる。


静かなピアノの曲が始まった。スモークが焚かれ、ひんやりした空気が流れ始める。いつの間にか店中の男たちがステージの前に集まり、我先にと身を乗り出していた。


有名なオールド・ポップスだった。アルコールとマリファナの香りに満ちた店の中で、スポットライトが当たっている場所だけが異空間のようだ。そこに煩悩の匂いはない。




そして、ようやく「その少女」が姿を現した。




サクラが、四十二番の隣で、緊張に身を固くする。さっきよりもさらに切羽詰まったような表情になっていた。


その少女は、聖母マリアを模しているであろう、絹の大きなケープを頭に柔らかく載せており、ゆったりとしたローブを纏っている。


薄い白金の色彩で溢れていた。照明のせいもあったが、それはその少女の肌と髪が反射して創り出した光であった。


祈るように、両手を組んでいる。伏せていた目をゆっくりと上げて、開いた。


場にいる全員が息を呑むのが聞こえるようだった。


緑ともグレーともつかない、不思議な色の瞳だった。とても大きな、それでいて目の端が切っ先のように真っ直ぐに切れていた。


圧倒的な清涼感がそこにはあった。真夏の午後に吹き込んだ北風のような、透き通るような爽快さが吹き抜けていく。


少女は歌い始めた。初めはかすれた小さな声で、じれったいくらいに無垢な歌声だった。


入ってきた弦楽器隊の厚みが増し、打楽器が混じり始めるころ、少女の声はより力強く大きくなり、びりびりと空気を震わせるほどになった。

組んでいた両手を前へ伸ばしていくと、驚くほど細い手首があらわになった。透き通るような白さが照明を浴びて、幻想的な輪郭を醸しだす。


全く、完璧な美しさだった。


四十二番はその様子に心打たれ、口を開けたままその様子に見入った。

その場にいた他の者もそうだった。突然現れた少女の、一髪の間隙もない麗しさに、心を奪われ言葉を失っていた。


曲が終わる。誰も何も言わない。少女が立てる衣擦れの音だけがいやに大きく聞こえる。

そして、するりとあっけなく少女のローブが落ちた。


緋色のシンプルなドレスだった。レースなどの装飾はあったが豪奢ではない。色素の薄い少女の肌にしっとりと馴染んでいる。

同じ色のヘッドドレスをつけていた。


薔薇だ。


四十二番は、サクラの言葉を反芻する。


(その方は、その美しい姿と名を、高貴な薔薇に例えて呼ばれているわ)


――少女の名は、「ローズ」である。


誰かが、ギターピックを投げた。


それに誰かが口汚い罵声を浴びせる。そして、二つ目のピックが飛んだ。三つ目、四つ目――。あっという間に、残っていた男が全員、ギターピックを投げ切った。

そしてその次に、ある男が硬貨を投げた。それを見て、別の男が硬貨をひとつかみ投げて、それがローズの足元に散らばった。じゃらじゃらと景気の良い音が鳴る。それにも後が続く。

やがて紙幣が混ざりはじめた。それらは舞台の上ではらはらと宙を舞う。

少女は雨を受けるように、両手を小さく広げた。四十二番は、少しだけ伏せた少女の口元が愉悦にほころんでいるのを見た。笑っている。


罵声と金が飛び交うステージの上で、少女は笑って立っていた。男の中にはバッグにいっぱいの紙幣を用意してきたものも複数いた。異様な光景だった。それはこの少女の夜を競り落とすための儀式のようだった。


やがて、恐らくは最も多い札束を降らせたであろう男が、意気揚々と前へ出た。立派な口ひげを蓄えた初老の男だった。ほこりひとつない濃紺の礼服を着こんでいる。

男はステージに上がると、うやうやしく腰を落として手を差し伸べた。少女を買ったのだ。相当な金額をかけて、男はこの少女を迎えようとしていた。


四十二番は不安に駆られた。このままだとあのおじさんにローズが連れて行かれてしまう。サクラを見遣ろうとしたところ、そこには誰もいなかった。

とたんに四十二番に不安が襲ってくる。まずい! ローズは男に手を伸ばした。男は満足げに微笑んでいる。静かな儀式であった。



しかし、静寂を割いてアコースティックギターの荒々しい音色が響き渡った。



それはジプシー・バンドの演奏だった。先程までとは異なる、挑戦的でスリリングなビートがフロアを襲った。


男が伸ばした手を取りかけたローズが動きを止めた。いぶかしげに周囲に目を配らせる。


すると、ステージ上に何か小さなものが投げ込まれた。それは転がり、男の足元までやってきた。

男はそれをつまみあげ、目の前まで持ってきた。ためつすがめつし、不意にその目に驚愕の色が浮かぶ。


「どいて頂戴! 落札者は私よ」


不意に風が起こり、四十二番の脇からステージの上へ躍り出たものがあった。


ステージに上がったのはサクラだった。既にコートもマスクも捨てていた。

その下にはドレスを着込んでいたのだ。薄桃と黒のツートーンで、ところどころ木の枝を思わせるような特殊な意匠が施されている。


頭には桜のヘッドドレスだ。その出で立ちは、ローズのものと符合する。

サクラもまた美しかった。肩が大きく開いたデザインは、ローズの肌よりも明度の高い濃密な白を際立たせている。


ローズを落札しようとしていた男は、突然現れたサクラの姿にしばし呆気にとられたが、やがて口をぶるぶるとふるわせると叫んだ。


「いくらでも出してやろう! お前も今夜は私のものとなれ!」


「嫌」


間髪入れずサクラが言い放った。


「そのマハーバーラタ合金の指輪は私のものよ。それよりも高価なものをお持ち?」


男は、今度は全身をぶるぶると震わせ、言葉にならないうめき声を上げた。そして、サクラに飛び掛った。

サクラは少しだけ身を引き、手刀のような動作で男を打ち落とした。男はなすすべなく、勢いよくステージに叩きつけられた。


「お姉様!」


サクラは叫んだ。ローズはその場に立ったまま動かない。


「お久しぶりですわ」


ジプシー・バンドの演奏が熱を帯びていく。激しいソロ・パートが始まった。


「貴方――」


ローズが口を開いた。


「サクラね?」


サクラがうなずく。


「とんだ横槍だこと。何をしているのか、分かっていて?」


ローズが冷たく言い放つ。サクラはかぶりを振った。


「いいえ、お姉様。私は自分が何をしているのか分からないわ。でも、目的なら明確よ」


ローズは少しだけ上を向いて、首を傾げた。


「何かしら」


「迎えに来ましたわ。私とお姉様の、塞ぎ込まれた記憶を取り戻し、あの尊厳を取り戻すための旅へ――私と共に来てほしいの」


少し芝居がかった、しかし痛切な声だった。


ローズが不意に笑った。それまでとは異なる、少し歪んだ大きな笑いだった。


「そう! サクラ、貴方、私が貴方に伝えた言葉を憶えていて?」


「ええ」


サクラはうなずいた。


「『楽しくもなければ、この世は並べてことも無し』――」


曲が止んでいた。一瞬の静寂の後、次の曲が流れ始める。細かいトライアングルとアコースティックギターが、さっきの曲よりもさらに早いビートを予感させた。


イントロの終わりにドラムが入った瞬間に、二人は動き始めた。


非常に高く細かい、軽快な打撃音が連なった。タップだ。二人のステップが複雑なビートを刻んでいる。熱を帯びたビートだ――四十二番は二人の動きに目を奪われた。


体は真っ直ぐに立てたまま、足だけが複雑な動きをしている。リバー・ダンスだ。しかし二人の動きは、演奏がより情熱的なパートに入ると、上半身も含めてダイナミックに変化していった。まるでフラメンコのような独創的な動きだ。二人は笑っている。観客は誰もこの様子を止めない。見とれているのだ。タップと演奏が絡み合い、非常に明るい、それでいて艶美なグルーブを醸成していた。


まるで見事なステージだった。二人はその場からほとんど動いていないにもかかわらず、風を起こすかのように強いダイナミズムをもたらしていた。


(かっこいい――!)


四十二番はそう何度も思った。二人の動きは自由だったが、無駄も無かった。研ぎ澄まされた二つの美の工芸品がもたらす、最高のパフォーマンスだった。それは二人が再会を喜ぶ代わりに示した意思のやり取りだった。


曲はクロスフェードで次なるトラックに繋がる。


今度は、イングランドの古いブギー・ソングだった。二人はまたタップとともに踊りはじめる。

ローズが口を開いた。歌うのだ。そしてサクラはそれにコーラスで応えた。

二人の歌声がふくよかに重なり合い、芳醇な和音を奏でた。



愛、私はそれを見つけられないみたいだ

愛、私はそれを見つけられないみたいだ

もしかして私こそが

置き去りにされた愛なのかもしれない



二人は指を鳴らしたり、手拍子を挟んだりした。悲しい詞の歌だったが、曲調と二人の踊りはそれを全く感じさせなかった。


曲が終わる。満足げに、ローズは微笑んで見せた。


「ブラーヴォ! サクラ、よく来たわ!」


ローズが両手を広げた。サクラがその胸に飛び込んで、二人は抱き合った。


(なんて、綺麗な――)


四十二番は呆気にとられていた。


しかし一方で、周囲の客はようやく事態を呑みこみ始めた。このままでは見知らぬ少女にあの「商品」を奪われてしまう。数名の男がステージに上がった。手には拳銃だ。


「サクラ」


「ええ」


「ここから出る算段はあるのかしら?」


「ええ――」


四十二番はここで、ステージ上の二人に向かって、それぞれコートの中に隠し持っていたものを投げて渡した。


サクラには金属製の太刀ほどの棒を、ローズには小さな拳銃を。

二人はそれらを受け取ると、サクラはそれを何度か回して手に馴染ませ、ローズは銃身を軽く叩いて残弾の存在を確かめた。


SKYDOLLSの初期モデルは、戦場での運用を目的として開発されていた。

また、フラワーズでは、要人が急襲された際に単独でも護衛に耐えるよう、それぞれ得意な戦闘モデルを有しているのである。

曲がまた切り替わった。

アメリカのポップシンガーの曲だった。



さあ、私が到着するわよ

だからパーティを始めましょうよ



太い女性ボーカルが力強く歌い上げる曲の中で、二人はまた動き出した。

男たちが闇雲に打ち放った銃弾を、二人は跳躍して避けた。サクラは前に動き出しており、そのまま縦に回転して、着地と同時に数名の足元を薙ぎ払った。



「Hasta La Victoria Siempre! (勝利に向かって突き進め!)」



ローズが叫んだ。戦闘が開始される。

ローズが放った銃弾がステージに挙がってこようとしているSP三名を直撃した。悲鳴と血しぶきが上がる。


ローズの足元に別のSPが縋り付くようにして掴みかかっていた。ローズは一瞬身をかがめ、そのままその場でぐるりと旋回した。回し蹴りのような格好で、SPが吹き飛ばされる。そのままステージ上を滑っていき、向こう側のテーブルに突っ込み、激しい音が鳴った。


「とっ捕まえろ!」


ステージ下の男が一斉にステージに上ってきた。サクラが得物の柄で手ひどい一撃を加えていき、最後に大きなひと薙ぎで二、三名の頭蓋を砕いた。

ひとかけらの容赦もない殲滅だった。SPがまたひとり上ってくる。今度はさっきまでよりも一回り大きい男だ。ローズは拳銃のグリップをくわえ、腰を落として男に差し向った。


じり、じりと男が間合いを詰める。先を取ったのはローズだ。その小さな四肢が一瞬伸びたかのように間合いが詰められた。男の左腕が捕えられ、関節と反対側に流されていく。男は咄嗟に体を反転させて「投げ」の姿勢に入った。ローズはこれに逆らわない。ローズの軽い体は宙に浮いたが、中空でその両腕が男の頭を強引につかんだ。


ゴキリ、と鈍い音が鳴った。


男の体から力が一瞬にして抜け、その場に崩れ落ちる。ローズはそのままの勢いで男の重い体をいとも簡単に投げ飛ばした。


あっという間に、瀕死の男たちの山が出来上がっていった。残された男たちに戦意は既になかった。

ローズがくわえていた拳銃を手に戻し、不敵に歪んだ笑みを浮かべた。


「もうおしまい? 随分あっさりした演出ね」


舞台裏からはさっき踊っていた女の子たちが恐る恐る出て来ていた。既に戦闘はあらかた終結している。ローズが肩越しに女の子たちへ言い放った。


「床に落ちているお金は全て持って行っていいわ! あと、出来ればもう二度とこんな場所にこないように必死でやりなさい!」


聞くや、女の子たちは落ちている紙幣をかき集めはじめた。また泣いている子もいる。


四十二番は武器を投げた後はただ弾き飛ばされたり滑っていったりする男たちを避けているだけだった。大変な光景を眺めていたのだ。あんな華奢な女の子ふたりが、武装した大の男たちをあっという間に片づけてしまったのだから。


「サクラ!」


「はい、お姉様」


ローズが、無邪気ににっこり笑った。


「動いたら、おなかがすいたわ。食事にしましょう」


サクラも笑った。


「ええ。私もそう思っていましたわ」


舞台裏に消えていく二人を、慌てて四十二番は追いかけていった。



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