英雄
マンチェスター集積廃棄場は、この日稼動を停止していた。
様々な理由がついていたが、全てある二人の男が画策したものである。
その張本人、マックスとルシアスの二人は、管制室にこもって「マッドアイランズ・フェスティバル」の様子を楽しんでいた。
「なあ、旦那」
ルシアスがピザをパクつきながら椅子をぐるりと回した。
「こんな大事になっちまって、大丈夫なもんかね?」
「大丈夫さ」
マックスは力強く応えた。
「なんてったって、この子はマンチェスター出身だぜ。どんな苦難でも乗り越えるさ」
正面の大きなモニターに大写しになっているローズは元気よく跳ね回り、次の曲に備えている。
「そういうことじゃねえんだけどな――あれ」
ルシアスが異変に気付いた。
さっきまで元気に跳ね回っていたローズが動きを止めていた。それも、呆然としているような、何となくイレギュラーな立ち方である。
「旦那、ありゃ何だ」
異常に先に気付いたのはルシアスだった。彼が指差したのはローズではなく、その後ろの大きなディスプレイである。
始め薄暗く、何かが蠢いているようにしか見えなかった映像が、やがてはっきりと、肌を露わにしたローズであることを明らかにしていく。
会場からざわざわという、歓声ではない声があがる。ローズがネジの切れた人形のように動かない。映像由来のものと思われる嬌声が聞こえてくる。
「わ、分からん――」
マックスは困惑した。何だあの映像は? 演出ではなさそうだ。ローズは動かなくなっている。あれは恐らくローズだ。
ローズがかろうじて顔を上げ、ひどく怯えた表情を晒した。
それを見てマックスは、高揚していた気分が一気に冷えていくのを感じた。申し訳ないような、苛立つような、曰く言いがたいショックを受けていた。
「すげえ演出だなこりゃ」
ルシアスが呑気に言った。だがマックスにはそれがどうしても、演出には見えなかった。ローズは怯えている。見られてはいけないものを見られたのだと恐怖している――。
そうこうしているうちに、突然、映像が途切れた。
「ありゃ!」
ルシアスが声を上げた。
「旦那! おいったら」
マックスはぼうっと真っ暗になったモニターを見つめていた。ルシアスに声を掛けられ、何とか我に返る。
「あ、ああ」
「見てくれよ、こいつ」
「そうだな――故障かな」
マックスが手元のマウスを手繰り寄せて、状況を確認した。
モニターやシステムに異常はなかった。問題は配信そのものにある。
「配信が停止した可能性がある」
「なんだって」
ルシアスがスマートデバイスを取り出した。SNSを確認する。
「ほんとだ、なんてこった」
ルシアスのタイムラインに、突如中継が打ち切られたことに対する不満という不満が噴出していた。ステージの状況はちっとも分からない。
「旦那、こりゃまずいよ、きっと何かあったんだよ」
マックスは何度も画面のリロードを試みたが、徒労に終わった。
「ちくしょう、なんだってこんな良いときに」
二人は悪態をついていたが、状況は全く変化しなかった。
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しばらくしてから、二人は諦めたように、黙ってピザを食べ始めた。
「なあ、ルシアス」
「なんだい、旦那」
二人の声は重かった。せっかく色々画策してショーを楽しもうとしていたのに、この様子では台無しである。
「僕はね、なんというか、ローズに僕の人生を救ってもらったように思うんだよ」
「へええ、旦那は救ってもらうほど惨めな人生だったのかい」
「ああそうさ」
マックスが遠い目をする。
「惨めなもんだったよ、体も小さくて、プライドだけ高い、中途半端な生まれの俺は、何も誇れなかった――だけど、こんな素敵なディーヴァが世に出る手助けが出来たのは、この世で俺とルシアス、君だけなんだぜ」
ルシアスは応えなかった。手元のスマートデバイスを食い入るように見つめている。
マックスは勇気を出してルシアスに打ち明けたつもりだったのだが、その反応の薄さに口を尖らせた。まあいいさ、とピザを口に運ぼうとしたとき、ルシアスが勢いよく立ち上がった。
「旦那! いますぐDSBのポッドキャストにつないでくれ!」
「なんだって」
突然のことに、マックスは戸惑った。しかしルシアスがずい、と見せてきたタイムラインを見て、なんとか理解した。
DSBがステージの配信環境にアタックし、掠め取って配信を開始したという状況だった。
あわててマックスがポッドキャストへ接続すると、果たしてそこには呆然と立ち尽くすローズと、顔面で大写しになったMCトライ・ハーダーがいた。
MCの演説は二人の心を打った。特に、少し感傷的な気分になっていたマックスは、彼の言葉の一つ一つに共感した。
そして彼が最後に発した言葉の意味もすぐに分かった。
まだしばらく配信を続けるために、クラウドファンディングでこの苦境を乗り越えようというのだった。
「けっ、旦那、こんなのに騙されちゃいけませんぜ」
ルシアスが嘲るように言った。
「これは最初から、そもそも続行できると決まってる演出なんでさあ。うっかり騙されて金を出すような真似をするもんじゃありませんぜ」
マックスは自分のスマートデバイスを手にして、ポッドキャストの行く末を見つめていた。
ルシアスの言うとおり、出来れば、自分ではない誰かがたくさんお金を出してくれて、めでたく続行となってくれればいいな、と思っていた。
しかし、しばらくの間、動きはなかった。
映像に乱れが起き始める。
そしてその最中、とうとう最初の出資者が現れた。
わずかに「一〇ドル」という額であった。
映像が何度か切り替わり、その出資者が映し出された。会場内にいた、小さな少女だった。
「へええ、小粋な演出ですねえ、旦那」
「ルシアス」
マックスが突然立ち上がった。
「なんです旦那」
ルシアスは相変わらず呑気な声を上げる。
「俺はやるぞ」
そしてスマートデバイスを掲げて、勢いよくタップした。
画面上に「$10,000」という数字が踊った。
ルシアスが驚いて振り返る。
「今の、旦那ですかい?」
「ああ」
ルシアスが呆れたようにのけぞった。
「なんて馬鹿な真似を――ドブに捨てたようなもんですぜ」
「いいんだ」
マックスがきっぱりと言い放った。
「ルシアス、生きていくうちに、人と人との関係において、最も大事なものは何だ?」
マックスがルシアスをまっすぐに見つめていった。ルシアスにとって、ここまで真剣な目をしたマックスを見るのは初めてだったので、幾分たじろいだ。
「そりゃ――なんでしょう」
マックスはルシアスをじっと見つめたまま少し間を置いて、決心したように言った。
「信じることだよ」
「信じること?」
「ああそうだ。人を疑う理由や、何も行動を起こさない理由を考えるのはとても簡単だ。だが、様々な理由を超えて、それでも『相手を信じる』と自らが宣言したとき――相手がどんな思いでいるかはさておき――」
マックスはルシアスにスマートデバイスの画面を見せた。『シグニファイア』という組織のロゴと、寄付への感謝を告げる短い文章があった。
「少なくとも俺は、生きていると感じることが出来る」
ルシアスは「この御仁は何を言い出しているのか」と呆気に取られたが、それがつまり「配信続行のクラウドファンディングに大金をかけた理由」であり、「コールド・リップスやMCトライ・ハーダーの訴えを信じた」ということだと分かった。
マックスは満足げに、モニターを見遣った。
そこにはまだ、懸命にスマートデバイスを掲げている少女が映っている。