変化
サクラとシャムロックは、この事態をステージ脇から見つめていた。
サクラは強く唇を噛んでいる。シャムロックも辛そうに、顔を伏せている。
事態は絶望的だった。
つつがなくステージは進行してきた。あのステージ正面の、せり出した建物の中に四十二番がいて、自分たちを見ている。たくさんのファンも自分たちを見ている。
しかし思えば、ここまでで攻撃は受けながら、何とかやって来れたこと自体も、この状況を作り出すための罠だったと考えるのが自然だった。
オーストラリア行きを決めたとき、ローズの手元に届いていたのは、四十二番からの手紙だった。
囚われの身となり、オーストラリアにいること、シャムロックと取り違えられていることなどが書かれた、四十二番が必死で求めたSOSだった。
しかし、そんな手紙が何事もなく配達されるわけがない。
つまり、その手紙はモンスーン社や連合政府の連中は確認済みだということだ。
分かっていて敢えて送りつけられたそれは、敵から彼女たちへの挑戦状でもあったのだ。
その挑戦に乗り、ステージに用意された罠と、今着実に島の周りを包囲しつつある「多数の武装した人員」によって、恐らく自分たちは潰されてしまう。
敗色が濃厚だった。
「シャムロック」
サクラが密かな、しかし力強い声で呼びかけた。
「行きましょう」
シャムロックは顔を上げた。
「でも、今この状態じゃ――」
「いいえ、行きましょう」
サクラの強い眼光がシャムロックを撃った。
シャムロックはごくり、と喉を鳴らした。覚悟しきった目だった。
「う、うん。行くしかないよね」
「いいえ、そんなネガティブな理由ではないわ」
サクラがまたステージを見遣った。
「絶対に、お姉様は、この苦境を乗り越えるわ」
ステージの上には、狼狽しきった様子で立ち尽くしているローズがいる。
「お姉様は、私に言ったことがあるわ――『状況は変わる』と。それはどんなポジティブな言葉よりも強い言葉よ、シャムロック。どんな状況でも、絶対に変わる。必ず、今の状況は他の状況に、取って代わられるのよ」
シャムロックも頷いた。
「じゃあ――変わる前に、準備を済ませよう」
サクラもこれに頷いた。
(お姉様――)
サクラはローズを横目に、その場を後にした。
************************************************************
一方、スタンは、この事態に気付いてすらいなかった。
四十二番とスタンは、長い長いキスを交わしていた。
二人とも、夢中だった。むしろ静寂がこれを後押ししていた。誰もこの情景を邪魔するものはなかった。
スタンはこの行為を一度中断し、四十二番の顔をまじまじと眺めた。
「切なそうな顔だ」――少なくとも彼にはそう見えた。
「いい夜だね、シャムロック」
甘い声でスタンはささやいたつもりである。
四十二番はうなずいた。
「ええ、マスター。本当に、素敵な、夜です」
途切れ途切れに四十二番が答えた。
その不慣れな様子に、スタンはまた湧き上がるものを感じた。
なんと、人間的なことか!
モンスーン社のやり口には飽き飽きしていた。人間に近づければ近づけるほど、制御できないものとなっていく例の工芸品は、彼にとっては邪魔なものですらあった。
「あの、マスター」
おずおずと四十二番がスタンの服をつかむ。
スタンはその手を握る。
「どうした? どんな頼みだって聞こう」
「その、マスターの――」
そのときその声は、その後方から発せられた巨大な、爆発音めいたファンファーレによってかき消された。
驚いて振り返る四十二番の目に、彼女がいつか見たことのある、大柄で人の良さそうな黒人男性の姿が映った。
ステージの下、つい先程までローズの過去の写真が映し出されていた箇所――巨大なモニターの向こうで、男はニンマリと大きな笑顔を見せている。
真っ白な歯だった。