鉄鎖
ステージ裏では、リッキーがスタッフに詰め寄っていた。
「なぜこのタイミングで突然配信が停止されるんだっ! 何かの指示か? 連合政府だろう!」
スタッフは「自分には何も分からない」と言うばかりで、それ自体は事実だった。ひどいものだ。この音楽イベントには、本来の意味での現場責任者というものが存在しなかったのだ。
全世界に配信されていた「マッドアイランズ・ロックフェスティバル」の映像は、突如何の前触れもなく打ち切られた。配信サイト・サービスはひとつではなかったが、全ての業者が一斉にガールズの配信を止めたのだ。
「どう考えたって政治判断だ! お前らの仲間内に彼女たちの仇がいるな――?」
誰にともなく大声を張り上げてみたところで、何一つ事態は変化しない。リッキーはスタッフをかき分けて部屋を出て行った。
考えてみれば、ローズたちがどうしてあそこまで必死にパフォーマンスにこだわっているのかを、もっと真剣に考えてやるべきだった。
彼女たちが、生死を懸けて戦っているその理由と、相手と、対象とは何だったのか、はっきりと問うてやるべきだったのだ。
暗くなった通路を足早に通り抜け、ステージを見上げる舞台袖へ出て、リッキーは絶句した。
ステージ奥に設置された巨大なモニターいっぱいに、ローズの痴態が表示されていた。
まるで彼女とは思えない表情と姿を晒してはいても、その美しさは損なわれていない――それがその写真のひとつひとつを、彼女自身を写したものであることを裏付けてしまっている。
音は全て鳴り止んでいる。照明もほとんどが落ち、予備照明に切り替わっている。
完全に静まり返った会場の真ん中、ステージの上で、ローズが立ち尽くしている。
リッキーはローズの表情を見て、愕然とした。
ローズは打ちのめされていた。不安と恐怖をその顔いっぱいに広げて、なすすべもなく震えているだけだったのだ――それは普段の彼女から全く想像もつかない姿だった。
自信にあふれた振る舞い、完璧に近いパフォーマンス、不敵な言動、そうして彼女が見せないようにしてきたものがそこにあった。
怯える人形――そのありのままの姿がそこにあった。
不意にスマートデバイスに通知が入ってくる。リッキーは映像を遮断した上で、上の空のまま通話に応答した。
「ルート・コミュニケーションズです」
太い男の声である。
「先程七社より貴殿の有するマネジメント・ライセンスを委託されました。書面の代わりに音声による照合・認証が必要となっておりますので――」
機械的な声で、それがあまり高価でないアンドロイドであることがリッキーには分かった。
「それでは『コールド・リップス』のマネジメントについて、当社への移管を――」
「誰だ」
「――はい?」
「誰なんだ」
リッキーは押し殺したような低い声で男に問うた。
「その事業を委託したのはどこのどいつだ」
男のもったいぶったような間があった。そして、平然と男は答えた。
「〝None〟――事業主は匿名の融資機関です」
*************************************************************
作戦は上手くいった。
ジェレミーは満足そうにバーチャルビジョンを眺めた。
ローズが、まるで人間の幼い少女のように怯える表情を見て、ジェレミーは微笑んだ。
これで良いだろう。
デバイスの非活性化は最優先の必達事項であったが、デリケートなプロセスが必要だった。
途中で邪魔は入ったが、おそらくこれで危機は去った。
ジェレミーは表示を切り替え、マッドアイランズの機材に仕掛けたハッキングの状況をモニターする。
機材システムの分析、それぞれのサーバーの所在を割り出し、個別にアタック――地道な仕事だった。ただし、もちろんそれを実際に行ったのは、彼ではない。
そして平行して、ライブに関わる全てのライセンス買取を進めた。
あの忌々しいプロダクションの資本も吹けば飛ぶようなもので、モンスーン社の役員決裁の範囲で十分に事足りた。
アーティストを保護していた例の強固なセキュリティを突破してしまえばあとは時間の問題だ。三体のアンドロイドはじきに、モンスーン社の支配下に戻る。
「なんてことはないな――完璧な工芸品とはいえど、所詮はお人形だ」
そしてあの画像――あれを手に入れるためにここへ来たようなものだった。ジェレミーは、過去の商品紹介サンプルを律儀に保管し続けたマイキーに礼を言いたい気分だった。
ジェレミーは鼻歌を歌い始めた。勝利はほぼ間違いなかった。
既にライブを見ているものは現地にいるものだけだ。もうすぐ、彼らが構えているスマートデバイスへのハッキングも完了する。フィールド氏のブロックもこの時点で解除できる。
そうすれば、島の周りに待機させている部隊を上陸させて、物量であの無抵抗なお人形を制圧――いや、その場で破壊でも構わない。ジェレミーはそう考えていた。
地球の裏ほど離れた場所で繰り広げられている巨大な危機を脱した。その達成感が、彼に油断をもたらした。
アタックが完了したシステムモニターに彼はもう一度注視すべきだった――そこに僅かに一点、黒い穴が発生していたのだ。
ジェレミーは鼻歌を歌いながら席を離れ、一服のためにオフィスを一時的に後にした。