虚言
ガラスに手を当てて、四十二番は真っ直ぐにステージを眺めている。
その曲は、四十二番も聴いたことのある曲だった。
アメリカツアー中にシャムロックがよく部屋で歌っていた曲だった。元気な曲で、普段から明るいシャムロックによく似合う曲だったのだ。
四十二番は、歌い踊るシャムロックをじっと見つめていたが、その目にはまるで色はなかった。その表情は、目の前で何が起こっているのか理解していないようでもあった。
四十二番の背後でドアが開き、スタンが入室した。
「始まったか。どうだね? 話題のアーティストは」
四十二番は振り返ると、首を傾げた。
「ありがとう、マスター。素敵なステージです」
スタンは体を揺らして笑った。
「なに、ステージが素敵なのは私のおかげではないよ。そのアーティストを褒めてやりなさい。どれ、私も見てみよう」
窓に歩み寄るスタンを遮るように、四十二番はすがりついた。
「マスター、そろそろディナーの時間ではないですか? 私、おなかが空いてしまって」
スタンは笑顔を崩さないまま四十二番を見下ろした。
「君はこのアーティストを私に視認させないことに長らく成功したね? だがそれもここまでだよ」
スタンは四十二番を押しのけるようにして窓の前に立った。
その視線の先には、彼が実際に発注し制作させた〈盗まれた花〉が歌い、踊っている――。
「君」
スタンの低い声に、四十二番は体をこわばらせた。
「いつからあれに気付いていた?」
スタンは振り返らないまま、肩越しに四十二番に語りかけた。
「なぜ、私があれを認識しないように努めたんだね?」
四十二番はびくびくと身を震わせ、か細い声で答えた。
「その――あれが――マスターの希望の品だと分かれば――私が、捨てられると」
スタンは唐突に振り返り、真っ直ぐに四十二番を捉えた。足早に近寄ってくると、その両肩を強くつかみ寄せた。
そして四十二番に、その分厚いくちびるを重ねた。
しばらくどちらも動かなかったが、やがてスタンが手を離した。そして、荒い息を整えてから、窓の外を指差した。
「あんな旧型と君が比較になるかね? 約束したろう、君を捨てはしないと」
スタンは口の端を吊り上げた。四十二番は呆然とし、何も応えない。
スタンはポケットからスマートデバイスを取り出すと、インターフェースを四十二番に見せるように掲げた。
「君の感情のデータベースはここからある程度までいじくりまわせるし、モニターも出来る。君が私のことを愛していることもよく見えるし、今とてもおびえていることも分かる!」
スタンは、うつむいた四十二番を覗き込むようにし、肩に手をやった。
四十二番の体がびくりと震える。
「いいかい、よく聞いてくれ。私にとって、祖国などどうでもよい。あの旧型が私の過去に紐づいて、祖国を愛するなどという趣味に耽溺するのは、はっきりいって不快だ」
スタンはにっこりと笑った。四十二番の警戒を解こうとしてのことだった。
「私は過去に、祖国を大事にしようという支持基盤を得て政治家を志したことがあったんだ。その時にアレを発注したものだから、あんな醜悪なものが生まれたんだね」
スタンはやりきれないとばかりに首を振って身を起こすと、また窓の外を見遣った。
「だが、君を初めて見たときに理解したよ。伴侶とすべき存在は、自分の意思どおりに作り出すものではない。自分の及び知らない力で生み出されたものを、自らのものとすることに意味があると」
ステージでは、シャムロックの曲が終わり、サクラが代わって登場していた。
客席の興奮は異常な域に達している。
地響きのような歓声が床からビリビリと伝わってきているし、観客のステップが地震のように建物を揺らしている。
「まあ、もう少しお楽しみの時間だ、シャムロック。そう、君のことだ――あんな旧型に名前なんて必要ないからね」
スタンが微笑みかけると、四十二番もようやく微笑み返した。
二人は手をつなぎ、窓の外をともに眺め始めた。