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Girls In The Showtime  作者: アベンゼン
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兆候

当日、メルボルンには雲ひとつなかった。


この時期特有の焦げたような匂いが海から運ばれてくる。空気中の水分量が増えたことが、鼻梁に届けられる香りを豊かにする。夏が始まるのだ。


モーニントン半島とクイーンズクリフの両方から送迎用のボートが行き来した。


二十人程度が乗船可能だったが、それでもひっきりなしに複数のボートが発着し続ける事態になった。


ビーチは人で溢れていたが、いずれも落ち着きなくそわそわと歩き回っている。ボートの予約を取ろうと必死なのだ。運よく取れたとして、所定の時間に間に合うとは限らない。


マッド・アイランズ・ロックフェスティバルは午前中からの開演となった。


メインアクトが急遽変更になった関係で、ビッグネームが二組キャンセルとなった。


その分の集客を埋め合わせるために中堅アーティストを呼ぶことになったからだが、この対応はありていに言って、失敗だった。


マクブライドは、鳴り続ける据え置き電話の回線をとうとう引っこ抜いた。


関係者から寄せられる罵声に応答することは、この状況下では何一つ生まない最悪の時間の過ごし方だと判断したからだった。


全ての原因は、例の新人アーティストを迎え入れたことだ。マネーフローの量と方向が変わり、ステークホルダーが変わった。


マクブライトはオフィスの中で事態が解決されるのを待っていたが、リサに引きずられるように連れ出されてしまった。


「いまさら後悔しても何の意味もありません。それに今はチャンスですよ。ここを上手くやれば、今後彼女たちの我が国での公演をマネジメント出来るかもしれませんからね」


「そんなのごめんだよ。僕は少しばかりまとまった金が入れば良いなと思ったくらいだったんだ。身の危険を覚えるような真似はしたくない」


背中を丸め、近場で急ぎ見繕ったホットドッグをぱくつきながら、足早に通りを下っていく。リサはキョロキョロと周囲を見回している。タクシーを探しているのだ。


「泣き言を言っても始まらないので、まずは港から増便が出来るかどうかを確認しましょう。キャパシティ以上にチケットを販売してしまった件は、例のクルーザーのアポイントが取れるかどうかで状況が変わります」


マクブライドはうらめしそうに部下の背中を見遣った。きびきびと無駄なく歩いていく小柄なその女性は、いつもよりむしろ生き生きとしているように見える。


「それより社長、当局とのやり取りは?」


リサに問われ、マクブライドの気分がより暗いものになっていった。


「先に申請していた要件以上のことは起きないと何度も言っているが、上陸させろという一点張りだよ。連中はパーティを警護するつもりだ」


「上げましょう。逆に暴動を抑止できますから」


「ただでさえキャパシティがいっぱいなんだ。フルでの受け入れは難しいよ」


「何人です?」


「三千」

リサが立ち止まり、振り返った。


「は?」


マクブライドはあわてて弁解した。


「僕は認めていないよ! あくまで状況は伝えていて――」


「そんなことどうでもいいです。私は、なぜ三千人も上陸させる必要があるのか、疑問に思っているのですが」


「そんなの僕だって知らないよ――」


「まあ良いですが、例の別荘をあてがった件と関連はありませんか?」


「プライベートパーティか? 知らないよ、大体、このアーティスト自体にいわくがつきすぎだ、なんだって連合政府が監視してるような連中を迎えなきゃならんのだ」


「文句は良いですが、社長。これはチャンスですよ」


リサは途端に踵を返して行ってしまう。


何がチャンスなのか、マクブライドには一切分からなかった。彼の長く退屈な人生の中でも、最も危険な状況が待っている気がしてならなかった。なぜあの女史はこんな状況下でああも生き生きとしていられるのだろう?


あわててリサを追っていると、マクブライドの右耳に入れているカナルイヤフォンから着信の通知音が入ってきた。


「君か、上陸に向けたスケジュールを伝える」


名乗らず不躾に用件を話し始める低い声に、ますますマクブライドの心持ちは暗く落ち込んでいく。

「何度も言っていますが、全員の上陸を受け入れる余地はありません」


「全員の上陸が必須だ、これは依頼ではなく措置で、君の個人的な承諾を得る必要などない」


「そういう問題じゃないんです」


「正午に上陸を開始する。連絡事項は以上だ」


通話は唐突に切断された。マズい。既に勘付いたリサがこちらを鋭くにらみつけている。


「リサ、僕は何も悪くない、何も――」


「何か対策を。上陸されれば実質フェスは中止です」


マクブライドの額に汗がにじんだ。暑い。その上、彼の人生上あまりなかった、うしろめたい緊張感が襲い掛かっている。


「リサ、僕はこれ以上――」


「そうだ、社長」


リサの声が突然和らいだ。何かを思いついたようにスマートデバイスを取り出す。


「ちょっとあのおじさんに電話しますよ。もしかしたら良い話が出来るかも」


あのおじさん、と聞いてマクブライドはしばらく何のことか分からなかったが、程なくして彼自身がアテンドした例の富豪、スタン・フィールドであることに思い当たった。


「リサ、よしてくれ! あれに下手に手を出すと何があったもんか分からないぞ」


リサはマクブライドを見もせず、通話を開始した。


「フィールド様、オフィス・マクブライドです。実は少しご相談が――」


ダメだ、とマクブライドは肩を落とした。


こうなるとリサは止めようがないし、たとえ手違いが起こったとして、今の状況とさほど変わりはしない。


困ってはいるが、いざとなれば逃げ出せば――などと思案を巡らせていると、リサが通話を完了させていた。


「いいかいリサ。もう悪あがきはやめよう。今のうちに国外に出よう。メルボルンにいると命すら危ない」


リサはマクブライドを小馬鹿にしたような目つきで、スマートデバイスをひらひらさせた。


「何言ってるんですか、社長。交渉成立ですよ」


マクブライドはリサの言っている意味がしばらく理解できなかった。


「は――?」


「だから、お願いが通りましたよ。当局は上陸しません」


リサはいたずらっぽく舌を出した。


「フェス、出来ますよ」



*******************************************************



スタンは通話を切断した。


「マスター、どうかしましたか?」


四十二番に尋ねられて、スタンは振り返りながら上機嫌な笑顔を見せた。


「何てことはない。仕事仲間がステージを邪魔しようって言うからよしてくれと言ったまでだ。君の楽しみを阻むものは全て排除していくからね」


「ありがとう、マスター」


スタンは、ガラス張りになっている一面を指した。


「どうだね。この『特等席』は? よくステージが見えるぞ」


四十二番は首を傾げながら優しく微笑んだ。


「ありがとう。とっても素敵。こんなに特別な場所を用意してくれるなんて」


スタンは肩をすくめ、照れ隠しのようにグラスを手に取った。


まだ午前中だが、スタンは既にアルコールを摂取している。気分の高揚を演出するためだ。


彼は今夜、このアンドロイドとベッドに入るつもりでいる。


与えるべきものを与え、彼は十分に自尊心を満たした。


四十二番はスタンに駆け寄った。


「何を考えているんですか、マスター? 何か悩み事ですか」


スタンはスマートデバイスに入っている行動強制コマンドを起動して、今ここでこのアンドロイドを組み伏せようか、と一瞬考えた。


だが、デバイスを手にとって、やめにした。やはり、十分に手なずけて、自分から求めさせることこそがゴールだ。


「いいや、何もない。ほら、ステージを楽しみたまえ」


四十二番はうなずき、ステージが良く見える窓辺に駆けていった。


首の筋が描く真っ直ぐなライン、腰の曲線、ふわりと浮いている髪の毛の柔らかさ、どれをとってもスタンの興奮をくすぐった。心地よいもどかしさが彼を高揚させた。


(これが、今夜私のものになるのか)


特異な感覚だった。行きがかり上で関係を持つことや、気まぐれで女を買うことは何度かあったが、こんな思いをするのは初めてだった。彼にとってそれは、恋のような感覚を喚起するものだった。


「マスター」


四十二番が振り返る。スタンは、自分の胸のうちを見透かされぬよう、つとめて柔和に微笑んだ。


「何だい」


「ずいぶん、お客さんが少ないんですね」


四十二番が指差した客席は、確かにまばらだった。


「おや、そうだね――」


スタンは訝しげに覗きこみ、少し思案した。そして、スマートデバイスを取り出した。


「客席を埋めよう。きっと、君の好きな、コールド――なんとかっていうのが出てくるまでに超満員でなくちゃいけないね」


「ありがとう、マスター」


四十二番はうつろな笑顔でスタンに人懐こくすがり寄った。


スタンはそれを見て、より満足そうな笑い声を立てた。



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