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Girls In The Showtime  作者: アベンゼン
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漏洩

「良いか、ジェレミー。何度でも言うぞ。何度も――しつこく――連絡をするな」


半そでの麻のシャツに身を包んだマイキーがスマートデバイス越しに静かに、しかしきっぱりと言い放った。


『ですが先方からの要望で、あなたでしか事態に当たれないと』


マイキーは大きな通り沿いの安いレストランのバルコニー席で、古い友人のイアンと遅い昼食を取っていた。


「いいか。俺はもうお前らとは関係ない一個人なんだ。俺がそのオフィスを去ってお前が着任している。その意味が分かるか?」


『分かります、ボス。ですがこれは緊急なのです。そもそもあなたがオーストラリアにいるのも――』


「その呼び方は金輪際やめろ! そして何度も言うが、ここにいるのは偶然だ」


マイキーはモンスーン社のオフィスを去った。半ば強引だったが、全ての書類は正常に処理された。


マイキーはこの時初めて、機密事項であっても断片的にしか組織のことを知らなかったことを感謝した。


忘れなければならないことは特にない。肩書きだけ偉そうで、実際には何でもなかった自分のことを自嘲したりもした。


そしてマイキーは隠居の地としてオーストラリアを選んだ。モンスーン社から出た高額な退職金と口外無用情報のリストともに、シドニーからゆっくりと第二の人生を始めるところだったのだ。


そこへ、あの事件だ。


しかも、例の「コールド・リップス」が絡んでいて、どうも発注者の一部にあれがフラワーズではないかと疑い始めている連中が出てきている様子だ。


事態は考えうる最悪の状況に向けて真っ直ぐに転がり落ちつつある。


『ですが、今や査問委員会にはあなたを疑う声も多くなってきているのは否定できません』


「永遠に全員を疑ってろ。私は白だ」


堂々とマイキーは言い放った。気の毒そうに笑いかけるイアンを、マイキーは無視した。


『ではボス、お願いを変えます――私はこれから、どうしたらいい?』


電話の向こうの男の声色が変わった。懇願するような、情けない小声だった。


『手元にはたくさんの情報があり、日々問い合わせを送ってくるあらゆる立場の連中がいる。どれをどう処理すれば、私は無事にこの難局を乗り越えられる?』


マイキーの脳裏に、つい一週間前までに押し寄せていたメール、チャット、郵便物、契約書、タレコミ、別件に見せかけた根回しが思い起こされた。


あれら面倒なものたちも、自分のように「その部門のために用意された人間」がいたからこそ上手く整理できていたのだ。


人間の適性とは、時に恐ろしく残酷な現実を用意して待っているものである。


マイキーは深い深いため息をついた。スマートデバイスから伸びているホログラムのひとつに指を突っ込み、グルグルと回した。中空にリストが表示され、そのうちのひとつを引っ張ってデバイスに叩きつける。


〝CONNECTED〟と表示されるのを見て、決心したようにマイキーが語りかけた。


「いいか、ジェレミー。これから俺が言うことをよく聞いてくれ。そして理解してくれ。そして最後には必ず忘れてくれ。いくつか教えなくてはならないことがある」


〝CONNECTED〟の横に、ジェレミーのアイコンが浮かび上がった。プライベート通話への切り替えを承認したのだ。


『はい』


注意深いジェレミーの返事が聞こえるのを確認して、マイキーは低い声で説明を始めた。


「いいか、ジェレミー。ひとつめは、例のアンドロイドたちの管理権限者やプログラムの発行者を確認しろ。ひとり、特異な名前が浮かび上がってくるはずだ」


しばらくジェレミーのイヤホンの向こうでキーボードを叩く音が聞こえた。


退屈そうに葉巻に火をつけるイアンを、マイキーはひたすらに無視し続ける。


『トギガヤ――ミヤコ?』


「大きな声を出すな。その名前をデータベースで検索しろ」


またしばらくキーボードを叩く音がした後、さらに注意深いジェレミーの声が聞こえる。


『トラッシュド・ワンズ――これは、スカイドールズ廃棄時のデフォルトプログラムじゃあないか。これがどういう意味なんです?』


マイキーは相手の頭の回転の遅さに苛立ちを隠しきれないでいた。この回線だって安全なわけではない。解析されるまで時間の問題で、これらは全てジェレミーへの同情という、まるで合理的でないマイキーの感情による行動だったのだ。


「いいか、ジェレミー。お前に分かるように出来るだけシンプルに答えてやろう。開発者と消去プログラム設計者が同じということだ。そして今起きていることを思い起こせ――消去プログラムには不正があった。そうなれば、そもそもの開発プログラムに不正があったということも当然疑われるんだ」


『しかしボス――なぜそれが表沙汰にならないんです? データベースのどこかに格納されているはずだ』


「当然私も確認を行った。しかし、悉く弾かれてしまったよ。誰かがデータベースに細工している。組織内部に、意図的にフラワーズについて隠している人間がいる」


『まさか、ボス。あなたの仮説は荒唐無稽だ』


マイキーは苛立ちに奥歯をきしませた。


「ジェレミー。荒唐無稽なのは私ではない。モンスーン社だ。アンドロイドの代謝システムを我々は監視できるか? 出来ないはずだ。あれらは生きている個体で、それを生かすも殺すも連中次第だ」


『だからといって、ボス。反逆のためのアンドロイドをわざわざ開発しますか――それも、反目する組織の中心で』


マイキーの仮説の核心を、ジェレミーはほとんどためらいもなく明言した。マイキーはジェレミーの不用意さを嘆き、首を何度も横に振った。


「いいか、回線が暗号化されているからといって何を言ってもいいわけじゃない。お前の声は常にアナログに周囲に響き渡っているはずだ。発言に注意しろ」


イヤホンの向こうで息を呑む気配がある。返事を待たず、マイキーは続けた。


「いいか、もう時間がない。私の仮説を全て話そう――トキガヤは、スカイドールズの少なくともナンバリング7の開発を担当している。私が確認した、廃棄以降に追跡不可能になっている個体はいずれも7番のものだ。そもそも7番は初期化され、廃棄された後に一部のメモリーを除いて復元し、再起動するように細工されていたんだ」


『そんな、しかし、あのプログラムの承認フローはそんな細工を認めないはずだ』


「承認フローを作ったのは誰だ? 承認の基本的な理念は、それが製品化できるか――すなわち十分な利益を生むかと、著しく人間の規範を逸しないかだ。後者が有名無実化しているのはもう分かるな?」


『はい』


「なら初期化のためのプログラムにセキュリティ上の欠陥があっても、十分にテストはされないことは実感できるな」


ややあって、認めたくはないが、というような口調で「はい」という肯定があった。


「そしてもうひとつの証左が、セキュリティブロックだ。データベースを意図的に隔離している人間がいれば、フラワーズの動きを補佐しているものもいると考えるのが自然だ」


『――確かに、その通りです』


「そうなれば、結論はシンプルだ。お前もその職を退くことだ、ジェレミー。もうフラワーズは再起動していて、どう足掻いても止めようがない。俺が良く知らないあの『デバイス』が連中に持っていかれているならなおさらだ。すぐに隠居して心静かに暮らすことだね」


イアンがニヤニヤと笑っている。この察しの悪い旧友は、これらの会話の意味の一片すら理解せずに生きていくだろう。


「ありがとう、マイキー。状況は理解した」


「ああ、良いんだ。それより、ひとつだけ聞きたいことがあるんだが」


「ああ、ダメです、ボス。もうプライベート接続がタイムアウトしてしまう」


唐突に、マイキーが大きな笑い声を上げた。


「そうか、そうか! そういうことだったか。茶番だな、ジェレミー。色々と俺は悟ったよ」


「どうしました? いずれにせよもう時間がない、パブリックネットワークに戻ります」


ホワイトノイズが発生した。ディスプレイ・ホログラムがテーブルの上で揺れた。




そして甲高い銃声が鳴り響いた。




平野が広がっているバルコニーの向こうに向かって、銃声がこだましていく。


誰も気付くものはない。人気のない、日暮れ近くのレストランだったのだ。


そう、もうそこには誰一人いない。


額から血を流してバルコニーの床に崩れ落ちたのは、マイキーだった。


ニヤニヤした顔をそのままに、イアンが拳銃を下ろした。


「ご苦労様、イアン。既に振り込みは完了したから確認してくれ」


ジェレミーが事務的な調子で述べた。


イアンはジェレミーに見向きもせず、崩れ落ちた旧友のそばへかがんだ。


もうマイキーはピクリとも動かない。


イアンはとたんに興味を失ったように無表情になり、立ち上がってバルコニーから去っていった。


しばらく一定の周波数のノイズを残して、通話も切断された。


マイキーの脳裏には、生に取りすがる最後の信号が駆け巡っている。もう消滅まで時間の問題だ。


自分は何のために生まれてきたのか? 


なぜさっき昼食を断ったのか、


ジェレミーにお節介を焼いたのか、


イアンはいつ買収されていたのか?


彼の思考に、何かがひとつ引っかかっている。


排水溝の狭い箇所に詰まったそのしこりは、むしろ彼の生の最期数秒を支えた。


なぜ、あのアンドロイドのパルス・コンバーターにデータがなかったのか?


なぜ、あのアンドロイドはフィールド氏に気に入られたのか?


なぜ、あのアンドロイドはフラワーズと行動を共にしていたのか?


あのトキガヤミヤコという研究者には――


(そうか)


全ての疑問が彼の中でひとつの結論につながった。


それによって彼の意識は急速に遠のいていく。


(あのアンドロイドは――)


しかし、その結論を言語として想起するよりも早く、彼の意識は完全に消え去り、停止した。


乾燥した、強い圧力を含む風が彼の頬をなでる。


夕暮れが近づいていた。



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