憧憬
CJ・フレイジャーは、ゴールドコーストのハイスクールに通う女の子である。
母親にアボリジニの血が混じっている彼女は、ほんの少しブラウンかかった肌があまり好きではなかった。
もっと色素の薄い、人形のような外見に憧れていた。
音楽やファッションの趣味が少し周りの子と異なるCJは、クラスから浮いていた。
周りがよく話題にするEDMやポップシンガーにあまり興味はない。
かわりに、古いロックや民族調の曲、ブルースを好んでいた。
ファッションはエモ・ガールに近かった。
最近のクラスの流行は、今アメリカから来ていて国内をツアーしている「コールド・リップス」についてだった。
唯一仲の良いビリーはあまり音楽に詳しいほうではなかったが、このアーティストには熱を上げていた。
「ねえ、CJ! ライブに行くの、決心してくれた?」
ビリーに何度も急かされて、CJはとうとうライブに行くことを約束してしまった。
まだ公式にレコードをリリースしていないアーティストで、SNS上で一般ユーザーが録った音や写真が大量にアップされているらしい。
CJはSNSをやっていない。本を読むのが好きなほうで、正直に言うと「コールド・リップス」にもほとんど興味はなかった。
ただ、断ってしまうとビリーにまでそっぽを向かれるのではないか、とCJは内心びくびくしていた。仕方なくOKすると、ビリーは飛び上がって喜んだ。
「ありがとうCJ! 実を言うと、このライブはあなたのためにチケットを取ったの。だってCJはきっと、コールド・リップスを気に入ると思うから!」
CJはビリーにありがとう、と答えたが、ありがた迷惑が半分だった。クラスで中心的な存在のミンディとイザベラもコールド・リップスを気に入っているのだ。
「あんまり大きな声を出さないで。あの子達にばれたくないし」
「OK。でもライブには来てね。きっと良い夜になるから」
満面の笑みのビリーに、CJは苦笑いで返した。
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家に帰って、CJははじめて「コールド・リップス」と検索した。
雑多な映像ばかりが並んでいた。オーディエンス・ショットしかない中で、ほとんどが手振れや音割ればかりで、まともに視聴出来たものではない。
そうして検索する中で、ひとつだけ、なんとか音が判別できるものがあった。
〝COLD LIPS LIVE AT SAN FRANCISCO〟というタイトルだけの動画だった。しばらくはざわざわとした観客の声しかなく、時折女の子の声で罵声が飛ぶだけだ。ただ、その声はとても綺麗だった。
「(ザワザワ――)新曲を(ザワザワ――)」
観客の背中ばかり映している映像から、一瞬ステージが見えた。赤・白・緑のステージ衣装を着た女の子がひとりずつ立っている。
「曲名は(ザワザワ――)〝BLEEDING FLOWER〟(ザワザワ――)」
CJの全身に衝撃が走った。
冒頭を歌い始めた少女の声、その甲高くも芯の強い響きに一気に引き込まれたのだ。
ドラマチックなミドルテンポの曲だった。撮影者が興奮の最中で前の客をかき分けて前のほうへ進んでいく。
サビに近づくにつれ、歌う声も観客のボルテージも、帯びた熱量を上昇させていくのが分かった。
ギターの印象的なリフがそれを支え、つないでいく。
そして、サビの瞬間に、映像に赤いドレスを着込んだ少女が映し出された。
CJは息を呑み、そのまま呼吸を忘れた。
ロングトーンを絶叫する少女は、小さな体を懸命に震わせ、マイクに向かってあらん限りの力を振り絞っている。
脳天を貫くような鋭い歌声が場内を満たしている。
ものすごい声量だ。そして、一切の揺れもなかった。
"揺れる花に名前をつけたのはこの私
私がこの世界で王者になれる
その時に血を流すのはこの私
苦しみの大地から咲き誇ってみせるの"
踊り、叫び、縦横無尽に駆ける少女に、CJはただ見とれた。
あっというまの四分半が過ぎる。
CJは、動画が終わってもしばらくそのまま動けないでいた。
CJは泣いていた。そのことに、CJ自身も気付いていなかった。
しばらく呆然として、ようやく我に返ると、ビリーにメッセージを送った。
「ビリー、やばい。CL見た 涙止まんない」
しばらくしてビリーからメッセージが返ってきた。
「でしょ? 絶対気に入ると思った。どれが好き?」
「三人とも好きだけど、真ん中の赤い子。かっこいい」
「そうなんだ、私はサクラかな! 黒い子」
「黒もいいよね。サクラっていうんだ」
「ライブ行ったらもっとすごいんだって。楽しみだね」
「本当? 信じらんない」
メッセージを送って、CJはまた動画探しに耽った。
さっきの痛切な曲だけではなかった。ポップで踊りたくなるような曲や、スローテンポのバラードもあった。その中に、懐かしい響きの曲があった。
おばあちゃんが吹いて見せてくれた、とても長い木製の楽器だった。エスニックな響きと三人の声がよく合っていて、不思議な高揚感のある曲だった。
(アボリジニの楽器だ!)
三人が取り入れているそれは、CJが知っているよりもはるかにスタイリッシュな響きだった。低く機械的な響きの中に人の呼吸が混ざり、神聖な空間を演出していた。
CJは画面にのめりこみ、次の動画を、また次の動画を、と、夢中になって検索を続けた。
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ライブ当日になると、すっかりCJは「コールド・リップス」のとりこになっていた。
「言ったとおりでしょ? 絶対気に入ると思ったんだ」
得意げなビリーに、CJは返す言葉もなかった。
CJは「コールド・リップス」のために、これまでやったことがなかったSNSをはじめた。少なくとも、動画で上がっている曲は全て覚えられるほど聴き、踊りやコール&レスポンスも覚えられるだけ覚えていた。
ビリーに連れられて、何度かライブに来たことはある。だがCJは、今日ほど緊張するのは初めてだった。
期待に混じって、原因不明の不安が沸き起こる。もし彼女たちが、ゴールドコーストを取るに足らない街だと思って、ライブの途中で帰ってしまったらどうしよう?
会場は既に満員だった。男女の別や年齢など、本当にバラバラだった。
あらゆる層に人気なのだ。ネット上で、今日のチケットが高額で取引されているのを見かけた。
ビリーは、チケットが高騰する前に購入していたそうだ。
「私の先見の明を褒めるところよね」
自慢げに言う親友に、CJは答える言葉すらない。
緊張しているのだ。もうすぐあのステージに、あの三人が現れる――。