暴露
フロリダ・タンパからニューヨークへ戻ってきたサミュエルは、すっかり秋を通り越していた肌寒さに驚いた。
サミュエルはしばらくフロリダのオフィスに常駐していた。少なくともニューヨークは数ヶ月ぶりだが、季節の移り変わりというものをすっかり忘れていたのである。
きめの細かい黒い肌がさらされており、彼とすれ違うものは訝しげにその様子を見遣った。
手軽なコートをそこらの店で調達してからオフィスに向かおうと思っていたのだが、彼のボスはそれよりも「仕事」を優先した。
とても志の高い、寛容で接しやすい良い人物なのだが、この時の彼の剣幕に、サミュエルは面食らってしまった。
「まず真っ直ぐにオフィスに向かえ。そこにいる男の話をよく聞くんだ」
ボスの指令はそれだけだった。コートを買いたいんですが、という彼の申し出はにべもなく却下されてしまった。
地下鉄を乗り継いで、ブロンクスに程近いビル街から数分歩いて、ようやく彼はオフィスに辿り着いた。風邪を引きそうなくらいに体が冷えている。
「サム、遅えじゃねえか」
応接室で待っていたリーが太い声を上げた。
正面に見たことのない、やせた中年の男が座っている。
「コートを買う時間もなかったんだぞ、勘弁してくれよ」
力なくサミュエルが抗議したが、リーは座っている中年男に向けてアゴを動かしただけだった。話せ、ということらしい。
サミュエルが仕方なく男に手を伸ばすと、男はそれを上の空でつかみながら、突然口を開いた。
「大変なんだ」
サミュエルはそれをまともに相手しなかった。
「こいつは何か嗜んでるのか?」
「いいや、シラフだ」
サミュエルは肩をすくめた。じゃあ何でこんなにやつれているんだ?
「すまない、突然――だが大変なんだ、聞いてくれ」
サミュエルは訝しげに男をじっと見た。男の息は切れている。
「良いけど、ちょっと俺も今来たばっかりでさ、コーヒー飲まねえ? あと名前は?」
男は小刻みに震えており、自信なさげに顔を伏せて、落ち着かない様子で視線を泳がせている。粗末なコートを羽織ったままだ。
「失礼した、私はディーン――ついこの間まで音楽の仕事をしていた」
「ディーンって、ディーン・ニコルソン? 冗談きついぜ、オッサン」
男は顔を上げた。必死の形相だ。サミュエルはその眼光に少しだけたじろいだ。
そういえばボスは、コートなんか買わずにこのオッサンの話を聞けといっていた。これは何か事情があるぞ、と、サミュエルはいずまいを正した。
「悪かった、話を聞くよ――ディーン?」
ディーンはグッと喉の奥を詰めたような様子を見せてから、話し始めた。
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話をすっかり聞き終えてから、サミュエルとリーは深く考え込んでいた。
サミュエルはコーヒーを飲み終えて、ボスに通話をすべきか悩んでいた。
ディーンを名乗る男はとりあえず、手近に話の出来る医者に引き渡した。レントゲンでも撮れば奴の言っていることがデタラメかどうかが分かる。
「どう思う?」
リーはほとんど何も言わなかった。というより、ディーンはほとんど一方的に話をしていただけだった。
「そのまんま信用できる話ではないと思うぜ」
リーが重い口を開いた。
サミュエルは低い声で笑った。
「そりゃ、そうだ」
つられて、リーも笑い始めた。二人とも低い声で笑い、次第にその声は大きくなっていき、しまいにはゲラゲラと大きな笑い声になった。そして特に意味もなくハイタッチをした。
「よせよ、リー」
「サム、お前人を馬鹿にして――」
「お前こそ」
リーが顔を右手で覆って、深く息をついた。
「『大変なんだ』」
ディーンの口調を真似ていた。「『世界の危機だ』」
「止めろ、バカヤロウ」
サミュエルは笑いながらリーの背中を叩いた。リーは止めない。
「『世界を滅ぼす兵器が悪の手に渡るんだ』」
サミュエルも笑いながらディーンの物まねに加わった。
「『デバイスは最大出力で50テラワットを超える』」
リーはヒィヒィと笑い声を上げた。
「『ガールズは無力化されて回収される』」
「『開発者の生き残りが全ての黒幕だ』」
「『この目で見たんだ! 奴がデータベースにアクセスするのを』」
「『気が狂っちまいそうだった』」
「もう狂ってるよ」
「やめろ――『君らの助けが必要だ』」
「残念だが精神科の心得はねえ」
「そりゃそうだ」
「サミュエル」
女性の声だった。スマートデバイスからの音声だ。
「ようどうした」
サミュエルが笑いをこらえきれないまま応答する。
「何笑ってんのよ」
「何って――」
「『俺は捨て駒だったんだ』」
隣でリーがまた茶化すのでサミュエルは吹き出してしまった。
「すまん、何だ」
通話先の人物が深々とため息をつくのが聞こえた。
「いつまでもふざけていられないわよ」
「悪かったって。用は何だよ」
「さっき預かったオッサン、ディーン・ニコルソンで間違いないよ」
リーとサミュエルが同時に沈黙した。
「で、腹から出てきたよ、爆弾」
リーとサミュエルは顔を見合わせた。そのまま動かない。
「解除は簡単だったんだけど、ちょっと事情教えてもらえない? 危ない案件ならちゃんとしたとこに頼んでよ」
女性の声は続いていたが、二人は何かに突き飛ばされたように動き出した。
「ちょっと! 聞いてんの?」
女性の声に応えるものは既になかった。
サミュエルが無言で奥の部屋のドアを蹴り開け、白衣を引っつかんでデスクに滑り込んだ。
ブラックライトの舞う、非常に怪しげな空間だった。あちこちにグラフィティが施されている。
ネオンがいくつも下がっている。うなるようなファンの音は、壁一面に設置されている機器――巨大なサーバー群によるものだ。
「レティーシャ、こちらシグニファイア、モンスーン社のセキュリティにちょっと用事だ」
サミュエルが言うと、彼の眼前にホログラムが立ち上がった。
シアンブルーのロングヘアを持った、アニメキャラクターの3Dモデルだ。
「そんな大層なもんに何の用だよ」
そのキャラクターが喋る。見るからに不機嫌そうだった。
「『世界の危機だ』」
マシンの向こう側からリーが声を上げた。
「もう笑えん」
「知ってる」
サミュエルは、さっき笑いをこらえながらメモしたディーンの情報を取り出して、3Dのキャラに渡した。小さな手を伸ばして「レティーシャ」がそれを受け取る。
「アタック失敗したら死ぬぞ」
可愛らしい声だが恐ろしいことを言った。
「知ってるっつーの」
サミュエルはサングラスをかけてキーボードをたたき始めた。
「何だよ、ヤバイ話?」
「まあな」
「相変わらず趣味悪いよな」
「シャット・アップ」
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「おいおい、やっぱりマジじゃねーかよ」
サミュエルが呟いた。
「なんでこれだけ見られねーの?」
訝しげにレティーシャが尋ねるが、サミュエルはまともに取り合わない。
「良いから手伝え、金なら後払いだ」
「後でバドワイザーを箱で寄越せよ」
「箱をダースでくれてやる」
レティーシャが肩をすくめ、その場でくるりとターンした。ロングヘアがふわりと浮き、ホログラムが消える。
「久しぶりに燃える仕事じゃねーか――こりゃコート買ってる暇もねえワケだ」
「独り言はほどほどにしてくれよ――で、アタック先はどこになんの」
リーの呑気な声に対して、おいおい、とサミュエルが呆れたように応えた。
「人の話はちゃんと聞いとけよ――メルボルン、マッドアイランズだよ」
サミュエルの頭上に巨大なマップが発生した。
「『君らの助けが必要だ』」
サミュエルがおどけていった。
もう誰も、笑うものはない。