引力
「四十二番! おい四十二番! ボケッとしてねえで返事しやがれ!!」
四十二番と呼ばれた少女はハッとして慌てて返事した。
「は、はい」
小太りで、短く刈り込んだ髪をボリボリと掻き毟る、あまり清潔とは言えない男が少女をねちねちとにらみつけていた。
「ったくよお、お前入れて三十九体だ! 一体足んねえじゃねえかよ」
男は、部屋の外から覗き込んでいた。
座り込んでいたようだった。冷たい床の感触が下半身にある。部屋は狭く、暗い。
(ここ、どこだっけ――?)
まわりには、ところ狭しと女の子が座っていたり、並んで立っていたりしている。四十人もの少女が入るようなところではないはずで、しかし暗闇の奥には確かにたくさんの頭が揺らめいているのがぼんやりと見えた。
(なにこれ――?)
誰も何も反応しない。四十二番のすぐ近くに座っている数人は、生気のない目でそれぞれ別の方向を見つめている。
(っていうか、私の名前なんだっけ――?)
部屋の外に立っている男はどこかに電話をはじめた。かなり怒っている。
(もしかして――)
四十二番は必死でここまでの記憶を取り戻そうとしたが駄目だった。さっき男に呼ばれるまでの記憶が全然ない。
(――これってもしかして誘拐?)
だとしたらかなり大規模なものだった。四十人もの相手を無抵抗に追いやるには相当な手間が必要なはずだ。
これは間違いなく恐ろしい事態に違いない――と四十二番は考えた。でもどこも痛んではいないし、変な薬を飲まされたなどいう気はしなかった。
相変わらず他の子たちは微動だにしない。洗脳されているのだろうか?
男の目を盗んで逃げた方が良い、と四十二番は考えた。しかし唯一の出入り口と思しき場所は男がうろついている。そして、そこらじゅうに無防備に座り込んでいる女の子たちを放っておくのも気が進まなかった。
男はイライラしたまま電話を切った。会話の内容はほとんど意味が分からなかった。じがそせい、とか、エーアイ、とか、四十二番にはうまく理解できない単語を交えて会話していた。
「ああくそ、憂さ晴らしだ」
男は言うと、唐突にベルトを外しはじめた。
「ひっ」
四十二番は発作的に声を挙げてしまった。
男は手を止め、座り込んでいる女の子たちをかき分けてこっちへ進んできた。
「どいつだ! 今しゃべったのは」
男は真っ直ぐに四十二番に向かってきた。さっきの返事がたどたどしかったことがいけなかった。四十二番は目をぎゅっと閉じて祈り始めた。
(気付かれませんように――気付かれませんように――!)
四十二番は、それによって余計に男に気付かれやすくなっていることに考えが及んでいなかった。男が近づいてくる。
「おめェか? なあ!」
男が四十二番の腕を掴んで引き上げた。
「いっ、たあ――」
四十二番は痛みに声を上げた。それを見て、男は目を丸くしてから、ニタアっという下卑た笑いを浮かべた。
「聞いてるぜ。最近のスカイドールズは挙動がおかしいんだってな。お前も出来損ないか?」
耳元で男がまくしたてる。四十二番には意味の分からない言葉であったが、その首元にぞわぞわと不快感が走っていく。
「おもしれえな、お前」
それを見て男は喜んだようだった。周りの女の子たちはまるで動かない。
「人間みたいな反応だ――もしかして、〝フラワーズ〟か?」
四十二番には聞き覚えのない言葉だった。フラワーズ?
「知らねえか。教えてやろうか? 金持ち連中のお慰みだ! お前もそうだったんだろ?」
掴んだままの腕をぐいと引き寄せられた。男のすえたような匂いが鼻をつく。四十二番は目に涙を浮かべながらぶるぶると首を振った。反射的な反応だった。
「いいやそうに違いねえ。そうなんだろう! それからお前はここで俺に犯されるのさ」
男はまたベルトに手をかけていた。恐怖心と嫌悪感が、ぞわぞわと四十二番を襲っている。何をされるのか、ぼうっとした頭でも少しずつ理解が出来始める。犯される? イヤだ!
「純真ぶってねえで言えよ! 金持ち連中のブツを何度もくわえこんだんだろ? 自分から腰を振って、それでよがってたんじゃないか? 実際は男なら何でもヨシ、だ。違うか?」
男の目はらんらんと燃えていた。四十二番は何度も首を振り、何とか逃れようと腕を振りほどこうとしたが、男の力には全く敵わなかった。
「なあ教えてくれよ。金があって見た目が良い奴なら誰でも良いんだろ?」
「違うわね」
男ではない、透き通るようなソプラノボイスが突き刺さるように響き渡った。
男はびくりと体を震わせて、周囲を見回した。
「誰だ!」
四十二番はぶるぶると首を振った。自分ではない。この空間にいる他の誰かだ。でも正直言って、今の声はここに座っている女の子たちの誰かの声ではなかった。だって――
「出てこい! スカイドールズはポンコツ揃いか? 故障してるんなら俺が〝中から〟治してやるぜ!」
男が声を張り上げるのに、声は静かに返した。
「壊れているのは貴方の方よね。不思議だわ。どうして壊れている奴ほど相手を壊れているだなんて思うのかしら」
男はバリバリと頭を掻きはじめた。
「どこのどいつだ――? 俺が壊れてるだと?」
バリバリ、バリバリと何度も頭を掻いている。白い粉が飛んでいる。男を追い立てるように、ソプラノの声が続いた。
「貴方が〝フラワーズ〟に何を期待しているのかは何だか分からないけれど、少なくとも貴方の欲を都合よく満たしてくれるボランティアではないわ」
「黙れ!」
男が声を張り上げた。大きな声だ。四十二番はまた「ひっ」と小さく声を上げた。
「俺様は貴様らの管理の為に銃の使用を許可されているんだ!」
男は腰のあたりから拳銃を出した。小さなリボルバーだ。男の体は小さかったが、その拳銃は男の手の中でも小さく見えた。おもちゃみたいだ。
「死にたくないよな? 俺だって面倒はゴメンだ。今出てくるなら許してやるからとっとと出てこい!」
「古典的な話をしていいかしら――安全装置、ってご存知?」
男はその一瞬、確かに慌てた。周りに注意深く目を配らせるのをやめ、手の中にすっぽり収まっていた拳銃に目をやった。
そしてそれが命取りになった。
男は上方から落ちてきた物体に無抵抗に叩きつけられた。
その物体は人型である――四十二番には、それは回転しながら落ちてきたように見えた。それは、地面に倒れ伏しそうになった男を、さらに鋭く回転して弾き飛ばした。
男の巨体は、嘘のように軽々と持ち上げられ、与えられた衝撃のままに一直線に部屋の外へ吹き飛んでいった。金属のぶつかる激しい音と、何かが転がるような音がして、その音が部屋の外を響き渡っていく。
そして、静寂が訪れた。
男を弾き飛ばした影が、音も無く立ち上がった。
それは、背の高い少女だった。
少女の姿は部屋の外から入ってくる光に照らされ、強いコントラストで浮かび上がった。
四十二番は目を見開いた。
真っ白の陶器のような肌に、墨で引いたような艶のある黒髪が長く垂れ下がっていた。すきまからのぞいている相貌に、長いまつげが凛と伸びている。
黒いシンプルなロングドレスから、白樺のように幻想的に浮かび上がった細い四肢がまっすぐに伸びている。
「これも古典的だけれど――」
少女はひとりごとのように呟いた。
「リボルバーにはふつう、安全装置はないわ」
男を弾き飛ばしたときの、獣のような素早さと恐るべき力は微塵も感じられない立ち姿だった。その少女は揺らめきもせず、髪ひとつ乱していなかった。ずっとそこに立っていたかのように、しとやかに佇んでいた。
少女は振り返った。憂いを帯びた大きな相貌が四十二番を打った。
綺麗だ――。
つまり四十二番は、そう感じていた。こんなに綺麗な女の子が世の中に存在するんだと、感動すらしていた。
「ありがとうね、お嬢さん」
少女はややくたびれたように笑った。それも綺麗だった。四十二番は答えに窮した。
「えっと、あの」
「分かっていたでしょう? 私が上にいたの」
「それは」
分かっていた。男は動転していたし、ほぼ女の子の真下にいたため、いくら頭を回してみても定位が変わらなかったのだ。人間は前後上下から発せられる音に対して、位置関係を把握する能力が低い。部屋が狭く、人がぎゅうぎゅうに詰まっていたことも、声の出所が掴みづらかった理由のひとつだった。
そんなことを四十二番は何となく考えていた。
「そこまで分かっているのね? 素敵ね、あなた」
「えっ」
考えを見透かされていたようだ。四十二番は顔が途端に熱くなるのを感じた。今この子、私のこと素敵って言ったのかな?
「貴方はとても素敵よ。今あそこにで転がってる醜悪なアンドロイドとは違ってね」
アンドロイド? 四十二番は部屋の外で動かなくなった男に目をやった。
「あれ、人間じゃないんですか」
「ええ、稀に人間ではないことを自覚できない失敗作があるようね。ところで」
女の子は不意に立ち上がった。四十二番よりも随分背が高かった。脚がとても長い。
「貴方はどうして〝自覚〟しているのかしら」
また知らない単語が出てきた。四十二番は戸惑った。どういう意味かは分からないが、少なくとも四十二番には今の自分をきちんと説明できる準備がまるでない。
「自我を持ったアンドロイドの現象のことよ。貴方、どこから来たのかしら?」
アンドロイド? 自分が? 四十二番は当惑した。そもそも、自分についての記憶がすっぽりなくなっているのだ。
その様子を見て、女の子は目を丸くした。
「あなた、自分のことが分からないの?」
どうやらこの女の子には自分のことを見抜く能力があるようだ、と四十二番は思った。上手く説明できる気がしないので、それはそれで都合が良かった。
「記憶がないのね。不憫なこと」
本当に悲しそうな声で言うので、四十二番は少しみじめな気持になった。何か話さなければどんどん気持ちが落ちていく気がする。
「あの、ありがとうございます。あなたは、誰?」
思い切って四十二番は尋ねた。
ああ、と少女は手を胸の前で合わせて笑った。芝居かかった動作でも、これだけ綺麗な女の子がすれば何も不自然なことはなかった。
「私は『SKYDOLLS―007』の特注モデルよ。個体識別名称は『CHERRY BLOSSAM』だけど、『サクラ』と呼んで頂戴」
やっぱりアンドロイドだったんだ、と四十二番は妙な納得をした。こんなに綺麗なものが自然に生まれてくるような気がしなかった。
一方で、自分がアンドロイド、という実感については、よく分からなかった。
とにかく、助けてくれたこの女の子にはお礼を言わなきゃ、と四十二番は思った。
「ありがとうございます、サクラさん」
「いいのよ」
サクラはニコニコと笑っている。
「ところでサクラさん」
「何かしら?」
「この子たちは?」
四十二番はまわりで物言わずじっとしている女の子たちを見回した。
「あら」
意外とばかりにサクラは目を丸くした。
「そこまで分からなくなっちゃったのね?」
四十二番は恥ずかしげにうつむいた。
「良いのよ。私がゆっくり教えてあげるからね。でも」
サクラが四十二番の手を取った。
温度を感じないのに冷たくない、不思議な感触だった。
「今は踊る時間だわ」
そのまま手を引かれていく。
部屋の外の廊下はそこまで長くはなかった。決して綺麗な施設ではなかった。かび臭く、湿っぽいにおいがする。それは何というか、地下のような――
四十二番の手を引いていたサクラが少し驚いたように振り返った。
「あら――よく分かったわね。確かにここは地下よ」
後ろから女の子たちがついてきていた。このまま逃げるんだろうか?
「いいえ。この場をやりすごさなくてはいけないわ。騒ぎは最小限にして、今はとりあえず楽しみましょう」
大きなドアに辿り着いていた。物々しいハンドルをサクラが回すと、隙間から大音量の音楽が聞こえてきた。キック・ドラムが四十二番の腹を打った。歪んだベースラインがじりじりと空気を揺らしている。
周りに立っていた女の子たちが既に、音に合わせて踊り始めていた。どれも同じようなステップを踏んでいる。踊っているのだ。
サクラはにっ、と笑った。また手を引かれた。サクラは駆け出している。
四十二番もそれに引かれて走る格好になる。
怒涛のように鳴り響いたのは、大きな歓声だった。
「あ、あの!」
四十二番は必死でサクラに叫んだ。
「大丈夫よ! ここに用意されたアンドロイドはみんな、この為に用意されている――」
サクラは含み笑いとしたり顔と、ほんの少しのいらずらっぽさを混ぜた無邪気な笑顔を見せた。
「『SKYDOLLS 7TH EXPERT EDITION』の役目は歌って踊ることよ!」
まばゆい光が二人を包んだ。
目の前には大きなダンスホールが広がっている。どよめきの中で、四十二番は今自分が大きな興奮の渦の中にいることを実感した。
アルコールと煙と、ほんの少しの薬品の匂い。
(なんか懐かしいような――)
考えている時間はなかった。四十二番はドアの向こうに連れ出される。
大きな空間だった。フロアにはレーザーライトが揺れており、うねるように自由に体を動かす人々がひしめいている。誰も踊っていた。
攻撃的なメロディが煽るように繰り返される。それに答えるように歓声が波打つ。
ドアの向こうは、パーティ・タイムで――四十二番はその情景に立ち尽くしていた。
派手なイントロから、少しずつ低音が絞られていき、上昇していくようなエフェクトが生まれていく。
ステージに立った女の子は、サクラも含めて、真っ直ぐに腕を挙げていた――四十二番も、おそるおそる、これに習った。
波打つ人々はかなり酩酊しているようだった。ほとんどが男だったが、肌を露出した女性もいた。それを見ていると、四十二番は何だか遠い世界にやってきてしまったような気がして、そのままぼうっと見入っていた。
そして、はたと気付くと、自分以外の女の子が既にそれぞれ踊りだしているところだった。
四十二番は慌てて自分も動き出そうとして――
派手に、ステージの中央で転倒した。