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Girls In The Showtime  作者: アベンゼン
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嘆息

赤ら顔の男が、長いオフィスの廊下を足早に通り抜けていく。


彼の赤い顔は生まれつきだ。だが、それは緊張や高揚によってより強く赤くなる。


今日の彼の顔は特にひどかった――それはすなわち、彼の職務上から来るストレスによるものだった。


モンスーン社・ニューヨーク支社では、組織図に乗っていない本社直下の部署が存在する。そのうちのひとつの実務責任者が彼、マイキー・スタンリッジである。


モンスーン社は非常に大きく、細かい構造を持つ組織である。彼の直属の上司はモンスーン社のCEOということになっているが、彼はその顔を見たことすらない。


マイキーは元々、大口の契約にかかる法務的な手続きを得意とする弁護士だった。この仕事にかかるきっかけとなったのも、そうした契約手続きの仲介業務からだった。


(それがどうしてこんなことに――)


何度も自分に問いかけた質問だった。同じ形式の契約業務をいくつかこなした上で、彼は業務委託という形でこのオフィスに入り、やがてなし崩し的に現在のポストに収まった。


機密事項だらけの仕事だった。場合によっては契約先の顧客の名前や連絡先すら分からないというものまであった。真面目な弁護士であった彼にとって、法的拘束力があるかすら分からない紙切れは、率直に言って滑稽だった。


長い廊下を渡りきり、ドアをノックする。返事はない。


マイキーは長いため息をつき、ドアを開けた。


「様子はどうだ」


狭い、ほとんど何もない部屋の中央には、みすぼらしい机がひとつ置かれており、手前と奥に男がひとりずつ座っている。


奥に座っているのが、マイキーの唯一の部下であるジェレミー・ハンコックである。クレオールの出自を持つことを誇る、カフェオレ色の肌の男だ。


「ボス、内線のとおりです。何も言いやがらない」


「その呼び方はやめろ」


吐き捨てるようにマイキーが言った。実際、何のボスでもない。そもそもこの「取調べ」が何のために行われているかすら、結局のところよく分かっていないのだ。


手前に座った男が身を縮ませて、申し訳なさそうに言った。


「そりゃあ、何も知らないんですから、何も言いようがない」


マイキーはジェレミーの背後に回り、男の様子を伺った。まだ若い男だ。憔悴してはいるが、身なりは整っている。午前中に送られてきた情報によれば彼はマックス・カーターという男で、イングランドで環境保全の企業に勤務している男だ。


繰り返されている質問はひとつである。


『お前が働いていた廃棄場から、逃げ出したアンドロイドはいないか』。


そして繰り返される返答もひとつだ。


「ですから、あの時はシステムが落ちていて、何も分からなかったんだ、何も――」


「こうなんです、にっちもさっちもいかない」


あきれたようにジェレミーが言った。マイキーが身を乗り出す。


「重量や、廃棄個体のナンバリングは追いかけていなかったのか? システムは提供しているはずだ」


「無理を言わないでください、我々があれを受け入れてからまだ半年もたっていないんだ」


マックスは懇願するような、怒りを含んだ顔色になっていた。無理もない、とマイキーは考えた。この俺だって、同じ立場なら同じように主張するだろう。


「じゃあ、質問を変えよう。ミスター・カーター」


少し間をおいて、マックスが落ち着くのを待った。不安そうに見上げるマックスに、ひとつ咳払いを入れてから、マイキーはゆっくりと質問をした。


「君は、その廃棄場で『うつくしいもの』を見なかったかね? ――言葉を失うような、信じられないほどうつくしいものを」


マックスがわずかに身を震わせたのを、マイキーは見逃さなかった。ややあって、先ほどと変わらない口調でマックスは答えた。


「いえ、廃棄場で見かける『うつくしいもの』なんてありません。ゴミだけです」


「そうか」


マイキーはすぐに、マックスに帰っていいと伝えた。マックスは虚をつかれて口をぽかんと開けて黙っていたが、ジェレミーから強い口調で「帰れ」と言い渡され、何か心残りがあるようにこちらを気にしながら部屋を出て行った。


「あいつは、見てる」


マイキーはそう短く感想を述べた。


「へえ、じゃあ奴は、アンドロイドを庇ってるってことですか? きれいな見掛けにやられて、ほだされてるって言うんですかね」


ジェレミーは疑わしげな目を、マックスの去ったドアに向けた。


「ああそうだ。連中のカーボンナノチューブでできた皮膚や毛でも、男は簡単にだまされる。君は絵画の女性をうつくしいと思った奴を『だまされている』というかね?」


「いえ、絵画には元の姿や芸術家のイメージがあります。アンドロイドとは違う」


「そうか」


マイキーは面倒になって議論を切り上げた。


(アンドロイドにも、モデルがいるとしたら――)


そう言い掛けて、マイキーはそれを口に出さなかった。


ジェレミーは自分の仕事に誇りを抱いていない。彼は元々、高名なアート・スクールの出で、早くから開発の現場でデザインとエンジニアリングを担当していた。それがどういうわけか、こんなしみったれた廃棄物処理のような仕事をやらされている。


ジェレミーももう若いとは言えない年齢だ。マイキーはジェレミーに対して、いくばくか同情の念を覚えている。


「ジェレミー」


「はい」


「あまり意味のない質問になる可能性が高いが――『MUD』というSNSは知っているかね?」


ああ、とジェレミーはうんざりした顔になった。


「ならず者たちの巣窟ですね。反吐が出る」


「よろしい。あれについて何か知らないか」


「僕を尋問するんですか?」


「いや、ただ知りたいだけだ。知らなかったら別にいい」


ジェレミーはしばらく逡巡したのち、「何も知らないです」と答えた。


「あれが各国のグレートファイアウォールをかいくぐるボーダーレスな空間になっていることは知っていますし、あの中に例の『ナーフ』がいるのも知っています」


前者についてはマイキーは知っていたが、後者については知らなかった。ナーフ?


「知らないんですか? 有名なハッカーですよ。求めるものに持てる情報を開示するだけの『義賊』を名乗っていますが、やっていること自体はただの機密漏洩ですから、犯罪者に変わりはありませんがね」


そうか、とマイキーは妙な納得をした。それなら彼の旧友のイアンがフラワーズについて知っていたことにも、そういったソースがあったのかもしれない。


「そんなことより、どうするんです、例のクライアントは?」


ジェレミーが指摘したのは、長らくトラブルが発生しているある案件の対応についてである。


そのクライアントは、納品直前に商品が盗難されたため、モンスーン社の対応不備を非難し多額の違約金を請求してきたのだ。事情が事情なだけに、公にしたくない、自社内の問題として取り扱いたくないモンスーン社は、業務委託としてマイキーを持ち上げたのだった。


それ以外にも、今懸念されている「フラワーズの第七世代が廃棄される前に失踪した疑い」のような細かいトラブルがいくつも発生している。マイキーはタフな男だが、それでも十分に憔悴してしまっていた。


「今なんとか、あの個体を探せと方々に依頼しているよ。アイルランドの国境での審査で似たような女性を見かけたという情報ならあったんだが――」


「難しいですね」


他人事のようにジェレミーが哀れんだ。


ああそうさ、難しいとも。しかしどうにか見つけなければ、自分の明日すらままならない。


しかし、とマイキーは口癖のように繰り返す。


(どうしてこんなことに――)


何度呟いてみても変わらない。マイキーは深いため息をついて、立ち上がった。


何とかあの個体を回収せねばなるまい。


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