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Girls In The Showtime  作者: アベンゼン
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追憶 6

山積みの肉とサラダと、スープとシチューと、フィッシュアンドチップスが用意された。酒もありったけ用意された。バンドたちは今夜の為に特別編成の大人数で臨んだ。


「さあ、乾杯だ!」


バンドが力の限り演奏をはじめ、一度きりの大宴会が始まった。


はじめはぎこちない空気だった。無理もない。明日の朝には木端微塵にされてしまうのを分かっていながら宴を楽しむのはとても難しい。だが、この時に封を切られたとっておきの酒たちがこれを乗り越えさせてくれた。


それは、不思議な香りのするウイスキーだった。煙のような、海のような、遠い景色を眺めるような香りだった。


ルイがシャムロックのところに来て、このウイスキーを分けてくれた。


「僕たちはまだ子供だけど、今日くらいはいいよね」


そう言って、いたずらっぽく笑った。とてもおいしいウイスキーだった。


イーファが酔っていた。


「シャムロック! あんたは私の、最高の、自慢の娘なんだよ!」


そう言って笑いながら、何度もシャムロックの肩を叩いた。


そしてシャムロックはステージに立った。


子供のうち一人が、シャムロックに衣装を渡してくれた。三つ葉の髪飾りと、古い十字架の首飾り、そして深緑のワンピースだ。


シャムロックは歌った。初めてこのステージに立った時のことを思い出した。その後いくつも劇場のステージに立ったが、このステージは特別だった。


みんなが目を閉じてシャムロックの歌声に聴き入った。


夜が更けていく。バンドの曲も加速していく。誰からともなく、タップが始まった。


誰だってタップを踏めた。複雑に絡まり合うビートが広がっていく。酒場はやがて一同のタップで揺れ始めた。超満員の客たちが踊るのだから仕方ない。


タップは止むことなく続いた。一同は空が少しずつ明るくなっていくのも気付かず、踊りを続けた。


「ルイ!」


シャムロックはルイを呼んだ。ルイとシャムロックは踊った。あのときよりも激しく速く、加速していくビートに乗せて、二人はとても楽しそうに踊った。


「ルイ、僕、君に何かを言おうと思っていたんだけど」


ルイはシャムロックの目をじっと覗きこんでいた。安らかな緑色の目だった。


「でも、忘れちゃった」


ルイは笑った。シャムロックも笑った。


やがて街の周囲で、山稜に光が灯った。


音はより激しく速く打ち鳴らされていく。誰ひとり休まず、音楽を奏で続けていた。


「シャムロック、目を閉じて!」


シャムロックの体に、心地よい酩酊が回っていった。あのウイスキーの煙のような香りが強くなったように感じた。耳鳴りがするほどに激しくビートが打ち鳴らされている。


手を伸ばせばそこにルイがいる。いつまでも踊っていられるような、不思議な幸福さがあった。


やがて耳鳴りがどんどん大きくなっていった。目を閉じたまま、シャムロックは踊り続けた――。





それは、彼女の周りが瓦礫の山になっても続いていた。





冷たい風の吹く朝だった。


前日の夜に雨が降った。そして全く雲一つのない朝だった。


潜入部隊の第一陣のひとりが発見したドール、〈盗まれた花〉(ストールン・フラワー)は、目を閉じたままうわごとを言いながら、脚をばたばたと動かしていた。


周りにはひどい空襲を加えられた形跡だけがあった。とにかく、何もない。


この隊員は、自らの手柄を優先した。今目の前にいる軍需産業のブラックボックスは、全くこちらに警戒していない。チャンスだ――彼は真っ直ぐにシャムロックに近づいた。


ライフルを構えるが、ドールはこちらに気付いていない。隊員はトリガーに力をこめた。


そして、銃声。


倒れたのは、シャムロックではない。


隊員の方だった。


シャムロックが目を開いた。動かしていた手足を止め、立ち尽くす。


シャムロックの目は遠く、痛々しいくらいに真っ青なダブリンの空を捉えている。


シャムロックの後ろで、小さな影が立ち上がる。


いや、正確には立ち上がってはいない。彼は大腿から下を失っている。


「シャム、ロック――」


シャムロックが振り返った。


「ルイ」


それは、彼女をここまで連れてきた少年――いや、今は青年となっていた男だ。


 ルイはライフルを抱えている。旧式の粗末なものだ。


ルイは必死で自らの体を支えようとしたが、ダメだった。体は崩れ落ち、みるみる力が抜けていく。


それは、彼の生命が流れ出ていく姿であった。


シャムロックは踊るような軽やかな足取りで、ルイの近くまでやってくると、その手を取った。


「ルイ、冷えちゃったね」


 ルイはガクガクと首を揺らした。うなずいたのか、震えたのか、分からないような動きだった。シャムロックは微笑んだ。


「大丈夫だよ、大丈夫――」


 シャムロックは、ルイの頭を抱いて、そのまま座り込んで膝に置いてあげた。


「動かなくて良いからね」


シャムロックは、胸元の十字架を握りしめた。


ルイはそれでも、何とか力を振り絞って、シャムロックの頬に手を伸ばした。


「シャムロック――変わらないね」


 細く、消え入りそうな声だった。シャムロックはその手を取った。


 まめだらけの手だ。最後まで休みなく、懸命に働き続けた手だった。


シャムロックはゆっくりと周りを見回した。ざわざわと町の周囲から気配が濃くなってきている。物凄い数だ。景色が揺れて見えるほどに、シャムロックは向かってきている者の「敵意」を感じ取っている。


「ルイ、やっぱり町を出ようよ」


 シャムロックは心配そうな声で言った。ルイは少し困ったように微笑んだ。


「うん――そうしたいね」


「みんなはどこにいったんだろう」


「どこだろうね」


「とにかく逃げないと、ルイ」


「シャムロック」


 落ち着いた、少し力のこもった声で、ルイは語りかけた。シャムロックはびくりと身を震わせた。

「覚えているかい、随分前のことだけど――お祭りの日、約束をしたね」


 シャムロックは、開かれたルイの目を見つめた。いつもとまるで変わらない、優しい、一途な目。

「そうだね、約束なんてしたね――約束をするって、約束だね」


ルイはシャムロックを見上げる。遠い目だ。心ここにあらずの、酩酊が残る目だった。


透き通った目に、自分が映っていることを彼は強く願う。


「その約束を、今しようか」


 シャムロックはじっとルイを見ていた。ルイはその目に感情を読み取ることが出来なかったが、しかし続けた。


「必ずここに、帰ってきて欲しい。もし出来るなら――」


 ルイのまぶたが二度、三度、揺れる。


「出来るなら、あ、あの祭りを」


 力がゆらゆらと抜けかかる。


「うん、しよう、きっとまた出来るよ」


 ルイは笑った。力のない笑いだった。



「こ、ここは――きみの」



「うん」



「きみの故郷」



「うん、ルイにとってもそうだよ、きっと――でも今は逃げなきゃ」


ルイはもう動かなくなっていた。真夜中のように町は静まり返っている。


シャムロックは、その動かなくなったルイの手から、ライフルを持ち上げた。


ルイの顔を、シャムロックは見た。


いつも少し無理をして微笑むような、ルイの顔。


「僕は君の――」


シャムロックの声がぐっ、と詰まった。そして小刻みに体を震わせる。


シャムロックは泣いてはいなかった。ルイの頭をひとなでして、そっと膝から下ろした。そして立ち上がると、踵を返して歩きはじめる。



「逃げなきゃ――ルイ、逃げよう」



シャムロックの胸に、焼け爛れるような熱が生まれていた。


そして同時にそれはとても冷たいもののように感じられていた。


それらは何か重要なものが燃えているようでもあった。少しずつ燃焼は進行し、やがてそこにはぽっかりと大きな穴が生まれるところである。


町はやはり、いやに静かだ。それも当たり前だろう。音を立てるものがほとんど焼かれてしまったのだ。

踊るようなステップで、シャムロックは歩いていく。


「対象を発見! アサルトライフルで武装――」


シャムロックは片手でライフルを構え、自分を発見した歩兵をひとり撃ち抜いた。




(あれ、僕は――)




シャムロックは空を見上げた。


鳥がまっすぐにその視界を横切った。甲高い声が鋭く響き渡る。



(おとぎ話の中にいたような――つもりだったんだけど)



遠くで何かが破裂するような音がする。発砲音かもしれない。また誰かが死んだのかもしれない。



(ここ――どこだろう――僕の――)



シャムロックは歩いていく。ふらふらと不確かな足取りで、この町を着実に離れていった。




(ルイ)




遠くからまた、甲高い鳥の声が、いやに大きく響き渡っていく。



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