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星読みの魔女

作者: ヨシコ

 悪い魔女は、自分を退治しに来た騎士を前にして、美しく、妖艶に微笑んだ。

 甘露を口に含んだように、美酒に身を浸すが如く陶然と。見る者を惑わす人外の美しさは、この世の全てを支配する女王の様ですらあった。



 *



 北の森には悪い魔女が住んでいる。

 その魔女は、誰よりも美しく、何よりも冷酷かつ残虐。

 現存する世界最古にして、最高峰の魔導士。かつては人に交わり賢者と呼ばれたことも、星読みの魔女と呼ばれたこともあったような気がする。

 数々の呼び名を経て、今はもうただの魔女。恐怖で畏怖を包んだような感情を込めてそう呼ばれている。

 そういう風にしか、もう誰も呼ばない。当然、名前を呼んでくれる相手もいない。あまりにも呼ばれないから、かなり前に自分でも忘れてしまったほど。

 ただの魔女になって、百年か二百年か、もっと経ったかそれほど経っていないか、時間の感覚すらなくなってしまった。

 来客は、北の森に魔女討伐隊と銘打ってやって来る騎士様たちぐらいのもので、彼らを炎で炙り、土杭で貫き、風の刃で切り裂くだけの、あとはただただ単調な日々。

 昔々に暇を持て余し過ぎて、都に出向いてみたことはあったけど、別段面白くもなんともなくて、なんとなくムカついて片っ端からありとあらゆるものを切り裂いてみたけれど、それすら期待したほど面白くなんてなかった。

 それ以降やってくるようになった討伐隊だけれど、やっぱり面白くなんてない。最初の頃こそ退治に創意工夫を凝らしてみたこともあったけど、今はもうただの作業でしかない。

 今日のこれも、何百何千と続く作業のうちのただの一回。

 闇色のローブに付着してしまった血を魔法で振り払い、累々と転がる肉の塊や四肢の一部を蹴飛ばして、魔女はなんとはなしに空を仰いだ。

 闇色よりも、ずっと鮮やかな夜の空。青白い月は微笑むように弧を描き、全知の星々が姦しく煌びやかに輝いている。

「あら、まあ」

 昔は『星読みの魔女』と呼ばれた事もあった魔女。

 星を読み、過去と現在、果ては未来まで、全てを読み解く全知の存在。本当はただ、知る事しかできないのだけれど。少なくとも、只人には真似できない御業というやつだ。

 その御業が、魔女に面白い事を告げた。しばらく振りに見上げた夜空に、特大の感謝を捧げたいぐらい。

 魔女は、久々に考えた。魔女にしてはじっくりと、考えた。そして、上等な砂糖菓子を初めて与えられた少女のように、魔女はうっとりと微笑んだ。

 やはり、夜空に特大の感謝を捧げねばならない。その後で、久しぶりに料理をして、温かいスープを拵えて、風呂を沸かし、寝台を整えよう。他にも色々な準備をしなければ。

 魔女はこれからのことを考え、奏でるように、謡うように、踊るような足取りで、暗い森の中を進んでいく。そうして、北の森の端の端、森が途切れるほんの手前の大きなカエデの木の下に、蹲る目当てのものを見付けた。

 薄汚れて、今にも折れそうな枯れた小枝みたいなそれは、闇色の魔女を、怯えた目で見上げた。

「かわいそうな人の子よ。アタシがお前を拾ってあげる。すごおおく、感謝していいわよ?」

 貧しさゆえに、口減らしに捨てられた小さな人の子。痩せっぽっちで今はまだ、何の価値も無い只の人。今は、まだ。

 誰よりも美しい悪い魔女は、誰よりも美しく微笑んで、かわいそうな人の子を拾った。



 *



 毎日はめまぐるしく、のどかなばかりで過ぎていった。

 魔女は魔女のままであり続け、何の価値もない人の子は、少しずつ大きくなって、枯れた小枝ではないものになっていった。

 いつしか魔女の手を必要としなくなり、逆に口喧しく魔女の世話を焼きたがり、どんどん減らず口ばかりを利くようになっていった。

 そうやって二人は同じ家で寝たり起きたりを繰り返し続けて、魔女はある日唐突に、彼を森の外へ追い出した。

 決して戻ることを許しはせず、理由を問われてもただ微笑んで見せて、そして、それっきり。




 魔女は口喧しいのがいなくなって清々して、何かが欠け落ちた毎日を、たまに討伐隊を弄り、毎晩夜空を見上げて過ごした。

 夜空の星が示す未来は、魔女と同じぐらい変わることはない。魔女は来るその日を心待ちにし、夜空を見上げ、今ここにはないものを、宝物を愛でるように大切にした。

 そうして、十年ばかりが過ぎ去って、来たるべきその日を前に、村をひとつ焼き滅ぼした。



 *



「えらい男前になったじゃないの」

 魔女は微笑んで、対峙した騎士は凄く嫌そうな顔をした。

 苦虫を噛み潰したような顔という表現がぴったりなそれ。それでも、苦虫を噛み潰しても、まだ男前。

 髭なんてなくても男らしい。男らしいけど汗臭そうじゃないし、むさくるしくもない。髪もさらさらで、肌艶も悪くない。顔の造作は整っているし、背も高い。ヒョロ過ぎず、ゴツ過ぎず、ちょうどいい感じ。騎士様の服もすごくよく似合ってる。

 とても好ましく、仕上がっている。何の価値も無い只の人だった頃が嘘のよう。

「アンタは……」

 僅かに気安くなりかけた騎士様に、魔女は微笑んで見せた。微笑んで見せて、足元に転がる騎士仲間だったものを足の先でほんの少し転がしてやった。

 たったそれだけで、騎士様の顔が悲しみと怒りに染まる。

 本当に、悪くない、仕上がりだこと。

 騎士は絶望の中で剣を抜き、魔女は愉悦と共に杖を掲げた。



 *



 二人の帰る家が同じだったあの頃、魔女は、人の子が森の至る所に墓を作っているのを知っていた。

 いつか魔女に向けられたことのある剣を人の子が隠し持っていることも知っていたし、その剣を夜な夜な一人で振り回していることも知っていた。

 魔女が血の匂いを纏わせて家に戻ると、人の子が泣きそうな顔で出掛けていくことも、しばらくして泥だらけで戻って来ることも、その後一層真剣に剣を振るうことも知っていた。




 魔女は、自分の胸を刺し貫く剣を見た。

 魔女が掲げていた杖は二つに折れて、もう二度と振るわれることはない。

 刃が引き抜かれ、倒れる身体を二本の腕が絡め取った。

 あんなに細くて、頼りなくて、枯れた小枝みたいだった腕が。その腕はとても逞しくて、全てを委ねてしまえると、錯覚しそうになるぐらい。

「ふふ」

「何が、おかしい」

 騎士は魔女を抱き止めて、不機嫌そうに、魔女を睨みつけた。その目は、夜空と同じ色。ある時から、魔女の一等好きな色だ。

「強くなったのね」

 魔女を殺せるぐらい。

 何の罪もないであろう村を焼き滅ぼして、仲間である騎士達を蹂躙する悪い魔女を殺せるぐらい。

「魔女め……!」

 そう、悪い魔女だから、心優しく、強くて、格好良い騎士に倒される。そして、めでたし。

 自然と、笑みが零れてしまう。嬉しくて、楽しくて、こんなにも、心穏やか。

 そんな魔女を見下す騎士の腕が、戦慄いて、その口から、絞り出すような声が、魔女を責めた。

「なんで……!」

 震える声。震える腕。その全てが、魔女を責めている。そして、頬が涙に濡れている。

 夜空と同じ色の目から、涙が流れている。

「なんで、泣くの」

 なんで。

「泣くものか! お前のために、流す涙などあるものか! 望んで、殺されるような、馬鹿な女のためになど!」

 馬鹿な女。それでは、まるでただの人のようだ。ただの女のために、その死を悼むように、その死に絶望するように、そんな風に見えるのは何故。

 人でなしの魔女だから、騎士の絶望がわからない。わからないどころか、想像すらできない。自分以外の何かの気持ちなんて知らないしわからない。わかるはずがない。

 人でなしの魔女は満足していた。夜空の星からこの未来を読んだその瞬間から、ずっとずっと待っていたこの瞬間に。

 この未来のために育てた子供。この未来のために教えた剣。全部が全部、この瞬間のためにあったのだから。

 それなのに。

「なんで、泣くの」

 もう一度繰り返して、魔女は騎士の濡れた頬を、最後の力を振り絞って、震える指でそうっと撫でた。

 その手を、騎士の手が強く握る。

「泣いてない」

 まさか、こんな風に思うなんて。こんな気持ちを抱くなんて。

 心の底から満足している。それなのに、ほんの少しだけ、僅かだけれど、後悔を……これを、後悔と呼ぶのだろうか。

「悪い、魔女め」

 そんなに抱きしめられたら、顔が見えない。そう苦情を言いたいけれど、声はもう届かない。

 だって想像もしなかった。自分のために流される涙があるなんて。

「死ぬな」

 想像すら、しなかったの。


 


 星読みの魔女は、星を読み、過去と現在、果ては未来まで、全てを読み解く全知の存在。

 それなのに、知らなかった。

 満ち足りた想いに水を差す一欠けら。その一欠けらが、こんなにも、愛おしい。

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