ピンクの霧に魅入られて
「ねぇ、もういいよね?」
「なにが?」
「もうーわかるでしょー」
猫なで声の甘えた抑揚で、ぺしぺしと肩を小突き当たってくる。昨今のメディア等で若者の恋愛離れが嘆かれてるさなか、密かに抑圧していた恋心がお酒の力で決壊しそうなのかなと勘繰る。自意識過剰だと自分でも思うが、俺は優しいし面白いし顔も大抵の女子は妥協してくれるレベルだと自負している。自宅で男女二人っきり缶チューハイを飲んでる状況で、そういう流れになるんではと勘違いするのも仕方ないだろう。
「うーん、そろそろチェイサー?」
「ちーがーう!!ん、もう。だからぁ―――、恋人になりましょう」
まじまじと見つめられる。お互いの弛緩していた唇が締まり、次第に鼻にしわが寄って間抜けずらになる。ぷすっと彼女が吹き笑う。酒癖のゲップも交じり「うっ、ぷぎぃっ」っと嗚咽して、酒息の突風が吹っかかりイケナイ高揚感がよぎった。さておきそこまで笑うか?にらめっこは俺が勝ったが、顔が相当間抜けだったのかと自尊心が傷ついた。
「いぃひひひひひひひひぃ」
「魔女かよ」
「うふんふんふんふんふひぃひ」
俺のツッコミを受けて笑いを自制しようとしているが、余計に気味悪くなり失敗している。「んはぁーー」っと一呼吸し、最後に鼻息を深く吹いて落ち着いた。
「んで、どうよ」
「いまの流れで問う?」
「いーじゃんいまさら、でもだらしない子好きでしょ?守ってあげたくなるよねぇ!?」
「いろいろぶっちゃけすぎだ」
情緒の落差激しくて疲れないのだろうか。ぶっちゃけついでにと「うぷっひぃー」っと口音でまたゲップをし、発言も相まってぶりっ子を連想する。けど笑い方を指摘して口をつぐんだあたり、喉から直接出る生の音を抑えた擬音が女なりの自制だと思うと、それが素であるのだと騙されてやってもいい気になる。
「お前は俺の奇特さを気に入ってるだろうけどさ、正直俺のどこが好きになったのかわかんない」
俺もわからない。恋仲に選ばれた魅力。
「そんなこと言ったら、こーんなあたしと仲良くしてるのもわけわかんないし」
「まぁ、なりゆき?」
「あたしもそう」
「でもさ、交友関係と恋人関係って全然違うじゃん。なんかこー俺らって環境による利害の一致で連れ添ってる感じあるから」
俺たちは新しい環境で出会った同期。周りも同じもんかと思っていたが出身が同じ連中が多くて、すでにもう輪が出来上がっていた。
そんな中で知り合いがいないもの同士、とりあえず気まずくならないよう協力関係となっていた。
「利害の一致って、それ好きにはなれないってこと?あたしフラれたの!?」
「いやそういう意味じゃなくてさ、俺と、その恋人になる兆候というか理由というか納得がいかないんだ。あと恋人になりたいっていうけど、俺を好きだとは聞いてないし」
「付き合ってから好きかどうか決めればよくない?」
「それだよそれ!―――俺は、なりゆきとかとりあえずで付き合う心境が分からない」
「ふ、童貞っぽい理屈」
「付き合うことが目的になってないか?」
「そりゃ人類の宿命よ」
「ぐ、なんか酔っ払いに論破されるのムカつくな」
「はは〜参ったか〜」
ぷは〜っと仕事をやりきった後のような一杯をぐびっと飲む。
恋について考えあぐねてる俺の頬を「チャイサー!」っと言い不意に拳を当ててくる。
「なんか恋って理屈じゃないんだよね」
「でも俺は気にするんだし、俺と付き合いたいなら合わせてよ」
「それは好きになった理由を申せと?」
「そう。ロマン大事」
「んー。あきれずにあたしの話をちゃんと聞いてくれるところとか」
「それ俺じゃなくてもできるし」
「あなたしかいないのよ」
「なんか浮気して逃げてく夫をせがむときに言いそうなセリフだな」
「んふふ、あとツッコミがすき」
「ありがとう。けどさそれって表面上の俺な訳で」
「なに、本性出して嫌われるのが怖くてそれを気にしてるってこと?あんたあたしにメロメロじゃん」
「は?ちげーし!なんか思春期のおふくろに対する反抗みたいな態度になっちゃったし、は?」
「そうやってごまかそうとするんだ〜、本性表せ!悪霊退散!」
ぐいーっと両頬をつねって伸ばし頭を左右に揺すってくる。「チェイサー」と言いながら。いままでにない身体的な接触でどぎまぎしている気も知れず楽しそうだ。きっと大胆な行為は気持ちを打ち明けたとこからきてるのだろう。
「そへじゃはべればいびょ」
「あ?なんて?」
「元男子校伝統の性癖暴露大会開催します」
「よっ!」
「それに伴い聞きたいんだけどさ、そのゲップの仕方わざと?」
「いや、素ですけどなにか?」
「じゃあさ、その高圧的な態度のまま酒の香りするゲップを俺の顔面に吹っかけてくれないか?」
「はぁあ?きーんも」
普段のらりくらりとした掴みどころのない女からの突然の殺気のこもった侮蔑に目が覚めた。俺は何を言っているんだと。さっき頭を揺すられて酔いが回ったんだきっとそうだそうに違いない。
「はぁ俺ダメだ、女に飢えてんな、こんな要求」
「うん、まぁみんな言わないだけでそういう性もあるよね。うんうん」
「優しさはね、ときに人を殺すんだよ?」
「いやあーせっかくさ、気持ち悪い本性出してくれたわけだし無下にできないじゃん。それに否定したら“付き合いたいから付き合う”ってことも認めてもらえない」
「じゃあゲップを浴びせることも受け入れてくれるのか?」
まるで反省してないじゃないか俺。自然とそんなセリフが出てしまうあたりお酒は恐ろしい。
「それはそれ、するかどうかは別でしょ」
「どうしても?」
「そんなにせがまれるとまじできもい」
「幻滅した?」
「むむ、もしかしてフルための口実作ろうしてるな?やってやろうじゃんよう!?」
正座にただして磨り膝で近づいてくる。フルための口実でもなく、ましてやゲップをしてもらうために負けず嫌いを逆手に取って挑発したわけじゃない、ほんの出来心で!っと言い訳もする間もなく顔が接近した。上向いたまつ毛の長さから気が付かなかったが、意外とたれ目だ。顔の特徴が明らかになるが、頬の明るみが化粧なのか身体的変化なのか区別は付かない。
「参ったゴメン」
「意気地なし」
「それもある、―――もっと自分を大事にして欲しい。それに俺は俺をオススメできないし、きっともっといい人がいるよ」
「そうやってあたしに気をつかえる人はあんたしかいないし、笑わせてくれる。それで十分なんだよ」
自分は特に自慢できるとこも取り柄も感じてないけれど、自分にできること、個人にできることは身近な人を大切にすること、これが重要なのだと彼女は言っている気がした。
「あぁもう酔いがさめるぅぅ、シェイクシェイク!チェイサーしないと」
頭を振りながらおもむろに取った缶のプルタブあける。柄でもないことを言ったことの照れ隠したい気持ちを共有した。
「前から思ってたんだけどチャイサーの使い方間違ってないか?」
「チェイサーは酒をキメることじゃないの?」
ちぇいさ〜っと右腕を高く突き上げる。やはり語感だけで使ってたか。チェイサーの意味合いが逆になっちゃってる。こいつ、どこまでも感性で生きてるなぁ。けど、これを見習うことが周りとの齟齬を減らすポイントなのかもしれない。
「アル中の私の直観では今日の記憶は忘れてるね絶対。ふふ」
「自慢にならn―――」
「最後に言わせて!あのあたしの未練を断ち切れてない断り方!好意をそのままに、長くまっとうな切り返し!普通すぐ思いつかないよねぇ?もしかして普段シュミレートしてたんじゃないの?」
「お前こそな!自分の内を外に見てるともいうしな。お前のほうが告白の妄想よくしてたろ??」
「ぐぬぅー!でも断る妄想してきどった奴よりマシ!」
「ぐはっ!」