Ⅵ
パリン!
せっかく入れたコーヒーを床に落としてしまう。もちろんカップは割れている。
祭りの準備の時は他のことは考えない、その不完全性が顕著に現れた
「大丈夫か、杜一。」
始終を見た益弥が心配する。
「あぁ、大丈夫。」
時刻は10時3分、兄としての失敗をしてから、約1時間半が経った。
昨日1日で、仕事はかなり進んだらしい。名簿は完全に完成し、走るルート、休憩地点、松明の灯火場、などのことも完全に決まっていた。
萊輝曰く、謙がいつも以上に気合を入れていたらしい。他の3人が帰る一方で、彼は1人残り、作業を続けていたそうだ。
「あいつのこと見直したぜ。」何て萊輝は言っている。
そして今日、謙はまだ来ていなかった。昨日張り切りすぎて、寝坊してるんじゃないか、杜一はそう思った。
さあ再集中だ。コーヒーを入れなおし、椅子に座って作業を再開する。
----ピンポーン----
チャイムが鳴った。
来客には謙が出ているが、今回は杜一が対応した。
「はい。」
「N県警の高槻と申します。先日間蘇川で起こった事件について、少しお話をお伺いしたいと思いまして、今お時間宜しいでしょうか?」
警察だ。予想もしていなかった相手だった。
「わ、わかりました。今出ます。」
誰だった?蒼が問う。
「県警、間蘇川の事件のことで聞きたいことがあるって。」
話を聞いた3人も驚いた表情をしていた。
事情聴衆なんて初経験、一昨日見たDVDの中だけの出来事だと思っていた。
胸の拍動は速度を増していく。玄関を出た時は、まるでポップコーンメーカーのように、不規則にバクバクと音を立てていた。
「お忙しい中すみません、N県警捜査一課高槻寿都と申します。」
いえいえ、4人は浅めの礼をした。
「それでは、先日間蘇川で私立高校の校長が殺害された件はご存知でしょうか。」
知らないわけがない、それが弟の活力を奪ったんだ、杜一は頭の中でそう思った。
「はい、知ってます。」
他の3人も頷く。
「ご存知であると。それでは、11月6日木曜日の午後23時から翌日午前1時ごろ、どこで何をされていたか、お伺いしてもよろしいでしょうか。」
「家にいました。やるべきことがあったので、家でそれをしてしました。」
まぎれもない真実を話した。寝た時間は覚えてはいなかったが、それを聞かれることはなかった。
萊輝は寝てた、益弥は大学の勉強、蒼は漫画を読んでいた気がする、なんて答える。
一番不安気に答えた蒼に対し、その警察官は少し眉間に皺を寄せた。
「このシャトーは、超人祭りの運営用のものと伺っています。皆様が今年の超人祭りの運営を担当されるのですか。」
「そうですけど、それ、聞く必要ありますか…。」
「すみません、少し気になったもので。最後に、指紋採取だけご協力ください。」
そう言って警察官は鞄からPCを取り出す。パソコンで指紋採取ができるのか、少し杜一は驚いた。
---「ご協力ありがといございました。お忙しい中、申し訳ございません。それでは失礼します。」
パトカーに乗り、シャトーを去っていく。
-------「四宮さん、事情聴衆終わりました。…はい、祭りの運営担当の人たちだったそうです。…はい、今どこですk………!!!わかりました。今すぐ向かいます。」-------------
結局最後の最後まで胸の拍動がおさまることはなかった。
「もしかして、俺たち疑われてる?」
物重そうに萊輝が口にした。
「こんな近くで事件が起こってるんだ、事情聴衆されてもおかしくないって。指紋採取も意外とよくあることらしいから。」
益弥が落ち着かせる。しかしそんな彼も、動揺を隠せない様子でいた。
「よ、よし、再開だ、謙が来るまでにやれることはやっとくぞ。」
杜一が3人に喝を入れる。ただ自分の焦りを落ち着かせたかっただけかもしれない。
2階に上がり、作業を始めようとする。
不意打ちのごとく、杜一の携帯が悲鳴を上げだした。
苫利からであった。
「もしもし、どうしたんですか。」
「杜一様、落ち着いて聞いてください……」
そういう彼の声が一番落ち着いていなかった。
「光留様が、町営の病院に救急搬送されました。背後から何者かに首元を切られ…」
プープープー。
全て聞き終わる前に電話を切る。
胸のポップコーン製造機はさらに速度を増した。
「杜一、おい、どうしたんだ?」
近づいてくる萊輝を突き飛ばし、シャトーを飛び出す。そして全速力で病院を目指した。
光留が、どうして。
杜一には今の状況が理解できなかった。
黒く輝くアスファルトを踏みながら走る。聞こえてくるのは、自分の胸の鼓動。
いくつものパトカーに追い越されていく。しかし、そんなもの杜一の目に映ってはいなかった。
息が上がり始める。
しばらく走ると、何台ものパトカーが群れをなしているのが見えた。
あそこで光留が。動く足をいったん止めて、恐る恐るその様子を覗き込む。
地面に散る、赤い血痕が見えた。
その周囲からは、覚えのある香りが漂ってくる。
「捕まえたぞ!」
背後から、図太い声が聞こえてきた。
どうやら犯人は逃げ切ることができなかったらしい。
杜一の胸の中で殺意が高ぶる。
どいてください、その場から警察官に押し出される彼は、連れられてくる男性の姿を凝視した。
----信頼するのは長い間であっても、裏切られるのは一瞬----
頭の中で、その一文が不意に浮かんだ。
手錠をかけられ、下を向きながら歩いてくるその男の正体は……。
「け、謙?」
杜一の目にあったのは、まぎれもない、利光謙であった。
意味がわからない。謙が光留を襲う理由がどこにある……。
無我夢中に彼の名前を叫び出す。
しかし、謙はその声に見向きもしなかった。
「あなたは、さっきの…」
1人の警察官が駆け寄ってきた。事情聴衆をしにきた刑事だった。
我を忘れていた杜一は、その警察の襟を掴みながら、訴える。
「被害者は!?僕の弟なんです!」
「!!落ち着いてください!被害者は、今病院に搬送されています。」
「お願いです、今すぐ連れて行ってください!行かなきゃならないんです……」
「…………。四宮さん、よろしいでしょうか。」
「あぁ。下ろしたらすぐに署に戻って、鑑識に今日の収穫を渡せ。」
杜一は深々と頭を下げた。しかし、まだ安堵の気持ちが訪れることはなかった。
パトカーに乗った後も、上がった息は収まらない。
ひとまず冷静に物事を考えよう。
光留が襲われた、そしてその犯人は謙。
2つの事柄が彼の頭の中では全く結びつかなかった。疑問だけが新しく生まれていく。
「本当に、一度落ち着いてください。」
運転席に座る彼は、なんとか杜一の感情を抑えようとした。
「広瀬さん、とおっしゃいましたよね。今日の朝、弟さんに変わった様子などはありませんでしたか。」
心当たりがありすぎる。
「朝、弟と少し口論になって。彼は建武高校に行こうとしていたのですが、あの事件が起こってしまって、そのことで…。」
「口論…。」
そうとだけつぶやき、その後車内は沈黙が続いた。
病院に到着すると、入り口前に苫利の姿が見えた。
ここまで送ってくれたことを感謝し、その警察官と別れる。
「苫利さん、光留は…?」
「手術中です。行きましょう。」
病院の中は暖房が効いていて暖かい。元気そうに親と手を繋ぐ子供の姿もよく見える。
エレベーターで手術室前まで上がる。着いた先では、テレビなどでよく見る、赤い手術中の文字が見えた。その前では母が手を合わせながら座っている。
苫利とともに椅子に座り、ライトが消えるのを待つ。その間、事の経緯を母から聞いた。
光留はいつの間にか家からいなくなっていた。警察から急に電話がかかってきた時、彼の不在がわかった、らしい。
朝の口論が原因で出て行ったのかもしれない、杜一はそう思った。
自分のせいだ。
自分のせいで光留は。
やるせない気持ちになった。
未だ胸の鼓動は収まらない。
約2時間が経ち、赤いランプが色を失った。
開く手術室の扉から白衣を着た医者たちが出てくる。
「息子は……」
母が尋ねた。
「……12時31分。全力は尽くしましたが、我々の力で、息子さんを救うことはできませんでした…。」
その言葉は、杜一の胸に刃のごとく突き刺さった。