Ⅳ
山間を歩き続けて約30分、杜一たちは本部のシャトーに到着した。
昨日の雨の影響か、庭の土壌は色を濃くして湿っている。秋雨前線が通り過ぎ、冬も近づくこの季節に、これほどの大雨が降ることは珍しかった。
中に入ると、先に到着していた萊輝と蒼が、ソファに座りながらDVDを見ている。
ほのかにキャラメルポップコーンの匂いがした。
「遅いぞ2人とも、今日は俺と杜一の記念日だっていうのに。」
神妙な言葉を吐き出す萊輝に、何も知らない蒼と益弥は奇態な眼差しを彼に向けた。
「その話はいいから。謙は?」
萊輝の発言を否定しようとしない杜一に、少々の引っ掛かりを感じるも、2階にいると伝える。
階段を上っていく杜一の背中を見ながら、
「お前らそんな関係だったの?」
と、突拍子もない質問を投げつけた。
やっぱりこいつはとんでもないバカだ、状況を理解していた益弥は、呆れた面持ちでソファに座り込み、DVD鑑賞に加わった。
-----「謙、警備のこと、町内会の人たちなんて言ってた?」
ドアを開け、パソコンに向き合う彼に駆け寄る。
利光謙は、運営担当となった5人の総責任者を務めている。
午前中、祭りの警備に関して、彼は町内会との会合に赴いていた。
部屋には彼の愛用する葡萄の香水の香りが漂っている。外見に対する彼のこだわりが感じられた。
「ごめん、作業中だった?」
「いや、たいしたことじゃないから。警備のことだよな、今日の資料見せるよ。」
クラッチバッグから資料を取り出し、机の上に広げる。謙はどんな時もクラッチバッグを持ち歩いていた。
「連続殺人事件も起こってて、町内会としても警備は厚くしたいらしい。その旨を今警察と掛け合ってるらしくて。警察側も事件の対応とかあるだろうからまだどうなるかはわからないって。」
この5人の中で一番のしっかり者である謙は、どんなことに対しても抜かりなく対応する。そんな彼に、杜一は重きの信頼を置いていた。
「警察の返事が来るまでわからないか、了解。あいつら下でサボってるけど、いいの?」
「休憩しとけって俺が言ってるから。ちょっと集中したいことあったしな。」
そう言うと謙は壁時計を確認し、バッグ片手に立ち上がった。時計の短針は4の方を指している。
「今日はちょっと早く帰るよ。行くとこあるから。下の3人呼んで駅伝参加者の名簿作っといて。今日はそれ終わったら帰って大丈夫だから。」
彼お気に入りのハットを被り、名簿用紙を杜一に手渡す。
「了解、じゃあまた明日。」
謙が部屋を出る。彼が通ったところも、やはり葡萄の香りが漂った。
一階に戻ると、3人はまだテレビの前に座っていた。画面には銃を構える警察官。「手を上げろ!」なんて陳腐なセリフを吐いている。
「謙からの指令、参加者名簿作れって。映画は後でも見れるから早く作ろう。」
「そういう雑務だけ押し付けるよな、あいつ。格好まで決めて出て行って、誰かに会いに行ったんじゃなないのか、せっかく今日は俺と杜一の…」
「その話はいいから、早く2階いくぞ。」
萊輝の発言をやはり否定しようとしない杜一に、蒼はまだ疑心を抱いていた。
結局、作業が終わった時には9時を過ぎていた。窓の外から入り込む光は、夜を走る車やパトカーのライトだけだった。
参加人数が思いの外多く、整理に戸惑っていたのと、参加申し込みフォームの記入漏れに関しての問い合わせなどで、ここまで時間がかかってしまった。
文字ばかりの紙と睨み合い、それを名簿に記入していく。単純な作業に体力を奪われたため、彼らに映画の続きを見る気力など残っていなかった。
結局その日はそこで解散、それぞれの家へ帰ることになった。
辺りはすでに静まり返り、樹湖でランニングしようなんて人はいなかった。物騒な街になってしまったことが起因しているのだろう。
家族に心配をかけまいと、杜一はそそくさと帰って行った。
家に着いた時、時間はもう10時を回っていた。
ただいまと一声、それに最初に反応したのは苫利だった。
「お帰りなさいませ、杜一様。」
彼はトートを抱えている。
「ただいま、どこかいくんですか。」
「少し用がございまして、今日はここで失礼させていただきます。」
深々と一礼。そして口を続ける。
「光留様がおっしゃっておりましたよ、夢ができたのに杜一様が興味無さそうと。忙しい毎日で思うこともあるでしょうが、ぜひ聞いてあげてください。私も憧れる、大きな夢でしたよ--------。それでは失礼いたします。」
そう言った彼の姿は、闇夜に消えていった。
少しだけ聞いてやるか。苫利が褒めそやす弟の夢に少し興味があるも、素直に聞けないプライドのようなものが、兄の中にはあった。
リビングに入って見た光景は、今朝の様子とほとんど変わらなかった。母は台所に、光留は椅子に座ってテレビを見ている。
羞恥心を持ちながらも、弟に「ちょっとだけなら聞いてやる」なんて告げる。不意の優しさに少々狼狽するも、弟はそっと微笑んだ。「上で聞いてほしい!」そういって2階へかけていった。
その笑顔は、自然と杜一の目に焼きついた。
「中学を卒業したら、建武高校に入って、地元について学ぶ。それで超人祭りよりもっと大きな祭りを作るんだ。」
光留もこの地域で育った者の一人だ。超人祭りに対してそれなりの憧れを持っている。杜一が運営担当に決まった時、誰よりも羨ましそうな表情をしていた。
彼が言うには、兄を超える祭りを作りたい、らしい。
建武高校には、地域社会科という学科がある水曽町を中心とする周辺地域の研究をするというものであり、杜一もそこの卒業生であった。
単純な頭脳や発想では兄には勝てない、そのことも踏まえて、超人祭りとは別の祭りを作り、それで兄を越えようというのだろう。
兄は内心、新しい祭りを作るなんて無理だ、そう思っていたが、自分の夢を初めて語る弟の姿を見て、心が和んでいくのを感じた。
言いたいことを全て吐き出した光留は満足気に自分の部屋へと帰っていった。
負けてはいられない、そう感じた杜一は、布団に着く前に、今日の作業にミスはないかチェックを始める。
昨日のことが思い出せなかった理由、なんて彼の頭からは消えていた。