XXVI
山の中腹と目の高さを合わせたそのシャトーの屋上に、杜一は狂気溢れる謙の姿を目の当たりにした。
益弥が殺された。
「お前が、やったのか…?」
その質問に対し謙は鼻で笑い、右手に握るナイフを放り投げた。それは益弥の方へと滑って行く。
「あぁ、俺がやった。生きててもらったら困るからな。-------萊輝はどこだ?あいつも殺しておかないと、こっちは都合が悪いんだ。」
軽々しくそう口にする彼への怒りに杜一は襲われた。無我夢中に謙へと踏み寄る。徐々にその足は加速度を増していった。
我に返ったのは、眼前に銃口が向けられた時だった。
「それ以上近づくな。死にたくないだろ?」
謙の目は本気だった。殺そうと思えば目の前の杜一を殺すことができる、黒目を大きくしながらそう語っているようだった。
「…!あの銃声、まさかお前が?」
「当たり前だろ、警察がこんな大所帯の中銃を出せるとでも思うのか?助けてやったんだよ、お前を。『俺たち』にはお前が必要だからな。」
謙は地面に転がるクラッチバックを拾い上げ、中から箱のような物を取り出した。
紅色の側面をした箱だった。
「何の変哲も無い、ただのマッチだ。」
銃口を杜一に向けたまま、彼は隅にやられていた段ボールに指を指す。
「あの中にはお前も知ってる通り、リレー用の松明が入ってる。もちろんオイルもな。-----お前が下手に動けば俺はすぐにでもこのマッチで引火させる。そうすれば-----、一体どうなるだろうな…。」
クスクス笑う謙の言葉を、杜一は半分も理解していなかった。真実を知りたいという感情が優っていた。
「お前が全部やったのか?教えてくれよ…。父さんも母さんも光留も…。」
弱々しい彼の一言を聞いた時、我慢の限界とも言うように、謙は声をあげて笑い始めた。
「そうか、お前は何にも知らないんだな。-----今までの事件のことだけじゃない。杜一、今お前が生きていられる理由も。---------------いいぜ、教えてやるよ。」
----------四宮と別れ、広瀬杜一らの追跡を再び始めた高槻だったが、瞬く間に彼らに逃げられてしまった。
茂みを抜け、あたりを見渡しても彼らの姿はない。あるのは応援に駆けつけた警官たちだけだった。
増援との情報交換を済ませたのち、四宮とのコンタクトを取るために、電話をかけることにした。
プルルルル・プルルルルという音が、時間の流れる速さを伝えるようで、彼にある種の焦慮を産みつけた。
-----彼の返答はない。
追っている最中だと確信した高槻は、今来た道を再び折り返すことに決めた。
この1ヶ月でかなり持久力が伸びた、高槻は走りながらそう思った。
不安定な土壌に足を取られるも、体力が吸い取られるような気はしない。どちらかといえば、上空を飛ぶカラスに気をとられる。
カーカーと鳴き続けるその黒い粒々は、かつての『罵倒』とは違う何かに感じた。
「寿都!」
左から自分を呼ぶ声が聞こえる。
黒崎が全力疾走でこちらに近づいていた。
「奥だ!奥を見ろ!」
彼のいう通りに目をやると、そちらにも全力疾走する人影が見える。
その横顔と頭の中の犯人像が一致した。
「千歳萊輝だ!寿都、早く追うんだ!」
言われる間も無く地面を踏み込み、走り狂うその影を追い始めた。
距離は間も無く縮まっていく。体力的優位に立っていた高槻の圧勝ともいえた。
足をかけ、萊輝を地にねじ伏せる。背後の黒崎から投げられた手錠を掴み、彼のその腕を縛り上げた。
「離せ!離せ!」
もがき続けるも、それは無駄な抵抗。
「千歳萊輝、逮捕。-----黒崎さん!」
「あぁ。応援を要請する。-----寿都、お前は四宮の元へ向かえ。利光謙が現れたらしい。」
その宣言に息を呑み。足元では同じように萊輝が口を開けていた。
少々狼狽するも、命令通りにその場を立ち去った。
その背中を眺めながら黒崎は捕獲犯の腕を掴み、鬼の形相で問いかける。
「他の奴らはどこに行った?」
萊輝はそれに答えようとしない。答えられなかった、という方が良いだろうか。
太陽はすでに、目の高さにまで沈んでいた。
再び走路に入った高槻は、そこに人がいないのに気がついた。避難が終わったのだろうと、ホッと一息。
ただそんな暇もなかった。
とりあえずと言わんばかりに、彼は高く聳えるシャトーめがけてその足を動かす。
すると見えてくるものがある。
地面に倒れこむ人の姿。
その存在に気づいた瞬間、彼の目は引きつり、向かい風で鼻は平らに潰れそうな程に走り出した。
「四宮さん!」
彼は右腿から大量の血を流し、左のアキレス腱は少し中身が見えているようだった。
「高槻か…。このザマだ。笑え。」
「笑ってられませんよ!一体…」
「利光謙、奴はあそこに向かった。」
シャトーの方を指差す。
「おそらく他の奴らもそこにいる、今すぐ向かえ。」
「!その前に四宮さんが…。近くにパトカーかあるはずです、そこまで運びます。」
肩を貸そうとする部下の行為を、自由の効くその腕で拒絶した。
「上官命令だ。早く行け。」
「でも…」
「行け!」
普段の強面が一層強さを増し、命令顔ともいえない願望顔で、四宮は叫んだ。
目を潤し、目頭からは涙がこぼれ落ちそう。自分の感情を噛み殺し、高槻は上司の願いに従った。
-----ここまで走り込むと、さすがに息も切れてくる。四宮への不安もあってのこと。
シャトーについた時には、心臓は倍の大きさぐらいに膨らんでいる気がした。
はやる鼓動を落ち着かせ、その中に入る。
居心地の良さそうな一階に、仕事後の残る二階。さらにその上を登り、屋上の扉に手をかけた。
銃を片手に握り、大きく深呼吸。そして勢いよくその扉を…。
見えた景色に太陽は映っていなかった。逆光もなく、その光景ははっきりと見える。
3人。人間が3人見える。
しかし、立っているのは1人だけだった。他の2人はぐったりとその場に伏している。
床は赤い血と何らかの液体が入り混じっているようで、薄い赤色をなしていた。
生き残った1人は、真っ赤に染まる刃を握りしめ、両腕全域を血に染めている。うっすらと笑うその横顔が、高槻の目に焼き付いた。
震える腕を上げ、その存在に銃口を向ける。
「…広瀬杜一、これで終わりだ。手を上げろ。」
その場に座り込む杜一は、手に握るナイフを投げ捨て、手探りに足元を触ったかと思えば、再び立ち上がった。
そして振り向くその姿に銃を向けたままの高槻は、引き金に指をかけることができなかった。
薄ら笑いする杜一は両腕を前に出し、新しく手にした物体を高槻に見せつけた。
それがマッチだと気づいた時、既にもう手遅れとなっていた。
「-----またあとで-----。」
摩擦音ともに引火したその火薬たちは、杜一の足元は落ちていく。瞬く間に周囲は火に包まれ、彼の周りを覆った。
舞い上がる炎の壁に行く手を阻まれた高槻は、向かい風で飛んでくる火の粉を浴びながら、自分の命を絶とうとする『広瀬杜一』の姿を目の当たりにした。
不意に頭上から梯子が降りてくる。
「寿都!早く捕まれ!」
上を見上げると、ヘリにのる黒崎、それを操縦する杖志摩の姿が見えた。2人とも、杜一のせんとする行為に気づいた様子だった。
助けたい一心で杜一を見つめるも、それが不可能だと悟った高槻は、自分を守るために、梯子に捕まりその場を脱出した。
機内に入り、そこから見下ろした景色は、正に地獄そのものだった。
シャトーを中心に炎が広がって行く。
樹湖が炎に包まれて行く。
水曽町が炎に埋もれて行く。
全てを包み込んだその炎が、杜一の『悪』そして『正義』をも飲み込んでいった。




