XXV
松明片手に畔を走る人々の裏で、杜一たちは2人の警官に追われ始め、ぬかるんだ土壌の上を疾走していた。
「まさかここまで厚いなんて、逃げ切れるのかこれ。」
息を切らしながら萊輝は弱音を吐き始める。側に見えた杜一の顔は「ただ走る」そう物語っていた。
遠くから大きな歓声が聞こえる。走者を励ますはずのその声は、ある意味の走者の杜一たちには罵倒のごとく降りかかった。
「捕まれ、捕まれ、捕まれ。」
そう聞こえてくる。
その上足場は安定せず、力強く走ろうとするほどその邪魔をし始める。
この環境全てが敵に回ったと、杜一は初めて実感した。
背後の警察官との距離は徐々に狭まっていく。それに反比例して、彼らの心拍数はだんだん上がっていった。
-----パン!
危機一髪のその時、どこからともなくピストル音が聞こえた。
最初はリレーのスターターかと思ったが、このタイミングで鳴るのは流石におかしい。
それに合わせて後ろから聞こえるベチョベチョとした足音が止まった。突然の銃声への対応を優先と考えたのだろうか。
逃げるには最高の好機。全力を振り絞り、颯爽とその場を駆け抜けた。向かい風をも物ともせずそれを切り裂き、何度目かの逃走を成功させた。
----「四宮さん、今の銃声。」
「俺が行く、お前は奴らをもう一度追え。」
-------畔から少し外れたトイレの裏で、杜一たちはあがった息を整えていた。
この季節にもかかわらず、焦りながら走ったことで身体中が汗ばんでいた。久しぶりに汗を吸ったボロボロの服は異臭を放ち、杜一の鼻を刺激した。
「どうする、杜一。ここに警察が来るのも時間の問題だぞ。」
白い息を吐きながら萊輝は問いかける。その瞳に映った杜一の姿は、墨に浸かった白衣のように、洗い用もない黒色を成していた。
「おい、杜一?」
益弥も不安そうに彼に目をやった。依然と杜一は顔を上げようとしない。ただ焦燥感を伝える息が上がるだけだ。
「俺のせいだ。」
やっと口を開いたかと思うと、今の彼の様子を映し出したような一言であった。
それは萊輝、益弥の不安を駆り立てながら、同時に2人の恐怖感を煽った。
顔を強張らせた萊輝が杜一に詰め寄る。
「おいしっかりしろよ、お前が…」
「俺のせいだ、こんな作戦間違ってた。----------萊輝、お前の言う通り、高槻さんに頼るべきだったかもな。」
吐息混じりのその声は、萊輝に新たな感情を生み出させる。怒りが再びこみ上げた。
「杜一!ふざけるなよ、お前には責任が…。結果がどう転ぼうとお前の決断に俺たちは従ったんだ。最後までそれを貫き通すのがお前の責任だろ!」
1週間前と同じ光景がその場に表れた。萊輝が杜一の胸ぐらを掴んでいる。しかし違う点が1つ、杜一はそれに反抗しようとしない。
「ごめん。」
その謝罪の言葉だけが流れてくる。
そんな3人に追い打ちをかけるかのように、パトカーのサイレンが聞こえ始めた。警察側の応援が来たのだろう。
それにいち早く気づいたのは益弥だった。
「おい来たぞ!警察だ!」
「ここじゃどうにもできない。終わりだよ、俺たち。」
「そんなこと言わずに考えろ。杜一!早く行くぞ!」
2人は杜一の腕を掴み、無理矢理に起き上がらせる。紙を持ち上げるかのように、無力に彼は立ち上がった。
腕を引かれながら走るその影は、戯れる男女の青春の1ページのよう。しかし現実は違う、犯罪者たちの黒く染まった冬の情景だった。
収まり切らなかった呼吸は先程より早く上がり始めた。萊輝は、途切れ途切れに杜一に最後の助言を呈した。
「杜一、俺は最後までお前の作戦に従う、シャトーの屋上から俺たちの正義を証明するんだろ…。」
それを聞く益弥も同じような顔をしている。
杜一は涙で目元を光らせた。嬉し涙か悔し涙か、悲しさで溢れた涙なのか。それがわかるのは杜一ただ1人だった。
「…別々でシャトーに向かおう。その方が警察の目も撹乱できる。」
彼の決断を聞いた傍2人は笑顔でそれに答えた。いつもの杜一が現れたことが何より。
3人は互いに目と目を合わせ、アイコンタクトだけで語り合う。
「またあとで。」
左右に散らばる2人の背中を目に焼き付け、杜一は自分の行くべき道を走り出した。
茂みをかき分け再び樹湖を目指す杜一は、聞こえるはずの歓声がその場にないのに気づいた。突然の銃声により、現場は慌てふためいているのだろうか。
何はともあれそれに自分たちは助けられた。銃声に助けられて安心するなんて、今の彼は少し感覚が歪んでいた。
木々の中には車は入ってこれまいと突っ込んだのはいいものの、やはり足音は聞こえる。
思考を凝らし、足跡の向きを疎らにしてみた。湿った土壌はいとも簡単に跡付けができるため、警察を惑わすにはもってこいだった。
環境が自分たちの味方をした、彼はそう感じた。
背の高いシャトーが見えてきた。沈む太陽がかかって黒光りしている。
周りを確認し茂みを抜け、急いでシャトーに駆け寄った。
鍵は開いていた。
靴を脱がずに部屋に上がり、その光景を見渡す。以前来た時と同じ様子。
ゆっくりと階段を上る彼の鼻が、その場に漂う甘い香りに反応した。
この前とは少し強くなっている。
狂気を感じる。
嫌な。
予感が。
恐る恐る屋上への扉を開けると、冬の夕焼けが彼の目の前に現れた。冷たい日光が彼を包む。
祭りの準備に買い込んだ松明や看板が、屋根を被りながらくるはずのないその出番を待っていた。
それを背景に、2つの黒い影が見えた。一方ははその場に倒れこみ、それに乗りかかるかたちでもう片方は暴走したように荒れ狂っている。
足枷がかかったように重いその足を引きずり、その実体を目に焼き付けようとする。
近寄るごとに倒れる方の影は赤みを帯びていき、それが血の色だとわかった時、同時にその正体にも気がついた。
益弥。彼は身体中を血の色に染め、その顔は完全にこの世から外れた様子をしていた。首には一本の筋が走っており、そこからも暗紅色の血が流れている。
「久しぶりだな、杜一。」
益弥にのしかかる影は立ち上がり、杜一に近づきながら、自らその正体を明かし始めた。
「謙…?」
赤い血を滴らせるナイフを片手に握った謙はそっと微笑み、白く光るその歯を杜一に見せつけた。




