私だってヒロインになりたかったんだもん……
(おか……しい。から……だ、力入らない。
視界……がぼやけ……る。息苦……しい)
「なんで、勇者君……」
地面に這いつくばるエリサは口の端から血と涎とよく分からないものをダラダラ流しながら勇者を見上げる。
すると、彼は椅子からゆっくりと立ち上がった。そして、エリサの所まで歩いてくる。
ギシ……ギシ……と木製の床が鳴った。
エリサの脇に立つと彼はしゃがんで一枚の手鏡を彼女に差し出す。
顔が勇者のそれとは思えないほどニヤけていた。
「エリサ、これが君の本当の姿だよ」
エリサが鏡を見るとそこには彼女の真の姿が写る。
「え……、う……嘘。」
彼女は目を見張った。
(だって、私はこの村でも一番の美少女なのよ…! なのに、なのに…このこれは誰?!)
彼女は頑なに鏡の中の自分を受け入れなかった。
「違う……違うわ……こんなの……こんなの絶対に私じゃない!! 絶対に違う!! 私はこんなのじゃないわ!! 嘘よ! こんなの絶対嘘なのよぉ?! 信じてたのに……ひどい……ひどいよぉ! ……勇者君の……勇者君の嘘つきィ!!!!!!!」
言い終わるやいなや勇者の顔にドス黒い嫌悪の表情が現れた。
「この期に及んでまだそんなこと言ってんのかテメー。いい加減に認めろよ。この干し柿が。さっさと死ねよ」
少女だった「モノ」は息を引き取る直前、思い出していた、勇者と過ごした楽しかった日々を。
ー以下、回想ー
「ねえねえ! 勇者くん! 見て見てっ、このドレス! 昨日ね、王都まで行って買ったんだ!」
「ああ、エリサ、とても君に似合うと思うよ。結婚式が楽しみだね。」
彼は彼女に優しく微笑んだ。
「えへへ……ありがと、勇者くん」
彼女はその服を着て、村の教会で勇者と共にバージンロードを歩く自分の姿を想像し、ひとり赤面した。
彼女が彼と出会ったのは一年ほど前のことだった。
村に来たばかりの彼は、いつも独りぼっちの彼女に優しく声をかけてくれた。
初めは彼ばかりがエリサに話しかけ、その度に彼女は耳を赤くし、目を逸らしながら、こくこくと彼の話に相槌を打つことしか出来なかった。
だが、今となっては彼女も彼と目を合わせながら話せるようになったのだ。
そして、つい先日、勇者から突然のプロポーズを受け、彼女は彼との結婚を決めたのだった。
「ところで、エリサ、結婚式を上げる前に一つ頼みごとがあるんだけど……」
勇者が何ごとかを思い出したように口を開いた。
「何? 何でも聞いてあげる!」
「あはは、ありがとうエリサ。君は優しいね。うん、それで頼みごとというのはね……」
「――これで良い?勇者くん?」
「ああ……! ありがとう、エリサ。本当に……」
気のせいだろうか、エリサは勇者の顔にただならぬ気配を感じた。
しかし、目をこすると、そこにはいつものニコニコ顔があった。
エリサはふうっと息をついて窓の外を見る。
(考えすぎよね……)
日が沈みつつある。そろそろ頃合いの時間だ。
彼女は勇者に提案する。
「勇者くん、そろそろ晩ご飯にしよう? すぐ作るから少し待っててね」
椅子に掛けてあるエプロンを取り、彼女が支度を始めようとすると、突然彼に呼び止められた。
「いや、エリサ。今日は僕が作るよ」
「えっ、勇者くんお料理できたの?」
「はは……、これでも昔、実家の食事は全部僕が作ってたからね……」
少し、勇者の顔が陰った。
彼にとって昔のことは思い出したくない記憶なのだろう。彼女は勇者と暮らす中でそのことを知った。以来、なるべく過去のことは詮索しないように努めていた。
「あわわ……ご、ごめんね、勇者くん……嫌なこと、思い出させちゃった……?」
すると、勇者はエリサの額をデコピンで弾いた。
「あいたっ」と彼女は額を押さえる。
「昔のことなんてもう気にしてないよ。だから、君もそんな風に謝らなくていい。――さあっ、どいたどいた! 君がそこに立ってたら緊張して料理が出来ないだろ?」
「勇者くん……!」
エリサは勇者の優しさに顔を赤らめながら彼に場所を譲った。
そして二時間後、食卓には出来立ての温かい料理が並べられていた。
「わあ……。勇者くんって、すっごくお料理上手なんだね!」
「はは……、今日は僕も少し力を入れすぎちゃったからね。一応、大事な日……だし。」
エリサは彼の返答に小首を傾げる。今日が何かの記念日だった覚えはない。そうであれば、エリサが忘れるはずがないからだ。
(まあ、いっか! 勇者くんもたまには、日にちを間違えたりするよね!)
エリサは頭に浮かんだ疑問を払拭しながら、席に着いた。
目の前には自分の食事。どれもこれもとても美味しそうだ。
長テーブルの向かい側には勇者の料理が並べてあり、彼がそこに座った。
「さて……」「じゃあ……」
「「いただきます」」
エリサはまずジャガイモの輪切り料理に手をつけた。
誰かが小さく舌打ちしたような気がしたが、気のせいだろう。
彼女はそれを口に運ぶ。
とても美味しい。隠し味でもあるのだろうか。
頬を押さえて、思う存分ジャガイモ料理を堪能した。
次にエリサが手をつけたのはホワイトシチュー。
トロリとしたルーと野菜をスプーンで掬い、口に運んだ。
これもとても美味しかった。
ごくん、と飲み込む。
その顔は幸福感に満ちていた。
だが、エリサは気づいていなかった。勇者の激しい殺意に。
飲み込んだ瞬間、エリサは胸に焼けるような痛みを感じたのだった。
ー以上、回想ー
エリサは硬い床に頬をつけたまま勇者の声を朦朧とした意識の中で聞いた。
「なあ、何でお前こんなことしてるの? 実は自分でも気づいてたんだろ? 自分は偽物だ、って。お前は一体、何がしたかったんだ?」
エリサの顔は大量の涙でグシャグシャに濡れていた。
そして、彼女は最期に勇者に笑顔を見せながら答えた。
「仕方ないじゃない……」
最期の言葉を放つ。
「✕✕✕✕✕✕✕✕✕✕✕✕✕」
勇者はその答を聞くと鼻で笑った。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
彼は地面に転がる既に息途絶えたものを見下ろす。
それは白髪だらけのしわくちゃな老婆だった。腰は完全に曲がり切っている。
(計画は完遂した! これで……!)
彼は一年前、この村に一人でやって来た。そして、何となく入った酒場で、『ある噂』を聞きつけたのだ。
村外れの大きな屋敷にエリサという老女が一人で暮らしていること。
その老女が、自分はまだ若い女の子だ、という妄想に囚われていること、そして、自分の夫から相続した莫大な資産を今も使わずに王都の銀行に預けている、ということも知ったのだ。
そこで、彼は今回の計画に思い至った。
それはその老女を本人の妄想する通りに少女として扱い接近して、銀行の口座番号を聞き出すことだった。
(一年近く掛かったが、まあいい………まったく、あんな簡単に騙されてくれるとは……)
彼はニヤニヤ笑いを抑えきれなかった。
彼は彼女に嘘のプロポーズをし、これからの二人の生活の為に一緒の口座を作ろう、と提案したのだ。
彼女はすぐにその提案を承諾し、彼に自分の個人口座の番号を教えた。
利権譲渡の手続きも彼に踏まされていた。
そして、その時点で彼女は彼にとって用済みとなる。
あとは闇商人から手に入れた毒薬を彼女の食事に盛るだけだった。
「………はっ! あはっ、あはは! あっひゃっひゃっひゃっひゃっひゃっひゃっひゃっ!!」
とうとう堪えきれずに勇者は爆笑した。そして、腕を広げながら天井を仰ぐ。
「これでぇっ! 俺はぁっ、この世界の勝ち組だぁ!! 一生、遊んで暮らしていけるぜぇ!! この家も、土地も、金も、利権も全部全部俺のもんだぁ!!! 今までこの俺様を散々馬鹿にしてきた故郷の奴らも全員俺に跪くんだよ! ざまあみやがれぇ!!」
これからの豪遊の日々と、故郷にいた村人たちの悔しそうな顔を想像して彼は歪んだ笑みを浮かべた。
貧乏家庭出身であり、生来見下されてきた彼にとって、金持ちになり周囲を見返すことは一生の夢だったのだ。
だが、勇者は気づいていなかった。
老女が息途絶える直前まで大火炎の魔法を唱えていたことを。
――次の瞬間、青白く光る巨大な魔法陣が足下に展開された。
「あ?」
それが勇者の最期の言葉となった――